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#143 ダムの上と下の風景
~ダムの上と下の風景~

当たり前のことであるが、ダムから見る風景は、その上流側と下流側とでは全く違う。上流側では、堰堤でせき止められた川の水が全てのものを飲み込み、静かな湖面のダム湖が作られる。下流側では、ダムから放水された水が、かつての面影を残す風景の中を川となって流れる。そのためか堰堤で分断された二つの風景は、何とも不自然につながっているように感じられる。最近は平常時は水をそのまま流す‘穴あきダム’などもあるようだが、今目にする多くのダムは水を満々と貯えるスタイルのものが多い。

雪が降ったある朝、永源寺ダム(滋賀県東近江市)を訪れた。年末には湖底近くまで水位が下がっていたこのダムも、この日は鈴鹿の谷より流れ出た水が集められ、かなりの水位となっていた。いかにも山上湖という雰囲気のその湖面には、雲のわずかな隙間から顔を出した朝日が反射し、何とも美しい冬の風景を朝の山間に作り出していた。昭和47年に完成したこのダム、やはりその建設の際には多くの家屋が立ち退き移転となっており、いくつかの集落が水没している。今見える湖面に映る朝日の下には、多くの人たちの生活があり、人々の温かみがあったのである。

ふと、ダムの下流側を見る。そこにはかつてダム上流部にも広がっていたであろうと思われる、愛知川谷の風景の面影を見ることができた。この日は少し雪が降ったこともあり、谷の面影はうっすらと雪化粧しており、いかにも冷たそうな川の風景となっている。ダムから流れ出た水が作る川の横には雪化粧をした集落。きっとこのような風景がダムができる前は、普通にずっと上流まで続いたのであろう。愛知川谷ののどかな風景‥だったはずである。しかし残念ながら、ダムができる前には見られたであろう、斜面を利用した段々畑のある集落の風景は、もうここでは見ることはできない。

このダム建設の際には、やはり多くの地元の方たちの反対があったという。そしていくつかあった集落のたどった運命もまちまちだ。全く違った所への移転という道を選ばず、水没を逃れる形でかつての故郷の名を残し、ダム周辺に今も住まわれている方たちのいる集落。また一部水没が免れるものの、もう集落としての機能の維持が難しく、住民全員が移転して、地図から集落としての名前を消すこととなった集落。故郷の地に残った者、その地を離れた者、形は違っても、水の中に沈むとともに故郷への思いまでが水の中に消えてしまうということはないはず。果たしてその人たちの目に、四季折々に美しい風景を見せるこのダム湖の風景が、どのように映っていることなのか。

ダム湖畔を通る道は近い将来、鈴鹿をトンネルで貫き三重県とつながる。今も峠越えでつながってはいるものの、道は狭く冬季には閉鎖されてしまう状況。開通後は多くの車が通り、紅葉などの観光シーズンになると今の何倍もの交通量になるはず。トンネル完成による地元の経済効果も大いに見込まれるのである。それによりダムを訪れる人が増えることも間違いない。ただ、たとえ周辺の風景や状況が大きく変わっても、ダムから見える上と下の風景の違いを思う、そのことを忘れてはいけないと感じるのである。









http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2008/01/27 23:37】 | ダム | page top↑
#125 下小鳥ダム周辺で見たもの
~下小鳥ダム周辺で見たもの~


知らないところを訪れる時、私の場合、二通りの訪れ方がある。一つは事前に目的地をはっきりさせ、下調べも十分にした上で訪れる場合。もう一つは、大体の方面だけを決めておいて、あとは現地について気分次第で訪問場所を決める場合。それぞれに面白いところがあり、どちらが良いとかはいえないのだが、どちらが多いかといえば圧倒的に後者が多い。それは予備知識が無いことで、見るもの見るものがより新鮮でインパクトが強く、そういう刺激がたまらなく好きだからということ、それと好き気ままに旅ができるという気楽さがあるからである。そうした旅で思いもかけない発見があった時は、本当に嬉しく感じる。ただ発見といっても、必ずしも嬉しいことばかりとは限らないのだが。

