![]() 久しぶりに訪れた芹谷の集落『向之倉』。人が住まなくなって40年が過ぎようとするこの鈴鹿の中腹にある集落跡も、流れゆく年月とともに家屋たちが次々と崩壊し、ついにあと1軒を残すのみとなっている。そしてその最後に残った老家屋も大きくゆがみ、少しの負荷がかかっても崩れ落ちてしまいそうな状態。20年ほど前に初めて訪れた時は、当時残っていた寺もまだ寺らしい佇まいを見せており、集落にも人の温かみを感じることができた。「人がいるのかな?」そんな風に感じたほどである。しかしその寺も今は姿は無く、石垣と残骸が残るだけとなっている。 ![]() 訪れたこの日は、冬としては暖かい日。廃村へ至る林道の大部分は路面が顔を見せ、山の影になる部分にだけ雪が残るという状況。落石と所々に残る雪に注意しながら九十九折りの林道をのぼっていく。林道の終点となる集落前の空き地は、湿った雪ではあるが全面が白く覆われ、Uターンする車の轍の跡にのみ雪が解けて路面が見える状態。私が訪れた時に1台の車が停まっており、そこに無線機を持った男性が一人。一目見てハンターとわかるいでたちだ。どうやら猟は終わったものの、パートナーである犬たちがまだ獲物を追ったまま帰ってこないということらしい。そういえば林道途中でも、犬を荷台に積んだ軽トラックを見た。その人たちと連絡を取り合って、発信機をつけた犬の位置を確認しあっているようだ。そのハンターと少し立ち話。この日、害獣駆除ということで鹿を撃ちに来たが、鹿の姿を見るまでに至らず帰るところだったという。 山をうろうろしていて猟犬と出会うことは珍しくない。中には飼い主とはぐれたままで、やせ細ったまま山をさまよい歩く犬もいる。取り付けられた発信機がそのままの状態になって主を捜し続ける犬たち、その姿は何とも哀しいものだ。人を見るとやはり恋しくなるのか、はぐれた猟犬たちは近寄ってくる。つかの間の空腹を癒す食べ物を与えたところで彼らを連れて帰るわけにはいかず、いつも後味の悪い思いでその場を去ることになる。この日の犬は、その後幸いにもすぐに見つかったようである。二匹の白い犬ということしか聞いていなかったが、ホッとする犬たちと二匹の主の姿が思わず浮かんで安心する。 ![]() ![]() 久しぶりに『向之倉』を散策する。影になる部分は雪で覆われている。しかしその上を歩くとすぐに靴底が地面に達する。水分の多い、薄く積もった雪だ。夏場は雑草に覆い隠されているために見えない部分が、この時期には見ることができる。訪れるたびに目にしていた自転車の残骸も、この日は何にも邪魔されること無くその姿を見せていた。しかしこれを見ていつも疑問に感じる。この自転車は集落の人たちが使っていたものなのだろうかということ。不法投棄にしては奥まった所にあり、型も古い。じゃあ集落の人が使っていたものなのだろう、かというとそうも思えない。なんせ、この『向之倉』という集落は今でこそ車で登れる林道があるが、林道ができたのは廃村後ずっとたってからのこと。それまでは芹谷の谷底から登る細い山道があっただけ。そんな所から自転車を担いで上り下りをするとは考えにくい。もちろん集落内を自転車で走り回るということもあり得ないというか、必要の無いこと。じゃあ一体何なんだろう、など思うがいつも結論は出ない。 ![]() 集落最後に残った老家屋を見に行ってみた。大変立派な茅葺家屋であったことは、崩れかかった今の様子を見てもすぐにわかる。醸し出す威厳は今も十分に感じることができるのである。やはり崩れかかった門に目をやる。すっかり崩れてしまっているが、原型はまだとどめており、柱の所には郵便受けと思われるものが今もその形を残す。郵便配達人もしくは新聞配達人が、この山の集落まで毎日上り下りして配達していたのだろうか。今では考えられないことが、昔の生活の中では当たり前のことであったというのはよくある話。この山の集落『向之倉』にも、谷底からの山道を何十分もかけて上り下りした配達人がいたことだろう。 ![]() 廃村などを訪れていると、そこに残されたものから当時の様々な生活を感じることができる。