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#39 廃村『尾羽梨』分校のブランコ
~廃村『尾羽梨』分校のブランコ~

前回のこのコーナーで、針川にお住まいだった方に貴重なお話をうかがったことを紹介したのだが、その時に、当時の住宅地図なども見せていただいた。それを見て初めて、丹生小学校の尾羽梨分校や小原分校、奥川並分校などの位置を正確に確認することができた。『奥川並』。は1993年に訪れた際に校舎の建物を確認していたものの、その他は全くわからずじまいだったので、本当に貴重な資料であった。

今はもう全てが廃村となっている、丹生北部六ヶ字のうちの一つ『尾羽梨』。早速そこに、尾羽梨分校跡を確認に出かけた。これまでにも何度か来ているのだが学校跡に関するものは見つけられていない。現地に着いて、住宅図を元に学校があった所をじっくりと調べてみると・・「あった!」
夏場は大量の草に覆われて、とてもじゃないが見つけることはできないであろうという所にひっそりとそれはあった。ブランコである。錆びきった支柱は折れ曲がり朽ちようとしているものの、座面もまだ鎖につながっている。紛れも無く、まだ「ブランコ」であった。
『針川』『尾羽梨』の子どもたちが毎日通った、かつての木造校舎の姿はもうないが、学校があったこと自体さえ想像もできないような地に、今なお残るブランコ。ギーコ、ギーコというブランコの音が聴かれなくなって何年経つのか。このブランコの前に順番を争ってかけよる子どもたちの姿。村を去る直前に「最後に!」という思いで乗る子どもたちの姿・・。様々な思いが勝手に頭の中をよぎる。しかしなぜかその風景は全てモノクロ・・。

何十回と訪れた豪雪の冬にも負けず残るブランコ、あと何度の冬を越すのだろう・・。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2005/11/30 00:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#38 ふるさと『針川』
~ふるさと『針川』~

滋賀県余呉町、高時川の上流部にある廃村群の一つ『針川』。滋賀県内の廃村のコーナーで紹介させていただいているように、1993年当時はいくつかの家屋がかろうじて残っていた。しかし、現在は家屋跡などは見ることができず、その地は草に覆われ当時の面影をしのぶものはほとんどない。何も知らないで訪れれば、おそらく集落があったことなど気づかず通り過ぎることだろう。

多くの廃村を訪れると、完全に自然にかえってしまい草に覆われたわずかな平地に集落の面影を感じさせるだけの廃村、家屋の痕跡は見られず残るのはわずかに石垣や階段のみという廃村、荒れてしまって人が住むことはできなくなっているが家屋が残っている廃村、家屋も手入れされ温かくて季節のいい時にはそこで元の住民の方が生活もされている廃村・・などいろいろな形態があることがわかる。後者の二つは畑や山仕事が今も続けられているという所も少なくなく、そのため訪れた時にそこに住んでいた方と出会える機会も多い。しかし前者の形態の廃村は、元の住民の方が帰って来られるというようなこともなく、住んでいた方との出会いはほとんどないといってよい。
私は、廃村に住んでいた方にいろいろなお話をうかがうのが大好きで、それは廃村訪問の際の楽しみの一つでもある。しかし『針川』は家屋も無い、畑も無い、お墓も移転されている、ということで元の住民の方にお話を聞けるなど不可能なことだと思っていた。それがある時、ひょんなことからそれが実現することになった。本当に偶然のことだった。
この夏に土倉鉱山のご出身の白川雅一氏にお話を聞けたのも、草川様という方が間に入っていただいて実現したものだった。そして今回の『針川』も、たまたま土倉鉱山でお出会いしたある方のお力添えで実現したのだった。

下の写真は、今回お話をうかがった中谷幸子様という『針川』のご出身の方の所蔵の貴重な写真である。年代ははっきりとはわからないが『針川』のご自宅の写真だそうだ。本当に貴重な写真である。その時の様子はまた『自由帳』にまとめたいと考えているが、もう少し追取材をしてから取りかかるつもりである。今までとは少し違う視点から「故郷」についてお話をうかがえたように思う。早くできるといいのだが・・。。






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【2005/11/20 00:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#37 こすもすコンサート
~こすもすコンサート~