この日は「岐阜県の高山の上のほう」ということだけ決めて出発した。そして地図をしばらく見て、行き先を‘下小鳥ダム’に決めた。天気予報でかなりの雨が降りそうであるから、あまり山奥深い所に行くのが危険であるという判断からである。それと、これまで近くまでは何度もきているのに、まだこのダムに行ったことがなく、以前から見てみたいと思っていたからというのもあった。本当はこのダム建設により廃村となった地区にも行きたかったのだが、天候を考え、それについては早急に諦めることにした。





下小鳥ダムで写真のような看板を見た。アメリカナマズというのは通称で、チャネルキャットフィッシュというのが正式名のようだ。外来魚の問題といえば琵琶湖ではもっぱらブラックバスやブルーギルなのだが、ネットで調べるとこのアメリカナマズも各地でかなり問題になっているようだ。琵琶湖でもいずれ問題になるのだろうか?もしかしてもうなっている?そうなるとビワコオオナマズやイワトコナマズといった琵琶湖固有のナマズたちはどうなってしまうのか、など心配になってくる。

下小鳥ダムを後にして、そのまま北上してR360に出ると学校らしきものが見える。しかしよく見るともう学校としての役割を終えているようで、「自然教育宿泊施設・レジェンドあすか」という看板。それにしては何か寂しげな感じもしたのだが、その時は廃校が第二の人生を歩んでいることにホッとして先に進んだ。しかし帰宅後にこの施設のことを調べてみると、この「レジェンドあすか」は今年(平成19年)の3月末日で閉鎖されていることがわかった。自然豊富なこの地域であるが、それをメインにした宿泊施設として存続させていくことは無理だった、ということか‥。廃校後、何年間宿泊施設として活躍したのだろう、そして次はどうなるのだろう、など考えてしまう。

旅をすると様々な発見がある。嬉しい発見や心に残る発見、悲しい発見や残念な発見‥。通常は通り過ぎるような些細な発見でも、実は大きな問題を抱えている場合があったりもする。その時はわからなくても、帰宅後に調べてみることで新たな事実がわかって驚くこともある。そんな時、様々な出会いや発見の大切さを感じるとともに、旅の意義を再認識するのである。








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【2007/09/03 22:02】 | ダム | page top↑
#122 木製の橋のある、谷の風景
~木製の橋のある、谷の風景~





古めいた一枚の写真がある。山間の谷の、美しくのどかな風景。手前に見える木製の橋から一本道が続き、その先には走っている車の姿が小さく見える。道の両側には棚田と民家。全体的に白っぽいのはうっすらと積もった雪のせい。村を囲む山々も雪で薄化粧。山間の谷の小さな集落の初冬の風景だ。この写真を見てどこの写真かわかる方は、おそらくほんの一部の限られた人だろう。

上の写真は、昭和42年に滋賀県教育委員会により発行された『滋賀県文化財調査報告書(第2冊)/愛知川ダム水没地域民俗資料緊急調査報告』から引用したもので、ダムができる前の愛知川谷の風景である。大変詳細に、そして克明にまとめられたこの報告書、これをきっかけにダム工事の際に水没地域の本格的な民俗調査が全国的に行なわれるようになったという。愛知川ダムというのは現在の永源寺ダム(滋賀県東近江市)のことで、昭和27年に国営事業として着手され同47年に完成している。なおこのダム建設によって175戸の水没世帯を含めて213世帯が故郷の地を移転されている。今もダム横に走る道沿いに『佐目』と『萱尾』という二つの集落があるが、ともにダムができる前は、谷の底の愛知川まで広がっていた集落だったのである。

この写真に写っている木製の橋、見覚えのある方はおられないだろうか。実はこの橋、以前に‘たまに一言#88’と‘写真帳「永源寺ダム・樋之谷橋」’で紹介させていただいた樋之谷橋である。普段はダムの底に沈んで見ることはできないが、このように渇水期になると姿を現す。

この写真を見るまで、永源寺ダムの底にあったかつての風景を私は知らなかった。だからこの橋のある風景は、想像するしかなかったのだ。私が直接見た橋の風景は、渇水時のみ見られる、橋げたや欄干が折れゆがみ、大量の堆積した泥を背負う、乾いた泥色の風景だけ。それがこの写真によって、かつての温かみある風景とつなげることができた。ゆがみながらも橋としての形を維持し、その支柱に刻まれた樋之谷橋の名前が今なお確認できるところに、人々の生活を支え続けたこの橋のプライドを感じたりもする。いつ造られたものかはわからないが、地域の住民の大変重要な橋として、さぞかし頑丈に作られたに違いない。今はもう見ることのできない、愛知川谷の原風景の証人といったところか‥。