生活を思い浮かべると、そこには人の姿も浮かんでくる。しかしそれは、今を基準にしたイメージにすぎない。現実は、今思い浮かべる当時の姿を遙かに越えた厳しいものだったのだろう。しかし「そういう生活、つらくなかったですか?」と廃村となった集落に住んでいた方にうかがった時、多くの方から「それが当たり前だったから、つらいとか思ったことはない。」ということばが返ってくる。その時の‘当たり前’は、時代とともに変わってゆくもの、時代を反映するもの。その時には正しかったことでも,時代が変わると悪に変わってしまうことも歴史を振り返ると珍しいことではない。 ![]() それでは今の時代の‘当たり前’って一体何なのだろう、など考えてみる。するとこの‘当たり前’ということば、なかなか深い意味を感じ、いろいろなことを考えさせてくれる。時の流れとともに変わるべき‘当たり前’、変わるべきではない‘当たり前’様々あると思うが、それらが区別無く変わっていってしまっている今の時代は、未来に向けてのどのような礎となっていくのだろう、など考えてみたりもするのである。 ![]() http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html |
![]() この秋、福井県小浜市の山村『上根来』を訪れた時のこと。この日は滋賀県との県境の峠へ向かう一本道を福井県側から入り、『下根来』『中の畑』『上根来』の3つの山村を順に訪れ、そのまま小入谷林道に入って滋賀県へと抜けた。このコーナーで何度も書いているが、小入峠を挟んだ滋賀と福井の県境の周辺の雰囲気が私は大変好きで、年に何度も訪れる。福井県側、滋賀県側のいずれの集落も美しく、林道越えの風景も絶景。さらに旧・上根来小学校の木造校舎も健在で、その周りの自然にとけ込んだ小じんまりした古びた木造校舎の風景は、思い切り心を癒やしてくれる。そのため訪れた時は必ずここで長めの休憩を取り、至福の時を味わうのである。 ![]() 『下根来』では、昨年の3月に統廃合により廃校となった下根来小学校に立ち寄った。やはり、子どもの来なくなった小さな白い校舎は寂しげに感じる。校庭の隅に建てられている閉校記念の碑の真新しさが目を引く。終わりを告げるものがここでは一番新しく作られたもの、ということに何とも寂しさを感じてしまうのであるが、これから向かう二つの集落(『中の畑』『上根来』)と比べると、家屋数も多い『下根来』の集落は大変元気に感じたりする。閉校時にいた数人の村の子どもたちは、今は新しく遠敷小学校に通い、多くの友達の中で元気に過ごしていることだろう。 次に訪れた『中の畑』、ここに残された家屋は本当にわずかとなっている。初めて訪れた時に見た家屋の何軒かも今はもう崩れてしまい、ただその残骸を残すのみ。確か河原にも廃家屋が残っていたと思うのだが、それは残骸さえなく、その跡も全く見当がつかなくなってしまった。時代の波とともに人々が去っていったこの集落、やがては消えゆく運命にあるということなのだろうか。バックの山の大きな木々の自然に、そして家屋や石垣や橋を覆おうとする苔や雑草などの小さな自然に、そのどちらにも飲み込まれてしまいそうな中で最後に残る老家屋たちは、全く自然体で時をやり過ごしているようにも感じる。そしてその自然体が、私などには実に美しく感じられたりする。 ![]() 『上根来』集落では紅葉の風景が撮りたかったのだが、残念ながら時期を逸してしまったようで、色鮮やかな紅葉は見ることはできなかった。しかし、紅葉が無くても美しいこの集落であるので、特に気にすることなく集落内を歩きながら写真を撮る。ここは何度も来ているのだが、村の人と出会った記憶がほとんどない。姿を見るのは、大抵は登山客か写真愛好家。しかしこの日出会ったのはそのどちらでもなく、郵便配達人だった。 ![]() 道から集落を見おろす形で写真を撮っていると、一軒一軒をまわる郵便屋さんの赤いカブの姿が見える。赤いカブの荷台には集配物を入れる赤いカゴ。おなじみの郵便屋さんのスタイルだ。そして集配が終わったのか眼下の集落の視界からその姿が消える。