たまに一言#194
〜帰郷(秋の加須良)〜






何かと慌ただしく過ぎる毎日、そうした中、約1年ぶりに富山県との県境にある、かつての秘境の地『加須良(岐阜県白川村)』を訪れた。こういった所へは単独による訪問がほとんどなのだが、今回は、かつて『加須良』にお住まいだった二人の方と、その方を紹介いただいた方のNさんの4人での訪問。加須良のお二人のうちの一人は今も白川村にお住まいであるが、もう一人の方は加須良を離れて実に40数年ぶりの訪問になるという。今回の『加須良』行き、私にとっては訪問であるが、お二方にとっては帰郷という表現のほうが正しいのかもしれない。





庄川の支流、境川の上流に向かって車を走らせる。10月末の周辺の山々は、木々の色づきはあるものの紅葉の最盛まではあともう少しという感じ。昨年は11月の初めと中旬に訪れているが、その時に比べると山の色はまだまだ緑が多い。舗装路の終点にある橋を渡り、加須良へと向かう林道入り口付近に車を停める。昨年もそうだったが、今年も境川ダムの水位が下がり、かつての『桂(越中桂)』集落の石垣などが姿を見せている。ダム底に沈んだ集落跡はこうして時折姿を現し、生活在りし頃の面影を訪れる人々に感じさせてくれる。桂といえば富山県上平村立西赤尾小学校桂分校の教員をされていた寺崎先生の書かれた「さよなら、桂(寺崎満雄:著/桂書房)」を思い出す。小高い山をはさんだ加須良と桂の二つの小さな合掌集落は、秘境の地で一心同体で歴史を歩んできただけあり、お互いに助け合い交流も深く、今回同行された方も桂のことを当然よくご存知だった。桂の集落跡の石垣を見て「そこは〜さん、その向こうは〜さん」というように詳しく教えてくれる。桂分校の位置も「この指の先の方にあったんですよ」と、迷うこと無くすぐに指差す。私の眼には石垣しか見えない泥色の荒涼とした風景でも、この方には桂の合掌集落が当時のまま浮かんでいるはず。橋から乗り出すようにして眺めるその姿に、そのことを強く感じたりした。





橋の上からしばらく桂集落跡の写真を撮る。その間、加須良にお住まいだった二人は林道を歩いていくという。お二人の姿が、林道脇の長くのびた草木で見えなくなると間もなく、二人の歌声が聞こえてきた。加須良で田畑の仕事をする時に一緒に唄った歌なのだろうか、私には何の歌なのかはわからなかったが、故郷への懐かしさと,久しぶりに出合えることへの喜びに溢れた歌声だ。「ほんとうに楽しそうですね」というNさんのことばに大きくうなづく。

加須良に向かって車を走らせる。思ったより早い車の迎えに少し残念そうなお二人を車に乗せ、林道をゆっくりと進む。峠を越え加須良に近づく。その間「わあ、山のにおいやわぁ。加須良のにおいがする」の声が何度か聞かれる。そして集落跡に着き、蓮如上人の伝説のナラカシワの木の前に車を停める。40数年ぶりに踏みしめる故郷の地。「わあ、加須良のにおいやわぁ。なつかしい、ホンマになつかしい・・」と加須良の空気を大きく吸うその姿に、40年ぶりの帰郷の喜びや感動、積もりに積もった望郷の思いなどが、加須良の澄んだ空気の様にストレートに私にも伝わってくる。





お二人はまず、離村碑の横のお地蔵様へ向かい、新調された赤い前かけと後ろかけ??と帽子を地蔵様に着ける。長い歴史の間、加須良そして桂の人々に大切にされ、秘境の集落を見守ってきた地蔵様。祠が狭いため手が後にまわせず、前かけがうまく結べない。そこでよそ者の私ではあるが、地蔵様を「よっこらしょっ」と少し前へ動かし、前かけのひもを背中で結ぶ。ほんの少しのお手伝いであったが、何か妙に素朴な嬉しさを感じたりする。色鮮やかな真新しい衣装に身をつつんだ地蔵さん、これから迎える寒い冬を前にしてきっと喜んでいるに違いない。その地蔵様に改めて4人は合掌。





