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#66 ダムに沈む村の、ダムに沈まぬ集落
~ダムに沈む村の、ダムに沈まぬ集落~

他に選択肢があったのかと言えば、それは「なかった」のである。選択肢なく村の人たちは全員故郷の地をあとにし、村全体が廃村となった。

ダムが完成し、その村にいよいよ水が貯められる。その村で唯一水没から免れる地域へ訪れてみた。眼下に谷を見下ろしながら進む山間狭路に、ひっきりなしに工事用ダンプが通る。できる限り工事の邪魔にならぬよう車を走らせる。途中の集落跡は工事でけずられ、ほとんど何も残っていない。その集落跡からさらに奥へ8kmあまり走らせると、その最奥の村に着いた。
そこは静かだ。新たに小さな小屋も建てられている。川向こうにも家屋があり、前の畑で女性が何か収穫している。それだけを見れば村があった頃の風景と変わらないのかもしれない。しかし集落の大部分はもう何もなく、家屋の痕跡を思わせるコンクリートの基礎が、のびてきた草の合間に見えるだけ。
その中にポツンと地蔵様が見える。きれいな花が供えられている。その横にはまだ草に覆われていないコンクリート基礎が見える。きっと家屋があったのだろう。しかし他とは違い、そこだけは草に覆われてはいない。なぜ?と思いながら地蔵様に目をやる。沈む夕日に照らされる地蔵様の寂しげな様子が、強く印象に残る。

帰宅後、名古屋テレビで放映された『ふるさとの記憶~カメラばあちゃんの伝えたかったこと~』という番組を見た。感動・・。その中にその地蔵様も映っていた。そして私が見た、地蔵様横のコンクリート基礎の謎も解けた。
このコンクリート基礎には今年の春、つい1ヶ月前まで家屋があった。徳山に残る最後の民家だったのだ。映像には、先祖代々伝わった土地の、我が家の最後を見守る老家屋の主の姿も映されていた。語り尽くせぬほどの思い出が詰まった我が家。壊されてゆくその老家屋をじっと見守る主の表情は、あまりに悲しく痛ましく、そして切ない。ご先祖様からの語りかけで、最後まで残しておいたというその家屋、ダム工事も終わり、何もかも終わり、最後に取り壊されることとなった。そして故郷は終わりを告げる・・。

故郷でありながら、もう故郷ではない。故郷が残ってはいるが、そこで生活することは許されない。故郷は既に独立行政法人水資源機構の管理下。
徳山村はいよいよダムに沈み始める。しかしこの集落「門入」だけはダムに沈まず、いつまでも残る。その様子を静かに見守り続ける地蔵様、今は一体何を思うのか・・。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2006/06/25 00:00】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
#65 峠の監視カメラ
~峠の監視カメラ~

このサイトでも紹介している林道に、滋賀と三重を鈴鹿越えで結ぶ『安楽越え』がある。今では舗装されてしまい当時の面影は無いのだが、私がオフロードや峠に興味を持ち始めた頃によく訪れていたものだ。
その後訪れた時には道は舗装されおり、県境となっている峠(安楽峠)には焼け焦げた2台の車が放置され、大変情けない思いをしたのを覚えている。それからは第二名神の工事などもあり、しばらく訪れることは無かった。

先日久しぶりにこの安楽峠を訪れた。山女原の集落あたりには第二名神工事用のものなのか、立派な二車線道路がついていた。しかし安楽峠へと向かう道は昔のままの細い舗装路が残っている。懐かしいなぁ・・など感じながら峠へと向かう。走って程なく峠が見えてきた。焼け焦げの放置自動車はもちろんもう無い。しかしやはり何か違和感を感じる。よく見ると、何とこのほとんど人の来ない所に立派な監視カメラが設置されている。その横には不法投棄を戒める看板もある。

やはりここはその後も不法投棄が横行していたのか・・。そうでなければ監視カメラなど設置することはないだろう。何とも情けなくなった。こうしている自分も今、誰かに監視されているのだろうか・・など沈みがちに考えていると、三重県側から一台のスポーツサイクルが峠目指して上ってくる。急な峠道、その息遣いが遠く離れていても聞こえてくる。見ると年配の男性である。一言挨拶を交わす。爽やかに返事が返ってくる。そして「これくらい越えないと話しにならんですよー。」と男性。こちらも「気をつけて」と返す。男性はそのまま滋賀県側へ・・。

監視カメラで情けなくなった気持ちが少し爽やかになった。そして私はその男性とは逆の三重県側に下り、石水渓の美しさを味わうことにした。








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【2006/06/18 00:00】 | | page top↑
#64 五僧峠のむこう側
~五僧峠のむこう側~