「もうすぐこの道にやって来るはず・・」とカメラを構えて待つ。しかしなかなかカブは現れない。あきらめかけた頃に、あの独特のカブの音が聞こえてきた。そしてカメラを構える。エンジン音か近づき、ついにカメラのファインダーにその姿が入ってきた。慌ててシャッターを切る。するとそんな私に気づいたのか、カブはスピードをゆるめエンジンが切られ、私の横に停車した。「写真を撮らないでくれよ。」なんて言われてしまうのだろうか、など思ったりもしたが、郵便屋さんからは「今年はあかんやろ。もう(紅葉は)落ちてしもたなー。」の言葉。少しホッとする。 お話によると「今年の紅葉は2〜3日前の雨と風で多くが散ってしまった」ということだ。散る前に撮影された紅葉の写真を見せてくれるということで、郵便屋さんは携帯電話の中からデーターを探すのだが、なかなか出てこない。その代わりではないが、見せていただいたのは熊が捕獲された写真。このあたりで捕らえられたものらしい。やはりこのあたり、けっこう熊がいるようである。 ![]() 郵便屋さんは、途中で違った地域での勤務もあったが、この地の郵便配達人として何十年も勤務されているという。それではこのへんのことをよくご存じなのだろうと、仕事中に申し訳ないなぁと思いながらも、郵便屋さんにお話をうかがってみた。以前から、ここから少し上の林道入り口付近にある鎮魂碑が気になっていたので、そのあたのことを聞くと、やはり今の集落よりも上(鎮魂碑あたり)に『境尻(さかじり)』という小字名の集落があり、3軒程の家があったという。またその頃は、今の『上根来』集落あたりは、小字名で『段(だん)』と呼ばれていたという。当時は上根来小学校が現役で、子どもたちが賑やかに通学する様子など見られてたんだなぁなど思うと、その風景を見てこられた山の郵便屋さんを本当にうらやましく思ったりする。 ![]() 燃料革命が起こるまでは炭焼きで生計を立てていたこの山の集落も、時代の流れに逆らうことはできず、林業そして酪農に生き残る道を見出そうとするが、いずれも後を継ぐ若い者が無く廃れていくこととなる。酪農は最盛期には400頭もの牛がいたそうである。しかし今はその牛舎跡だけが残り、牛たちの声の代わりに風の音だけが聞こえるだけとなってしまった。時代の波に飲まれ、大きくその姿を変えてきた『上根来』と周辺集落の生活と風景。そして、それらを間近に見てこられたであろう、この山の郵便屋さん。もっともっと話をうかがいたかったのだが、そういうわけにもいかない。ちょうど車で通りかかった人が登山道入り口の場所を尋ねてきたのを機に、話はおひらきとなる。この時も、山の郵便屋さんはわざわざカブをUターンさせて登山道入り口まで車を誘導してあげていた。 ![]() 山で生活する人たち、というか地域の人たちの生活に密着した‘山の郵便屋さん’は、過疎地域の高齢者の方達にとってなくてはならない存在であったということを、以前テレビの番組で見たことがある。そこには高齢者の方達と、そこを1軒1軒まわる郵便屋さんとの心のふれあいが描かれていて、それを見た時は大いに感動したものだ。しかしそれも郵政民営化によって大きく崩れてゆく。この日出会った山の郵便屋さん、そういう心のふれあいのある時代を生きてこられ、今なおその思いを持って一軒一軒まわられていることだろう。 全国で何百、何千という集落が姿を消し、今も消えようとしている。そこには何百、何千という山の郵便屋さんがいたはず。地域やそこの生活に密着した山の郵便屋さんそのものも姿を消さざるをえないのは、時代なのか社会なのか、など考えてしまう。 ![]() http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html |