今この辺りの風景は大きく変わろうとしている。5年後、10年後はもっと大きく変わっているだろう。というのは、近い将来、鈴鹿の山々を貫くトンネルが完成し、三重県とつながるからだ。もう何時間もくねくね道を通って峠を越える必要が無くなる。通行止めに悩まされることもなくなる。そしてそれに伴っての道路整備も着々と進んでいる。きっと今よりもっと多くの人たちがこの地を訪れ通過することになり、観光地としてもより発展することになるだろう。今もダム下やダムの上流には、かつての愛知川の原風景を思わせるような風景が一部残っている。非常に美しい風景だ。これらの風景の5年後、10年後はどうなっているのだろうかと考える。何が必要で、何が必要でないかは人それぞれで違うものだろうから、思いもそれぞれであっていいと思う。しかしこの先も人間が自然の中で生きてゆく以上は必ず守らなくてはならないものがあり、そのことを決して忘れてはいけない、ということをこの1枚の写真を見て改めて感じたりするのである。







※参考資料
『滋賀県文化財調査報告書(第2冊)/愛知川ダム水没地域民俗資料緊急調査報告』発行:滋賀県教育委員会

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【2007/08/12 06:46】 | ダム | page top↑
#121 有峰ダムと有峰トランプ
~有峰ダムと有峰トランプ~

富山県と岐阜県の県境にある有峰ダム(富山市有峰)を訪れた。富山湾に注ぐ常願寺川の支流である和田川上流に造られた、高さ140mのコンクリートダムで、有効貯水量は国内第9位だという。完成したのが昭和35年であるので、もう50年が過ぎたことになる。だがダム建設計画があがったのはそれよりはるか前の大正9年、何と80年近くも前だ。計画から完成に至るまでに大変な年月をようしているのだ。大正10年に水没地域の『有峰』集落の住民の移住が始まり、昭和3年に『有峰』が閉村。同11年にダム工事が起工したものの、戦争の為に工事は中止。戦後再び工事が開始され、昭和34年に湛水が始まって翌35年に遂に完成というから、閉村から完成まで32年もの年数が流れていることになる。

かつては秘境の地として何人も寄せつけなかったこの山深き豪雪地も、今は満々と水を湛える有峰ダムを中心として観光地化され、立派な自然施設や全舗装の有料観光林道(有峰林道)が周囲を囲む。そして林道周辺は見事なブナ林が彩を添え、訪れる人たちの心を癒してくれるのである。

私は、以前からこの有峰ダムを訪れたいと思っていた。今は深く冷たい湖底に眠る、誇り高き平家末裔の集落といわれる『有峰』、その地をこの目で見ておきたかったからだ。そして山深き地に不似合とも思われる有料林道がどのようなものなのかも確かめてみたかった。この『有峰』集落については「有峰物語(著:飯田辰彦/発行:NTT出版株式会社)」に詳しく書かれているので、興味のある方はぜひご覧いただければと思う。

この日は岐阜県の神岡町の和佐保の飛越トンネルから林道に入り、有峰記念館を訪れた後に再び飛越トンネルから岐阜県に戻った。本当は大多和峠を越えて岐阜へ戻ろうと考えたのだが、残念ながらこちらのルートは閉鎖されてしまい、今後も使われることはないとのこと。『有峰』ありし頃に関わりの深かった『大多和』集落を経由しての有峰訪問も、今はもうできなくなってしまったのである。林道そのものは、有料と言うこともあって大変よく整備されており、文句の無い‘快走路’だ。ドライブには最適だろう。この日の天気は曇りでモヤも多かったが、それでも周囲の風景は申し分ない。紅葉の季節には本当に素晴らしい景色を見せてくれることだろう、など考えながら走っていると、ダムサイト近くの有峰記念館に着く。