この日、4人で過ごした加須良での時間はそんなに長いものではなかった。しかし故郷の地でのお二人の姿に、他では決して得ることのできない多くの感動をいただいた気がする。また故郷を語り、故郷にふれる際に見たお二人の涙からは、たとえ荒れ地に姿を変わろうとも、何十年という年数がたとうとも、決して変わることの無い故郷への思いの深さや愛情を強く感じた。それとともに今の時代に失われつつあるものの大切さを、お二方から改めて感じたりもしたのである。この二日間の加須良への旅については、改めてご紹介できればと思っている。









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【2009/11/09 12:41】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
たまに一言#193
〜坂下峠(神大滝林道)〜






久しぶりに、鈴鹿山脈南部を走る神大滝林道の坂下峠を訪れた。鈴鹿峠の西に位置し、滋賀県と三重県を結ぶ林道である。滋賀県側からは峠の少し手前までが舗装路となっているが、そこから先は自然にかえってしまっており、四輪ではどうもがいても峠まで行くことはできない。また、峠から三重県側は完全に山道状態となっている。また現在、滋賀県側の舗装路の部分も、道路両わきののび放題の植物や落石などがかなりひどく、その手の道を敢えて行こうとする者以外には決しておすすめはできないような状況である。この日も車の両サイドボディは、草や枝などで思いっきりこすられ、細かな擦り傷でいっぱいになってしまった。まあ、これも覚悟の上のことなので、自分の中ではけっこう納得なのではあるが・・。





坂下峠に初めて訪れたのは今から20数年前のことで、まだ‘山登り’という健康的なことをしていた頃。その時は、大原貯水池あたりに車を置き、そこから那須ヶ原山(800m)に登って尾根伝いに縦走して坂下峠へと至った。縦走路はやたらクマザサが多くて足下が滑りやすく、前も足元も見えないような状態で、何度も滑ったり転んだりしてにぎやかに歩いていたのを思い出す。今からは想像できないような、青く若かった時代だ。そういえばこの頃、低山登山に凝り、あちこち調べては登山計画を練っていたものだが、その時に見ていた登山用地図や本の林道や山の集落などの情報が、こうした道へ踏み入れることへの大きなきっかけとなったのは間違いの無いところ。

初めて訪れた時の坂下峠は何とも荒廃した感じの独特の雰囲気を持っていた。峠周辺は、路面が雨でえぐれたりして荒れてはいたものの、林道の道幅もあり、今とはかなり違った感じであったと記憶している。『近江の峠/伏木貞三著(白川書院)』という本に昭和45年頃と思われる峠周辺の写真が載っているが、そこには峠近くに停められた車が写っており、峠まで車で行けていたことがわかる。いつ頃から峠付近が荒れてしまって四輪の通行ができなくなったのかはわからないが、私が初めて訪れた20数年前は、今ほどではないにしても、もう四輪での通行は不可能な状態であった。今、そのあたりの自然にかえった山道には所々に当時を思わせる崩れた擁壁などが残っており、車道であった頃を偲ばせてくれる。









久々に訪れた坂下峠は、以前のままの大きくえぐられたようなその独特な雰囲気を残してくれていた。私が持っていた坂下峠のイメージというのは、正確には坂下峠周辺のイメージのことで、坂下峠そのものはその象徴的な風景の向こう側の山道の所を指すようである。早速峠地点に立ち、三重県側に広がる景色を見てみた。遠く遥かに伊勢平野、伊勢湾そしてその向こうの対岸も見渡すことができる。石油コンビナートなのだろうか、赤白に塗り分けられた鉄塔や円筒形の関連施設、沖の海には大型タンカーの姿なども見える。この静かな峠からは全く違ったにぎやかな風景が見えるのが、何か不思議な感じがする。塩馬越え(白馬越え)と呼ばれたその昔は、ここからはどんな風景が見えたのだろう。その風景はきっと、山賊を怖れながら裏街道を越えようとする人々の疲れや不安心を癒す一時を与えてくれたことだろう。