![]() 林道を好んで走るようになって、20年程になる。走り始めた頃は、舗装路でない所を走ることに何とも言えない心地よい刺激を感じたものだ。ガタガタ道の振動、ギャップを越えるときのつきあげ感、ラインを考えて走ることの面白さ、走りきることの満足感など、走ることで身体に受ける刺激への心地よさが中心で、景色をじっくりと味わうという感覚はまだそんなになかったような気がする。 景色を味わうようになったのは、実際に林道を何本か走って、「おぉ!」という、これまでに感じたことのないような自然の美しい風景がそこにあるということに気づいてからのこと。それに目覚めてからは、林道の景色にのめりこむことになる。白い路面、赤い土、ごろごろ転がっている石や岩、ガタガタの路面が作る陰影、道脇の木々の緑そして青い空と白い雲、それらが作り出す風景を実に美しく感じ始めた。また林道そのものの風景だけではなく、そこから見える(見下ろす)下界の風景がまた何とも美しく感じた。遠くに見える、重なる山々の美しいグラデーション。はるか下界に見える道や民家、海、川などの景色。そして野生の動物や季節を彩る植物たちとの出会いもあった。さらに静かな風景の中に響く風の音や獣や鳥たちの声、などなど魅力は尽きない。そういった中に自分が入った時、本当に幸せな気分になれたのである。 ![]() ![]() 二本の林道からの風景を紹介したい。一つは滋賀県が誇る?小入谷林道。ここからの風景は、滋賀県側も福井県側も本当に美しい。訪れたこの時は天気はよかったものの、今ひとつ空気に透明感が感じられなかったので若狭の海がクッキリと見えることはなかったが、それでもそこに浮かぶ島々は確認できた。そして手前を見下ろすと、山々に埋もれてしまうかのような『上根来』の集落や牛舎跡などが見える。また峠付近からの風景は、先に書いた‘重なる山々のグラデーション’が見事で、バイクで訪れていた人の「おおー!」という声が、撮影していて聞こえてきたりした。夕日が赤くかわるのを待つと、また風景が変わってくる。紅葉の山々がオレンジに輝き、そこに走る林道が浮かび上がる。どれもが、下界では決して見られない風景だ。この日は、私と同じように林道からの風景をねらって写真撮影に訪れている人を何人か見かけた。同じ景色でも撮る人によってずいぶんと違ったものになるのだろうなぁ、など考えながら帰路につく。 ![]() 二つ目の林道は、滋賀県の多賀町と東近江市にまたがる御池川林道。完全舗装されているので走ることの楽しさは感じないが、実は未舗装の支線の荒れた路面とそこからの風景がなかなかのもので、よく訪れる。この日もそれに期待しての訪問だった。しかし残念ながら下界は普通に晴れ間のある天気なのに、山に入ると雨。あたりは薄暗く、さらにガスに覆われていたため、支線からの下界の風景はそこからは全く味わうことはできなかった。 ![]() ガッカリとして本線に戻って下界に戻ろうと走っていると、わずかばかりの光が雲の間からさしているのが遠くに見えた。これなら下界の風景が見えるかも、とチャンスを求めて車を走らせると木々の間から下界が見える。そこからの景色に「おー!」と思わず声が出る。そこにはわずかな陽の光を浴びて黄金色に光る風景が広がっていた。上にはどんよりとした黒い雲。そのコントラストが不思議で美しい。琵琶湖も見えているはずなのだろうが、そこのところははっきりとしない。これは晴天時には決して見ることはできない風景。晴天の風景とはまた違った美しさで、このタイミングでしか見れない風景。あきらめの中の逆転の一発、そんな感じだ。こうして見れたことに心から感謝である。黒い雲がまた光を隠してしまわないうちにと、慌てて写真撮影をする。 ![]() ![]() 対照的な天候の中での二つの林道の景色。どちらも違った美しさを与えてくれた。山を下りればまた元の世界へ戻ってしまう訳であるが、つかの間の別世界訪問は多いに心が癒される。これ無しには生きていけない、そんな毎日に感じてしまうのは少々悲しいが、これがあることは多いに幸せなことなのかもしれない。 http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html |