先月末、土倉鉱山跡を訪れた。自由帳の『わがふるさと、土倉鉱山』で当時の選鉱場の写真(白川雅一氏撮影)を紹介させていただいているが、その写真に写っている選鉱場向かいの建物の残骸が残っているか確かめてみようと思ったからだ。夏場は雑草に覆いつくされ地面すら見えない。今の季節なら・・と鉱山跡に向かう途中、ふとみると「こすもすコンサート」の看板が・・。そういえば白川氏にお話をうかがった時もこのコンサートの話をされていた。

このコンサート、1994年に第1回目が開催されている。その当時の中日新聞には以下のような記述がある。

コンサートを主催したのは金居原創生会。同会は集落の人口が最近30年間で約200戸から100戸余りに半減し、地元では暗い話ばかり出るため平成3年3月、地元有志27人が「住民が楽しめる催しで暗いムードを変えよう」と設立した。最初の2年間は、夏にそうめん流しをしたが、3年目の昨年は、マンネリ化などを理由に計画は流れた。同会は「このままでは、また逆戻りしてしまう」と奮起。かつて活況を呈した土倉鉱山での野外コンサートを計画した。
(1994年10月19日「中日新聞」より引用)

ここにあるように、10年程前に始まった頃は土倉鉱山跡でコンサートが行なわれていたのである。同新聞には、記事と共に選鉱場を整備する地元の人たちの写真が掲載されている。その後、鉱山跡から2km程下の集落『金居原』に場所を移し今日に至っているわけであるが、この日も趣旨のとおり、会場は地元の方だけではなく他地域からも人々が集い、多くの老若男女で賑わっていた。地元で採れた野菜の販売や出店、そしてコンサート、今ではすっかり地元に定着したイベントとなっているようである。
また、その会場には白川雅一氏が撮影された土倉鉱山の写真も展示されていた。イベントの中でも土倉鉱山についてのお話があったようで、その話を聞いて鉱山跡を訪れられた方もいた。

土倉鉱山閉山から40年以上たった今も、地元『金居原』では『土倉』は健在なのである。






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【2005/11/12 00:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#36 公開1周年と「名も無き林道」
~公開1周年と「名も無き林道」~

現在、岐阜を訪門中である。雪が降る前にいくつかの廃村を訪れておきたいと思ったからだ。出発前に候補をしぼり岐阜に向かう。幸い天気も快晴、言うことはない。
・・と思った。

しかし爽やかな青空とは裏腹に、私の心は思いっきり曇り空となってしまった。行く先々、そこへのアプローチの道がことごとく通行止めとなっているのである。廃村をめざして長い距離を移動し、山道に入り、ようやくというところで無情の通行止め看板。仕方がないとは言え、やはりやりきれない。落ち込んだ。

諦めと落胆で車を走らせ、もうすぐ日が沈むという時、ふと一本の道を見つけた。何気なく入ってみた。舗装路がしばらく続き、その脇に未舗装路の起点がある。特に林道名の標示もない。何の期待もなく入ってみた。
ところが路面は適度に荒れており、なかなか面白そう。いや、路面だけではない。けっこうまわりの紅葉が美しい。
やがて夕陽の赤い光がさしてくると、風景は更に美しくなる。その光は赤や黄色の木々の葉をさらに引きたて、林道脇そして向こうの山々までを赤く、そしてオレンジ色に輝かせる。陽が低くなると更に光は赤みををび、まるで山全体が燃えているかのように見える。その手前ではススキの穂が逆光の中で美しく光る。何とも言えず美しい風景が目の前に広がっているのだ。そしてそれは、林道を進むたびに新しい風景として次々と私の視界に飛び込んでくる。
沈んでいた心が一度に晴れてしまった。 フラれ続けた廃村のことはもう頭にはない。起死回生の逆転ホームランが、旧荘川村の「名も無き林道」から生まれたのである。

ということで、このホームページも今日で公開以来ちょうど1年になりました。予想以上の多くの方に来ていただき、たくさんの励ましや応援をいただきました。本当にありがとうございました。これからもがんばりたいと思いますので、よろしくお願いします。






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【2005/11/06 00:00】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
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