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#71 県境の分校
~県境の分校~

この夏は雨が非常に多い。そんな中、気まぐれに岐阜県を訪れた。週間天気予報などである程度事前の天気はわかってはいたのだが、「もしかして晴れたりするかな・・」など都合の良いイメージを浮かべながらの訪問。しかし、物事はそううまくはいかず、やっぱり雨が降る。

今回の訪問、岐阜の「加須良」という集落跡を見ようと訪れたのだが、ここしばらくの大雨と、この日も雨と言うことで山奥は危険だろうと判断し、早々に断念する。仕方ないなぁと、岐阜と富山を結ぶR156を北に車を走らせる。
岐阜と富山の県境が複雑で次々と県の標示が入れ替わるあたりで、いきなり木造校舎が視界に飛び込んできた。道からは上部しか見えなかったが、運転しながらも一目で木造校舎とわかるその佇まいが私の目を惹く。かなり古びたその校舎、廃校であることは間違いない。
濃い雲に覆われた薄暗い空、小雨が降る中に浮かび上がる木造校舎・・何とも切なく寂しい・・しかし美しい。入り口の戸や窓が開けっ放しになっているこの学校、名前さえわからない。再利用はされているようだが、それも曖昧に思えるほど中は荒れている感じだ。小さな校庭には錆びたジャングルジムやブランコが見えるが、もちろんもう何年も使われた気配はない。現役の頃、元気に子どもたちが登校したであろう道は、今は人の気配を感じることはできず、スピードを上げて車が走り去るだけ。ふだんはやかましく感じる車の音だが、この風景の中ではなぜかホッとする。

帰宅後調べてみると、この学校は『白川村立白川小学校小白川分校』という学校だということがわかった。白川小学校のWEBサイトには「昭和47年4月小白川分校児童、富山県西赤尾小学校に委託」「平成4年3月小白川分校廃校」という記述がある。ということは、生徒が通わなくなって35年、廃校となってから14年が過ぎているということだ。あと何年この姿を見ることができるのかはわからない。だが豪雪の降るこの地域、傷みが加速度的に進んでゆくことは間違いない。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2006/07/30 00:00】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
#70 冠山林道と水没集落
~冠山林道と水没集落~

久しぶりに冠山林道を訪れた。前回の訪問が2002年秋、もう4年近くも前のことになる。

この冠山林道、2年前に福井県を襲った大雨の影響でずっと通行止めであったのだが、春になって復旧工事が終わり開通したという情報を聞き、是非とも訪れたいと思っていた。全線舗装の林道だが、岐阜県側の風景は雄大さを感じさせてくれ、冠山の見える峠からの風景は美しい。また塚林道(これも完全舗装されてしまったが・・)とのセットは、距離、風景、雰囲気ともに林道の雰囲気を堪能させてくれるのに十分。さらに旧徳山村へと通じるのも嬉しい。
残念ながら今回は曇り空の中の訪問であったが、その雄大な風景は健在で、仕事疲れの心を思いっきり癒してくれた。先を見れば冠山とそれに連なる峠、振り返れば揖斐川の流れるV字谷、という独特の風景はやはり美しい。

今回は塚林道を経て冠山林道に向かったが、冠山林道に入る前に旧徳山村最奥の『塚』『櫨原』の両水没予定集落を訪れた。14年程前に初めて訪れた時のこのあたりの風景は今でも強く印象に残っている。山深さを感じさせながらも広々感、開放感があり、決して暗い雰囲気がない美しい風景、静かに流れる清流の音ときこえる鳥の声。川沿いを走る狭路にすれ違う車はほとんどなし。実にゆったりしていた。しかし現在のその地は水没後の新たな道路の建設工事で慌ただしい。プレハブの工事事務所が建てられ、多くの工事車両が砂煙を舞い上げながら細い道をバンバン走る。とてもじゃないが集落の最後の風景を味わうなどの雰囲気は持てない。唯一、工事車両の指導の行きとどいたマナーの良さにホッとする。

全ての工事が完成し水が貯められた後のこの地の風景はどうなるのだろう、などと考える。しかし10年後には水を満々とたたえたダム沿いの道を走りながら、水没前の風景を薄れる記憶の中から思い出すことになるのだろう。そう考えると何とも切なくなり、もう一度水没前に必ず訪れたいという気持ちになってくる。










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【2006/07/23 00:00】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
#69 板取宿(福井県)のこと
~板取宿(福井県)のこと~

福井県の今庄町の『板取』を訪れた。南に下れば栃の木峠を境に近江の国となるこの地、かつては北国街道沿いの宿場町として大いに栄えたという。豪雪地帯であるこのあたりであるが、古くから交通の要衝であったということは、ここに関所があったことからもよくわかる。

北国街道(R365)は年に何度も利用する。そしてその度に道沿いにあるこの『板取宿』が気になっていたのだが、実際に訪れるのは初めてである。角川地名大辞典で調べると、この集落は世帯数も人口も0となっている。だから私の中では、廃村となって以来、建物のみが文化財のような形で保存されている、という認識なのであった。
しかし訪れて驚いた。きれいに整備された石畳の道沿いに何軒か立ち並ぶ茅葺家屋(「甲造り」というらしい)。その庭先には洗濯物が干され、犬がいる。車も何台も停まっている。人が住んでいるのである。全く自分の認識のいい加減さにあきれる・・。
うかがってみると、この地は廃村となった後に一般に居住者を募り、人がそこに住むことによって家屋や家並みの保護が進められている、ということだそうだ。話をうかがった方は「応募してみたものの、まさか当たるとは思わなかった。」ということであったが、住み始めて既に13年が過ぎたという。最初は床も抜け落ちボロボロの状態であったというが、やはり人が住むということは、建物がきちんと手入れされ空気が流れる、いわば息吹きが与えられるということなのか、本当に建物が生き生きとして見える。「家は人と共に生きる」ということを改めて感じる次第だ。
北国の雪と違い水分の多く含んだ雪であるがゆえ、屋根の萱が非常に分厚く造られた独特の茅葺屋根は、色といい形といい実に美しい。日差しの中で黄金色に輝く茅葺屋根をしばし眺める。
しかしここは豪雪地帯。特に今年の大雪は大変だったそうで「二階から出入りしなければならなくなるかと思いましたよ。」「三日間孤立して、二日間電気が来なかった。」など例年にない多くのご苦労をされたようだ。しかしそのことを話される表情は明るい。