![]() 何かと慌ただしく過ぎる毎日、そうした中、約1年ぶりに富山県との県境にある、かつての秘境の地『加須良(岐阜県白川村)』を訪れた。こういった所へは単独による訪問がほとんどなのだが、今回は、かつて『加須良』にお住まいだった二人の方と、その方を紹介いただいた方のNさんの4人での訪問。加須良のお二人のうちの一人は今も白川村にお住まいであるが、もう一人の方は加須良を離れて実に40数年ぶりの訪問になるという。今回の『加須良』行き、私にとっては訪問であるが、お二方にとっては帰郷という表現のほうが正しいのかもしれない。 ![]() 庄川の支流、境川の上流に向かって車を走らせる。10月末の周辺の山々は、木々の色づきはあるものの紅葉の最盛まではあともう少しという感じ。昨年は11月の初めと中旬に訪れているが、その時に比べると山の色はまだまだ緑が多い。舗装路の終点にある橋を渡り、加須良へと向かう林道入り口付近に車を停める。昨年もそうだったが、今年も境川ダムの水位が下がり、かつての『桂(越中桂)』集落の石垣などが姿を見せている。ダム底に沈んだ集落跡はこうして時折姿を現し、生活在りし頃の面影を訪れる人々に感じさせてくれる。桂といえば富山県上平村立西赤尾小学校桂分校の教員をされていた寺崎先生の書かれた「さよなら、桂(寺崎満雄:著/桂書房)」を思い出す。小高い山をはさんだ加須良と桂の二つの小さな合掌集落は、秘境の地で一心同体で歴史を歩んできただけあり、お互いに助け合い交流も深く、今回同行された方も桂のことを当然よくご存知だった。桂の集落跡の石垣を見て「そこは〜さん、その向こうは〜さん」というように詳しく教えてくれる。桂分校の位置も「この指の先の方にあったんですよ」と、迷うこと無くすぐに指差す。私の眼には石垣しか見えない泥色の荒涼とした風景でも、この方には桂の合掌集落が当時のまま浮かんでいるはず。橋から乗り出すようにして眺めるその姿に、そのことを強く感じたりした。 ![]() 橋の上からしばらく桂集落跡の写真を撮る。その間、加須良にお住まいだった二人は林道を歩いていくという。お二人の姿が、林道脇の長くのびた草木で見えなくなると間もなく、二人の歌声が聞こえてきた。加須良で田畑の仕事をする時に一緒に唄った歌なのだろうか、私には何の歌なのかはわからなかったが、故郷への懐かしさと,久しぶりに出合えることへの喜びに溢れた歌声だ。「ほんとうに楽しそうですね」というNさんのことばに大きくうなづく。 加須良に向かって車を走らせる。思ったより早い車の迎えに少し残念そうなお二人を車に乗せ、林道をゆっくりと進む。峠を越え加須良に近づく。その間「わあ、山のにおいやわぁ。加須良のにおいがする」の声が何度か聞かれる。そして集落跡に着き、蓮如上人の伝説のナラカシワの木の前に車を停める。40数年ぶりに踏みしめる故郷の地。「わあ、加須良のにおいやわぁ。なつかしい、ホンマになつかしい・・」と加須良の空気を大きく吸うその姿に、40年ぶりの帰郷の喜びや感動、積もりに積もった望郷の思いなどが、加須良の澄んだ空気の様にストレートに私にも伝わってくる。 ![]() お二人はまず、離村碑の横のお地蔵様へ向かい、新調された赤い前かけと後ろかけ??と帽子を地蔵様に着ける。長い歴史の間、加須良そして桂の人々に大切にされ、秘境の集落を見守ってきた地蔵様。祠が狭いため手が後にまわせず、前かけがうまく結べない。そこでよそ者の私ではあるが、地蔵様を「よっこらしょっ」と少し前へ動かし、前かけのひもを背中で結ぶ。ほんの少しのお手伝いであったが、何か妙に素朴な嬉しさを感じたりする。色鮮やかな真新しい衣装に身をつつんだ地蔵さん、これから迎える寒い冬を前にしてきっと喜んでいるに違いない。その地蔵様に改めて4人は合掌。 ![]() この日、4人で過ごした加須良での時間はそんなに長いものではなかった。しかし故郷の地でのお二人の姿に、他では決して得ることのできない多くの感動をいただいた気がする。また故郷を語り、故郷にふれる際に見たお二人の涙からは、たとえ荒れ地に姿を変わろうとも、何十年という年数がたとうとも、決して変わることの無い故郷への思いの深さや愛情を強く感じた。それとともに今の時代に失われつつあるものの大切さを、お二方から改めて感じたりもしたのである。この二日間の加須良への旅については、改めてご紹介できればと思っている。 ![]() ![]() http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html |