「五僧越え」と呼ばれる岐阜県と滋賀県を結ぶ鈴鹿山脈の峠道。「島津越え」とも呼ばれ、非常に歴史ある道だ。今でこそ山仕事か登山客以外にはほとんど通る人も無いのだが、かつては伊勢と近江を結ぶ重要な道で、多賀詣などの時期にはひっきりなしに人が通ったという。
この道の峠部(県境)には廃村『五僧』がある。以前は『保月』からのアサハギ林道を終点まで行き、そこから山道を歩いてでないと行けなかったが、今では立派な林道が『五僧』まで着いている。しかし峠から岐阜県側への下り道は細い山道で、今なお徒歩でしか行くことができない。峠からの山道を岐阜県側に下ってゆくと『時山』という集落があり、以前から気にはなっていたものの訪れたことがなかった。先日峠のむこう(滋賀県から見た場合)のこの集落に、初めて私は訪れてみた。

『時山』は岐阜県側から見たら最奥の集落である。時山集落も他の過疎集落同様、村の学校は廃校となって久しく、今は二宮金次郎像が残る。廃校の碑を通って間もなく、川沿いの静かな集落は終わりを告げ、道は未舗装路へと変わる。この林道、もう峠の手前まで工事が進んでいるようである。この林道が開通すると滋賀と岐阜を結ぶ道路がもう一本増えることとなるが、周辺の地域にどのような影響を与えるものなのか、私には予測がつかない。滋賀県側のあの険しく狭い権現谷林道やアサハギ林道が立派な道になるとも考えにくい。冬場の通行はまず不可能。一体どういった道となるのだろう・・。

そういえば『時山』集落の手前に「時山バンガロー村」というキャンプ場があり、そこに「時山文化伝承館」という地元に根付いた資料館がある。「時山」集落の説明や昔の生活用具、可愛らしい刺し子作品などが展示されており興味深い。時山にお住まいの方がやっておられるので、お茶をご馳走になりながら集落のお話しなどをうかがうこともできる。興味のある方にはぜひお勧めだ。水曜、土曜、日曜のみの開館となっている。写真はその刺し子細工のフクロウくんである。何ともまあ可愛らしい。値札がついていないので幾らくらいなのか値段を聞いてみたが、館の方もわからない。どうやら作られた方ご自身が値段を決めるらしい。電話で聞いてくださったがお留守のようである。「予約しときますか?」とのことばに「今度いつ来れるかなぁ・・」。何とものんびりした感じが私にはぴったりだった。
またぜひ訪れてみたい「五僧峠のむこう側」。そんな思いで私は館を後にした。








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【2006/06/12 00:00】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
#63 かけがえのないもの
~かけがえのないもの~

廃村などを訪れると、家屋は朽ち果て残骸と化していても、お墓はいつまでもきれいに手入れされて真新しい花が供えられている、という光景をよく目にする。廃村となるくらいなので、かなり山奥で不便な所であるというのは間違いない。のび放題の草が狭い山道を更に狭くし、路面には多くのとがった石が転がる。路肩もひび割れ心もとない。そんな道を走っている時、ふと現れる手入れされた墓石ときれいな花。周りの荒れた様子とのギャップが激しいだけに、よけいにそこだけが目立って見える。何かやさしい光にそこだけが照らされ包まれている、そんな感じさえする。

先日、ある廃村(冬季無住集落か・・)を訪れた。人が住まなくなったその集落の中央あたりにある戦没者の鎮魂碑。その周りを一人のお年寄りが丁寧に草引きをされている。奥にはきれいに花が供えられているのが見える。うかがうと「暑い時も雪が降る時も、一年中来てますよ。」とのこと。こうしていつも手入れに来られるのは、今はもうこの方だけになったそうだ。
その方ご自身は入隊直前で終戦をむかえたので、戦地へは行かれていないという。しかしここに眠る戦没者たちとさほど変わらない年齢。小さな村のことだから、おそらく幼い頃から一緒に学校へ行ったり山や川で遊んだりなど、亡くなった方たちとの思い出は深かったことだろう。山深い小さな村の世界しか知らないまま、遠く離れた異国の地で命を落とし、生きて故郷に帰ってくることのできなかった若者たちを、残された者も決して忘れることはない。本来ならばそんなに早く消える命ではない、その悲しさやさみしさ、無念の思いは計り知れない。

戦争が終わって60年以上が過ぎた。
「何でこの村だけこんなに多くの戦死者が出たのか・・。隣の村も、こっちの隣の村も誰も死なんかったのに・・。」と静かに語る老人。山奥の厳しい環境の中でも欠かさず通い続け、碑を丁寧に手入れし花を供えるこの老人の戦没者への思い、それは故郷の地を踏めなかった戦没者たちにとっては本当に、かけがえのないもの。亡き人を思う心、その心が絶えることなく過ぎた何十年、その思いは人のいなくなった村を今なお故郷として保ち続けている。

今はまだこの「かけがえのないもの」が、過疎となり廃村となった各地の集落跡で見ることができる。そこで故郷への思いを感じることができる。人がいなくなった村、姿を消そうとしているそのような村であっても、今なお多くの物語が続いているということを、いつまでも感じていたいと思う。


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【2006/06/03 00:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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