時の流れとともに道はいろいろな姿に変わってゆく。消えてゆく道、自然にかえる道、違ったものに姿を変える道、より大きく立派になっていく道・・など様々。自然の力によって変わっていくこともあれば、人の力によって変わっていくこともある。今後この道はどのように変わっていくのだろう、など考えながら峠からの風景を味わうものの、その現実的な風景を見ると浸りきることは難しかったりする。









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【2009/10/11 01:06】 | 林道 | page top↑
たまに一言#192
〜企画展「山の中の小さな学校/於:石川県立白山ろく民族資料館」から〜






上の子どもたちの写真、なんという屈託の無い笑顔だろう。これは石川県の旧・白峰村(現在は白山市)の出作り集落『大道谷(おおみったん)』にあった白峰小学校大道谷分校の子どもたちだ。石川県立白山ろく民族資料館(石川県白山市白峰リ30)で、9月23日まで催されていた夏季企画展「山の中の小さな学校」で展示されていたものからである。

それにしてもこの夏季企画展「山の中の小さな学校」は、私にとって何とも貴重なものであった。以前、本サイト‘e-konの道をゆく’の県外林道の項の「林道赤谷線(りんどうあかだんせん)」公開の際にも、集落『赤谷』について、この白山ろく民族資料館の多くの貴重な資料を参考にさせていただいており、その際に白峰村周辺の山間部に多くの出作り集落が存在し、学校(分校)まであったということを初めて知った。そしてそれ以来「何とか出作り集落にあったという分校について、もっと知りたい」という思いを持ち続けていたのである。

しかし出作り地の分校に関しての情報は、桂書房の「白山麓・出作りの研究」(著:山口隆冶)以外なかなか見つからず、半ばあきらめた状態であった。ところが幸いにも今回、たまたまこの企画展の存在をネットで知ることになったのだが、それがなんと9月21日の深夜という企画展終了まであと2日というギリギリの時。しかも仕事漬けのシルバーウィークで、積もりに積もった仕事があるという状況。それでも、早朝に滋賀を出発して石川県に向かうことの決定に何の迷いも無い自分に、大いに感心したり呆れたりもする。なお‘出作り’については、この林道赤谷線の項の後半部に少しふれているのでご覧いただければと思う。

この企画展、各地の出作りの地に作られた分校や子どもたち、そして現在の分校跡地のようすなど写真はもちろん、当日の教科書や閉校時の子どもの作文や教室の再現、また出作り集落の点在地などが詳細に示された図等々、多数の貴重な資料が展示されており、私の中のモヤモヤ全てがふっとんだという感じで大変満足であった。下の4枚の写真はいずれも企画展で展示されていたもので、上から「再現された当時の教室の様子」「白峰小学校大道谷分校の校舎(昭和28年撮影)」「山道を通学する桑島小学校下田原分校の児童(昭和35年撮影)」「桑島小学校河内谷分校の校舎前の先生と児童たち(昭和35年撮影)」である。画像に照明の反射や歪みなどがあり申し訳ないのだが、これはサイト管理人が展示写真の撮影の際に生じたものであることを、ご理解いただきたい。

















上の写真の最後の河内谷(こうちだん)分校であるが、その校舎が現存していることを知り、資料館の方に場所をうかがって早速見に行った。林道をしばらく走る。今の状況から考えると、とてもじゃないがここに何軒もの人家があったとは考えにくいような所。「人家もあったはず・・」など考えながら走っていると、やがて林の中にその木造校舎が見えてきた。現在は別の用途で使用されているが、姿は当時のまま残っている。閉校から33年ほど過ぎている。林の中にこうして元気に残っていることが奇跡的とも思えるが、これも他用途で使用されてきたおかげなのだろう。