![]() 久しぶりに、鈴鹿山脈南部を走る神大滝林道の坂下峠を訪れた。鈴鹿峠の西に位置し、滋賀県と三重県を結ぶ林道である。滋賀県側からは峠の少し手前までが舗装路となっているが、そこから先は自然にかえってしまっており、四輪ではどうもがいても峠まで行くことはできない。また、峠から三重県側は完全に山道状態となっている。また現在、滋賀県側の舗装路の部分も、道路両わきののび放題の植物や落石などがかなりひどく、その手の道を敢えて行こうとする者以外には決しておすすめはできないような状況である。この日も車の両サイドボディは、草や枝などで思いっきりこすられ、細かな擦り傷でいっぱいになってしまった。まあ、これも覚悟の上のことなので、自分の中ではけっこう納得なのではあるが・・。 ![]() 坂下峠に初めて訪れたのは今から20数年前のことで、まだ‘山登り’という健康的なことをしていた頃。その時は、大原貯水池あたりに車を置き、そこから那須ヶ原山(800m)に登って尾根伝いに縦走して坂下峠へと至った。縦走路はやたらクマザサが多くて足下が滑りやすく、前も足元も見えないような状態で、何度も滑ったり転んだりしてにぎやかに歩いていたのを思い出す。今からは想像できないような、青く若かった時代だ。そういえばこの頃、低山登山に凝り、あちこち調べては登山計画を練っていたものだが、その時に見ていた登山用地図や本の林道や山の集落などの情報が、こうした道へ踏み入れることへの大きなきっかけとなったのは間違いの無いところ。 初めて訪れた時の坂下峠は何とも荒廃した感じの独特の雰囲気を持っていた。峠周辺は、路面が雨でえぐれたりして荒れてはいたものの、林道の道幅もあり、今とはかなり違った感じであったと記憶している。『近江の峠/伏木貞三著(白川書院)』という本に昭和45年頃と思われる峠周辺の写真が載っているが、そこには峠近くに停められた車が写っており、峠まで車で行けていたことがわかる。いつ頃から峠付近が荒れてしまって四輪の通行ができなくなったのかはわからないが、私が初めて訪れた20数年前は、今ほどではないにしても、もう四輪での通行は不可能な状態であった。今、そのあたりの自然にかえった山道には所々に当時を思わせる崩れた擁壁などが残っており、車道であった頃を偲ばせてくれる。 ![]() ![]() 久々に訪れた坂下峠は、以前のままの大きくえぐられたようなその独特な雰囲気を残してくれていた。私が持っていた坂下峠のイメージというのは、正確には坂下峠周辺のイメージのことで、坂下峠そのものはその象徴的な風景の向こう側の山道の所を指すようである。早速峠地点に立ち、三重県側に広がる景色を見てみた。遠く遥かに伊勢平野、伊勢湾そしてその向こうの対岸も見渡すことができる。石油コンビナートなのだろうか、赤白に塗り分けられた鉄塔や円筒形の関連施設、沖の海には大型タンカーの姿なども見える。この静かな峠からは全く違ったにぎやかな風景が見えるのが、何か不思議な感じがする。塩馬越え(白馬越え)と呼ばれたその昔は、ここからはどんな風景が見えたのだろう。その風景はきっと、山賊を怖れながら裏街道を越えようとする人々の疲れや不安心を癒す一時を与えてくれたことだろう。 時の流れとともに道はいろいろな姿に変わってゆく。消えてゆく道、自然にかえる道、違ったものに姿を変える道、より大きく立派になっていく道・・など様々。自然の力によって変わっていくこともあれば、人の力によって変わっていくこともある。今後この道はどのように変わっていくのだろう、など考えながら峠からの風景を味わうものの、その現実的な風景を見ると浸りきることは難しかったりする。 ![]() ![]() http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html |



