一度は廃村となり無住となったこの集落であるが、今は人が住み、庭先に色とりどりの美しい花が咲き誇り、その横ではのんびりと犬が昼寝をする。町なのか県なのかは確認していないが、廃村となった地の廃屋を人が住めるように自治体が整備し居住者を募る、そして村を、街並みを存続させる。これは本当に素晴らしいことだと思う。もちろん古くから伝統ある地ゆえのことなのだろうが・・。








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【2006/07/16 00:00】 | 福井県山村・廃村・自然 | page top↑
#68 ある集落にて
~ある集落にて~

この集落に住んでおられた最後の一人が住民票を移され、昨年ついにこの地は住民数ゼロの村となった。廃村である。しかし冬場以外はその方も帰ってきておられるようで、この日も姿を見かけることは無かったものの、明らかに家にはおられる様子だった。その方の飼い犬だろうか、白い犬が吼えながら近づいてきて私を威嚇する。

今ではほとんど人を見かけることのないこの集落、かつてはセメント鉱山が近くにあり、この集落にも社宅、寮などがあった。最盛時には居酒屋なども集落内にあり、仕事帰りの工夫たちで大いに賑わっていたそうだ。村の子どもたちは、お金を払って寮の大きなお風呂に入りに行ったりするのが楽しみだったという。雑草に覆われ、荒れ放題となった今の風景からは全く想像がつかない。
ふと目をやると一軒の崩れかけた老家屋。壁板には崩れまいと必死になって支える支柱が何本も立てかけられている。確かにこの支柱、壁が倒れるのは防いでいる。しかしトタンで覆われた大きな茅葺の屋根が崩れることまでは防げない。崩れ落ちた屋根の重みが壁や柱にのしかかり、押し倒そうとする。それでも何とか倒れまいとしている老家屋に、支柱にこめられた家主の思いを感じる。

この老家屋には長い歴史があり、多くの人間ドラマがあったことだろう。しかしこの集落にはもっと長い歴史があり、何十、何百倍ものドラマがあったはず。崩れ落ちようとする家屋を何とか支える支柱、全ての人が去った後も集落に最後まで住み続ける人、何か共通のものを感じてしまう。
長き歴史を人知れず、そして静かに終えようとしている小さな集落が、今ここに一つ。








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【2006/07/09 00:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#67 ある木造校舎の第二の人生
~ある木造校舎の第二の人生~

このコーナーでも何度か取り上げている(#09、#23)伊香郡余呉町の丹生小学校、TVドラマ『二十四の瞳』のロケでも使用された大変美しい木造校舎の学校だ。しかし廃校となって既に1年以上が過ぎ、その外観は急に衰えを感じさせるようになり、子どもたちで賑わっていた頃の輝きを日ごとに失いつつあった。以前町教育委員会の方にお話をうかがった時に「校舎の今後については決まっていません。残念ですが、取り壊しということも視野の一つに入れながら考えていかなくてはならない状況です。」と寂しげに語られていたのが印象に残っている。百年以上もの歴史を持ち、地元の方からも愛され続けた丹生小学校、その木造校舎の今後については私もずっと気になっていた。

そんなある日、中日新聞のサイトを見ていると以下のような記事が載っていた。以下、抜粋である。

『廃校になった小学校を利用し、不登校の児童、生徒を支援する教室づくりが余呉町で進んでいる。ボランティアの力を借りて校舎を改装し、7月ごろから受け入れを始める方針だ。準備を進めているのは、3月末まで同県長浜市青少年センターで不登校や非行の子どもと親のカウンセリングをしていた唐子恵子さん(49)。「不登校の支援は即応性が大切。行政は決裁に時間がかかるなど支援が遅れてしまう。それなら自分で教室をつくろうと決意した」と話す。
活用するのは、昨年3月末に廃校となった余呉町上丹生の旧丹生小学校。センター勤務時代に同校を訪れた際、木造2階建て校舎に温かみを感じ「ここなら」と思い立った。余呉町に貸与を申し入れ、町側も快諾。教室の名前と同じ特定非営利活動法人(NPO法人)「子ども自立の郷ウオームアップスクールここから」を発足させ、長浜市から教室近くに移り住んだ。
(中略)
今月から壁の塗り替えなど改装に取り掛かったほか、近くの住民がソファなどの備品を提供するなど支援の輪も広がっている。唐子さんは「将来は校舎内に喫茶室をつくり、住民との交流も目指したい」と話している。』
(中日新聞:滋賀版より引用)

廃校となった校舎の再利用への地元の方や町教委の思いが伝わってくるこの記事、これを見てホッとしたのは私だけではないはず。木造校舎の温かみに価値を見出されての第二の人生、何とも喜ばしいことだ。そして何より素晴らしいのは、過疎の村のこの校舎で子どもたちの姿が再び見られるということである。何らかの理由で学校になじめなかった子どもたち、その子どもたちがこのような温かさに触れて今後どう成長してゆくのか楽しみだ。








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