薄暗い林の中の校舎を眺めていると、ふと視線を感じたので校庭側を見る。するとカモシカの姿。先日『次郎九郎』で見たのは普通のニホンジカだったが、今回はニホンカモシカ。これまでにカモシカとは何度か遭遇したが、いずれも逃げ出すまでの動作は大変ゆっくりしていた。こちらの様子をうかがっているのか、のんびりしているのか余裕なのかはわからないが、いずれもしばらくこちらの方をじっと見ていて、なにかこちらがどぎまぎしてしまう感じもする。今回もやはりゆっくりとした感じのご対面。‘静かな山の住人’という表現が、まことにふさわしい動物だ。「仲良くなりたい」「山で一緒にくらしたい」そんな気がしてしまうほど温厚そうな動物だ。そうしているうちに、「じゃあね」とばかりにゆっくりと林の中に消えていく。静かな山の中でこうした時間は本当に至福の時間に感じる。しかし雨が降ってきたので、わずかな時間で河内谷分校とはお別れとなったのは、なんとも残念だった。

今回の旧・白峰村の訪問、日程的にもかなり無理した中でのものだったが、まことに収穫多きものだった。また分校で迎えてくれたカモシカくんには、疲れた心を大変癒された。それにしてもこの白峰周辺はなんとも魅力的だ。近いうちにゆっくりと訪問して、かつての出作りの地をまわってみたいものだ、など強く感じるのである。





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【2009/09/28 04:33】 | その他山村・廃村・自然 | page top↑
たまに一言#191
〜『次郎九郎』にて思うこと〜






先日、本サイト「e-konの道をゆく」の掲示板で情報をいただいた甲賀市の廃村『次郎九郎』を訪れた。旧でいうと、甲賀郡甲賀町の大字「神」の小字「藤木」、その中の集落の俗称名『次郎九郎』である。この集落は私にとって、人が住んでいた頃から無人となるまでのそれぞれの姿を見ることができた数少ない集落の一つだ。前回の訪問は3年前、もう既に人が住まなくなって何年もが過ぎていた。その時もこのコーナーでその様子を紹介させていただいき、かつての桃源郷のような雰囲気の美しい山村の風景からの変容ぶりを嘆いている。そして今回、大規模な産業廃棄物最終処分場や新名神高速道路の完成というなかで、更にまた大きくその景観が変わってしまっていることをイメージに描いての訪問であったが、実際目の当たりにしてみるとその変貌ぶりは予想以上のものだった。

3年前の訪問では廃棄物処理施設はまだ工事中でその姿はなく、土地の造成真っ最中という感じだった。それでもかつて畑のあったところは掘り起こされ,その向こうの山は大きく削られ、静かな山村の風景は大きく変容していた。そして今回の訪問では廃棄物処理施設の建物も完成されており、さらなる変容した姿があった。しかし今なお処理施設の工事は続き、今後も変容しそうな雰囲気。新しい立派な道路の工事も行われており、それが完成したら今以上に『次郎九郎』の景観は変わることは間違いない。申し訳程度に、村の象徴とも思われるもみじの老木と村の墓地が残されている。また奥に廃屋が一戸残されてはいるが、その対照的な風景とは何とも違和感を感じてしまう。もはやズタズタとなった『次郎九郎』から昔の姿を想像することは難しく、15年間の埋め立てが終わると植林して山に返すという計画が実現されたところで、もうそこには以前の故郷の姿を感じることは難しいことだろう。





その処理場の正式名称は「クリーンセンター滋賀」というそうだ。15年間で廃棄物の埋め立てが終わり,その後は植林して山にかえすという計画であったが、リサイクル推進などで廃棄物が大幅に減少し、当初の予想どおり進むかは甚だ不鮮明。またそれに伴い収入も当初の見込みから大きく減少し、建設の際の借金返済も計画通りにいくのかどうかは難しい状況という。建設に莫大な金を使い(税金と借金)、運営もままならない状態。運営することから生まれる赤字は、おそらく税金でまかなわれるのだろう。こういった施設は必要なものであることはわかっているが、現状を考えると何かややりきれないものを感じざるを得ない。なぜ建設以前にエコの発想が無かったのか。電気も同じだ。電気が足りないから原発が必要という前に、なぜ節約という発想がなかったのか。無駄とかというだけではなく,失うものの大きさも考えるべきである。