実はこの訪問でもう一つ楽しみにしていたことがある。それは‘有峰トランプ’の購入である。早速、記念館で購入しようと見渡すが商品が無い。そこでレジの方に聞くと、向かいのビジターセンターにあるとのこと。わざわざトランプを購入しようとする者は珍しいのだろうか、レジの方は少し驚いたようで少し嬉しそうな感じ‥。今度はビジターセンターできくと、「ありますよ!」と元気な声。そしてめでたく購入となった。なぜトランプなのかはわからないが、これの制作には編集委員会が設けられたとのこと。様々な論議の末に生まれたもののようだ。中身を見ると、『有峰』集落の昔の写真や、有峰の植物や動物の写真など大変興味深いもの。それぞれに一言ことばが添えられているのが何か微笑ましい。トランプとして使うことは無いだろうが、私にとっては大事な資料の一つとなった。

この有峰では、自然が大変大事にされている。ビジターセンターの雰囲気やこのトランプを見てもそれを強く感じる。そして人と自然が触れ合う場をうまく作っている。また水没した『有峰』集落についても、人々の記憶から消えることのないよう伝えようとしている。ダムによっては、諸問題からその水没集落について触れようとしない所もあるのだが、ここではそんなことはない。なぜかそのことが爽やかな感じで、ビジターセンターの人たちの爽やかな印象と重なったりするのである。









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【2007/08/06 20:35】 | ダム | page top↑
#88 湖底の橋
~湖底の橋~

そういえば今年の初めに永源寺ダム(滋賀県東近江市)を通りかかった時も、雪景色のダム湖の湖底にこの橋を見た(「たまに一言#46」)。しかしその時はかなりの積雪の為、湖底に降りていくことができず、残念な思いをした。かつては集落だった風景も、大半の時間を冷たい水の中ですごすことで様相を一変させる。泥で彩られた風景は妙な統一感を感じさせ、モノトーンの世界を作り出す。湖底の風景、それを目にする時、何ともいえない切なさ・寂しさを感じるとともに、その風景の神秘的な美しさにも惹かれてしまうのである。

今回の永源寺ダム減水のために現れた風景を目にしたのは、もう日が沈んで辺りが暗くなってからだった。足元が真っ暗にならないうちにと、早速湖底へと降りていく。薄明かりの中に浮かぶ湖底の風景は何とも幻想的だ。しかし光が少ない中での撮影はシャッタースピードが上がらず、手ぶれの連続。といってフラッシュをたけば、この幻想的な風景の美しさは全く表現できない。三脚を使うような繊細さを持ち合わせた人間でもない。そこでノイズ覚悟で感度を上げる。ブレは免れないものの、何とか撮影可能な状態となり、思わずニヤける。沈んだ日の残り灯を頼りに写真を撮りまくる。ますます光は少なくなる。時間との戦いだ。撮影後の液晶に移る湖底の風景を見て再び驚く。実際以上に幻想的に写っている。

翌朝、再び湖底の橋を訪れた。前夜は暗く危険だったので橋の近くまで行けなかったが、この日は実際に橋を渡ってみた。昨年雪景色の中で見た時は、間違いなくコンクリート製だと思っていたこの橋だが、実は木製だった。二十数年間の水の中の生活を送る‘樋之谷橋’、は、橋げたが一部折れかかっているものの、まだまだ元気そう。厚く積もった泥をものともしないその姿が、何かたくましい。村ありし頃は多くの人、車、自転車、リヤカー‥を運んだ橋も役目を終え、ダムの減水時にたまに姿を見せてくれるだけ。だがそのたくましい姿を見て、私の中の切なさがいくぶんやわらぐ。

時折姿を現す樋ノ谷橋。ここを毎日普通に渡っていた人たちは、この風景を見て、どのように感じるのだろう‥










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【2006/12/09 00:00】 | ダム | page top↑
#56 ダムに消える村
~ダムに消える村~

何百年という長い歴史を終え、もうすぐその地から消えようとしている二つの集落がある。多賀町の芹谷にある『水谷』と『下水谷』だ。芹川流域の洪水対策としてこの地に「芹谷ダム」が建設されるからで、当初このダムは『下水谷』ではなく、芹川本流の『栗栖』にダムの堰堤が建設される予定だったようだ。そして計画変更に伴い名称も栗栖ダムから芹谷ダムに変わっている。
普通ダムと言えば、山間部に満々と水を貯えた風景をイメージするが、このダムはそうではない。通常は普通に川の水を通し水を貯めることはなく、大雨などで芹川の水量が増加した時のみ、本流である芹川から引かれた導水トンネルで水をこのダムに流し込んで水を貯め、川の水量を調節するという。