などなど『次郎九郎』の空き地に車を停めて一人ぼやいていると、何か視線を感じる。ふと横を見ると道の向こうの薮に一匹の鹿。背中には鹿の子と言われる白い斑点。まだ角ははえていない。じっとこちらを見ているが、逃げるような様子はない。餌を食べ始める。そして終わるとこちらをじっと見る。場所を変えて餌を食べ始める。そしてまた顔を上げてこちらを見る。じっと見る。とにかくじっとこちらを見ているのである。





山で鹿を見る機会はけっこうあるが、鹿の顔を正面からじっくり見る機会はなかなか無い。案外鹿の顔は四角い、などシャレを言っても始まらないが、実際にこうして見ると四角い。そしてこの顔を見ると、なんとも心癒されてくる。山で生活する人たちにとって鹿はどうしようもない害獣ときく。もちろん鹿にこのことを言ってもわからないので駆除(射殺)されてしまうことになるだが、その姿を見ると本当にかわいらしく、癒されてしまうのである。

気まぐれな『次郎九郎』の訪問であったが、何か考えることが多かった。鹿の登場に癒されはしたものの、なかなか素直になれないのである。









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【2009/09/21 15:39】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
たまに一言#190
〜寒風麻生林道(滋賀県高島市)を走る〜






久しぶりに滋賀県高島市の寒風麻生林道を訪れた。この林道は国道303号線沿いの北側起点から見ると、寒風川沿いに南下し、廃村『小原谷』への分岐を越えた後に一旦『椋川』集落へ出る。そして福井側の山に向かった後に再び林道へと入り、峠を越えて『横谷』集落の南側起点へと至る。途中いくつかの集落を通るせいか、あまり一つの林道としてのイメージが持てない。そのせいか、それぞれの起点から椋川まで走ることがあっても、全線を一度に走ることはあまりなく、本当に久しぶりの全線走行となった。

林道は、R303起点から『小原谷』分岐手前あたりと横谷の手前の峠付近に一部未舗装が残っている。多くを舗装路が占めているのであるが、そのイメージは決して穏やかとはいえない。横谷〜峠〜集落〜椋川〜小原谷分岐あたりまでは、落石はあっても走りやすい爽快林道なのであるが、そこから以北の国道303号線起点までの荒れ様がかなりものなのだ。落石量も大変多い。何度訪れてもかなりの荒れようというところをみると、そこはそういう所なのかもしれない。何度も引き返そうという思いがわいてくる、そういう難所を持った林道なのである。





荒れた箇所は最後の最後に持ってきた方がよいということで、この日は横谷集落から入り、椋川を経て国道303号線に出ることにした。以前、横谷集落の方にいろいろお話をうかがったことを思い出す。ここも昔は土砂災害に襲われて大きな被害が出たという。今その集落横を流れる川を見るが、とてもそんな感じはしない。この日も暑い日差しの中ではあったが、村は穏やかでとても静かな雰囲気。しかし穏やかな表情が一変して住民に襲いかかる自然の恐ろしさを、ここの人たちは身をもって体験されている。そういえば、このような話は奥深い山村など行くとけっこう聞く。こういった地に住まわれている方の多くは、自然の恐ろしさを身を持って体験をされている、ということなのかもしれない。

峠を越えると、やがて集落に出る。旧地名で言うと、朽木村から山を越えて今津町に入るという感じだ。今このあたりは水田の稲の緑があたり一面に広がり、美しい田園風景を見せてくれている。真夏の日中ということもあるのか、人の姿はほとんどみかけないが、きれいに手入れされた田んぼや家屋を見ると、そこに人の存在を強く感じる。そのへんが、人が住まなくなった村の風景とは大きく違うところだ。やがて椋川の美しい茅葺き家屋が見えてくる。以前掲示板でお知らせいただいたように、この家屋の屋根は最近葺き替えられたようで、真新しく光っている。まさに山里!という風景に思わず車を停める。





椋川の写真を数枚撮影した後、再び車を走らせ寒風川沿いを北に向かう。舗装路にも少しずつ落石が目立ち初め「であいこ橋」に着く。ここの分岐の福井側に向かう支線を行くと廃村『小原谷』だ。せっかくなので少し様子を見に行く。ここではもう家屋の姿が見れなくなって久しいが、今も倒壊した家屋の柱や水回りのコンクリなどを見ることができる。林道から谷に降りようと思ったが、この時期は雑草に覆われ危険が多く断念する。以前、谷に降りた時、突然すぐ横の藪から大きなガサガサという音が聞こえて、大慌てでその場から逃げ出したのを思い出す。この日も上の林道から見ていると、突然家屋のあったあたりの藪から大きな音がして何ものかが走り去った。姿が見えないところをみると、鹿のように体高のある獣ではないようだ。あの音の大きさ早さから考えると猪あたりかもしれない。視界の良い、雪の訪れる前あたりにゆっくりと散策したいなぁ、など考えながら本線に戻る。





落石が非常に多くなり、石の大きさもバラエティに富んでくる。石をどけようと車から降りると猛烈な異臭がする。谷底を見ると何かに大きな猛禽類の鳥がとまっている。写真を撮ろうとすると鳥は飛び去ってしまったが、そこには大きな死肉が横たわっていた。望遠レンズで見ると、何か赤い肉塊が見え大量のハエがたかっている。肉塊の端には大きな角が見える。鹿だ。どうやって死んだのかはわからないが、多くの生き物たちの餌に変わり果てた鹿の姿がそこにはあった。肉塊のある谷底まではけっこうな距離であるが、それでも悪臭はかなり強く臭う。残酷なように見えるが、自然の中においては、死んで餌となり腐敗して土に還るという単純なことなのかもしれない。





さらに進むと落石の数もどんどん増えてくる。以前リタイアしたのはこの辺か?など思いながら車を走らせる。それにしても多い落石、そしてどの落石も鋭く尖っている。右は落ちてくる崖,左は落ちてゆく崖、何とも荒々しい。それに加えて、川向こうに見える採石場の風景も強烈で、あたりの荒々しい雰囲気を何倍にもしてくれている。削られた山肌に九十九折りに道がつけられ、そこを大型ダンプが粉塵を巻き上げて豪快に走り抜けていく。思わず見上げる。あんな所を一度でもいいから走ってみたい、などと誰もが思うような光景。しかしそんな向こう岸の風景に見とれていると足下に危険がせまる。小さな落石でも走り様によってはタイヤを切り裂く。舗装路の落石は、踏んだ衝撃がクッション無くタイヤに伝わるため未舗装路の落石より怖い。大変神経を使うところである。

ようやく難所地帯を抜けて上りの未舗装路になりホッとする。ふと横を見ると砂防壁の水たまりに見事な鹿の頭骨。しかも角が二本ともついている。思わず水たまりから引き上げ林道横に置き、しばらく眺める。特に意味はないのだが・・。先ほどの肉塊といい、この頭骨といい、自然の厳しさとはかなさ、そしてあっけなさを感じたりする。頭骨に別れを告げた後、やや開けた所に車を停めて遅めの昼食をとる。眼下には国道が見え、林道出口となる国道303号線起点がもうすぐだということがわかる。そして未舗装路を下ると、程なくして見えてくる北側起点。久しぶりの全線走行、何か微妙な感じがするが少しだけの充実感を感じさせてくれた





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【2009/08/27 04:58】 | 林道 | page top↑
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