先日、この二つの集落を訪れてみた。決して広くない道沿いに老家屋が建ち並ぶ、とても美しい集落だ。村の入り口あたりですれ違った茶髪のお兄さんに会釈すると「こんにちは」と返ってきた。ちょっと意外な感じがしたが、心がなごむ。何軒かの家で、この冬の大雪で壊れた屋根の修理が行われていた。「この家もあと2年なんやけどなぁ・・(けど、なおさんわけにもいかんしなぁ)。」「あの寺の門あたりまで水が来るらしい。」「もう移転先も決まっとる。」など語る地元の方の表情には、あまり暗さは見られない。しかし寂しさがないわけではないはず・・。
あと2年で立ち退きとなるそうだが、その日が近づくにつれて地元の方々の故郷への思いはどのように変わってゆくのだろう・・。








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【2006/04/08 00:00】 | ダム | page top↑
#46 永源寺ダムの湖底から
~永源寺ダムの湖底から~

正月に愛知川上流にある永源寺ダムを訪ねた。滋賀県東部の三重県境近く、バックに鈴鹿山脈をのぞむその風景は、年末に降った雪が随所に見え、例年より雪多い冬を感じさせてくれる。

普段はただ通り過ぎるだけでじっくりと見ることのない永源寺ダムの風景であるが、この日はいつもと違っていた。ずいぶん水位が下がり湖底が見えかけているのだ。そしてよく見ると住居跡と思われる石垣が見える。さらによく見ると橋らしきものも見える。下の写真でもコンクリート製のものと思われる橋の欄干と橋脚がはっきりと確認できる。昭和51年のダム完成の前は、この橋の下に愛知川が流れ、多くの人や車などがこの橋を行き来したことだろう。
このダム建設に伴い『佐目』『萱尾』『九居瀬』の三集落が水没している。現在、道路沿いに残っている『佐目』の集落は、以前はダム湖底にも広がるもっと広い集落だったのだ。そのうちの多くがダム建設によって水没し、今は渇水時のみに当時の石垣や橋などが姿を現す。『佐目』のもう少し北にあった『萱尾』では今でも社を見ることができる。また対岸には『九居瀬』という集落もあった。こちら方は今は完全に廃村となってしまっている。

その時、その一瞬にしか出合えない風景に出合った時、とても幸せな感じになる。しかし時には切なくもなる。それでもやっぱり出合えて良かったと感じる。

そしてやはり「動いてよかった」と感じる。








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【2006/01/11 00:00】 | ダム | page top↑
#41 茨川(茶屋川)の自然とダム建設
~茨川(茶屋川)の自然とダム建設~

滋賀県の最東部、三重県境に近い鈴鹿の山間部に位置する旧神崎郡永源寺町『茨川』。何百年という歴史を持つこの地に人が住まなくなって40年が過ぎた。愛知川の支流茶屋川の上流、陸の孤島と呼ばれ廃村となるまでついに電気が通ることは無かったが、かつては木地師の道として、また鉱山(銀山)集落として、そして伊勢方面へと向かう多くの旅人の宿として栄えていたという。
戦後その廃村へと向かう茨川林道が着工されたものの、過疎化の進行を抑えることはできず遂には廃村となる。
しかし、人は去ってもそこには豊かな自然が残った。

その茶屋川にダム建設の話が持ちあがった。農業用水確保用の「永源寺第二ダム」である。だが、減反により水需要が見込めず事業費に見合った効果も得られない、さらに豊かな自然の破壊、などから当然多くの地元住民からは反対の声があがる。そして提訴となるが、一審の大津地裁では異議申し立ては退けられてしまう。2002年10月のことであった。

先日、大阪高裁で二審の判決が下された。一審判決の取り消し、つまり「ダム計画取り消し」である。住民側全面勝訴だ。巨大公共事業の見直しの風が吹く中でも、県が、町が推し進めてきたダム建設、この後どのような展開になるのかはわからないが、現段階では美しい茶屋川の自然が住民たちの手で守られたのは間違いない。そして今後の動向で、県の評価が問われることも間違いない。






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【2005/12/10 00:00】 | ダム | page top↑
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