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#103 白川町の大山小学校
~白川町の大山小学校~

山村などを訪れている時、何の前ぶれも無く出合う木造校舎、どれも思わずドキッとするもののその姿は様々だ。古びるままに傷んで今にも取り壊しがされそうなもの、再利用されているようだが傷みが目立つもの、再利用の為の大幅な改装でかつての校舎の面影が失われてしまっているもの、手は加えられてはいるがかつての面影を残しつつ現在は別の用途に利用されているもの、そして本当にまれではあるがいまだ現役校舎として元気に使用されているもの・・。

昨年秋に岐阜県を訪れた時に出合ったこの木造校舎、車窓から遠くに見えた時、その立派で美しい佇まいから「ひょっとして現役?」と感じる程だった。しかし近づいてみると校門の門柱からは学校名が剥がされており、既に本来の学校としての役割を終えていることがわかった。それにしてもこの美しく保たれた外観(明らかに改装されて他用途に使われていることがわかるのだが)、これほど建物の規模が大きく立派で、今なお威厳ある風貌を堂々と誇る木造校舎は珍しい。真新しく感じる玄関の赤い屋根瓦が、黒く塗られた壁面板と調和して美しく映える。そしてその玄関には新たな第二の人生を物語るかのように「濃飛建設職業能力開発校」と書かれた看板と「見知食作(みちくさ)館」の看板。帰宅後に調べてみると、現在は伝統建築の技術者を養成する学校と地元の公民館の二つの用途に使用されているということがわかった。

この日は休日ということで学校関係者の姿は無かったが、校庭では自転車に乗って遊ぶ小さな子どもの姿。そしてしばらくしてキャッチボールをする親子の姿も見られた。広いグランドも廃校にありがちの荒れた様子は無く、本当に今でも沢山の小学生が授業終了のチャイムと共にグランドに出てきそうな、そんな感じがする。昭和60年に廃校となったというから、小学校としての役目を終えてからもう20年以上もたっているはずだが、子どもが遊ぶ姿に全く違和感は感じない。ふと校庭の隅に目をやると、そこにはかつて小学校であった頃の名残を見ることができた。卒業制作らしきものや学校跡の碑、そして木造校舎の定番である二宮金次郎像。ここの金次郎も植木に隠れ少し控えめだが、何とも可愛らしい。この校舎自体が昭和9年の竣工というから、おそらくこの金次郎も同じ頃に作られたのか・・。それならもう70年以上もここにいることになる。金次郎像自体が苔むしかなり風化しているようだが、この先何年ここに居続けるのだろう。

廃校後も元気に第二の人生を歩んでいる岐阜県加茂郡白川町の白川町立大山小学校、全く縁もゆかりもない私であるが、なぜか嬉しくなってしまった・・のである。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/03/26 20:19】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
#102 うれしいこと
~うれしいこと~

このサイトを公開して2年と数ヶ月になる。その間にいろいろな地を訪れ、いろいろな方とのふれあいがあった。それらふれあいは、私にとってはどれもとても大切な宝のようなものである。

先日というか、お正月明けにある方からメールをいただいた。実はその方の祖父母となるご夫婦に私は以前廃村でお話をうかがっており、そこで大変親切にしていただいたことや、そこでうかがったお話などをサイトで少し紹介させていただいている。その日ちょうどお正月ということで、お話をうかがったご夫婦がお孫さんにあたるそのメールをいただいた方の所に行かれており、そこで私のサイトをご覧になられ大層喜ばれているとのこと。また、お話をうかがった時のお礼にと、後日お渡ししたご夫婦それぞれの故郷となる集落の写真のアルバムもとても大事にされているということも書かれてあった。そして「祖父母がぜひお礼を伝えたい」ということで、お孫さんがメールをして下さったのだった。

本当に嬉しく思った。実際に廃村にお住まいだった方から、サイトを見ていただきこのような感想をいただく、こういう時「サイトを始めてよかったなぁ・・」としみじみと感じる時だ。加えて、私の方こそお礼をしたいくらいであるのに、このように思っていただいてることも誠に嬉しい限りだ。そして先日、その方からお礼の手紙をいただいた。また春になればその集落に仕事に出かけるのでお立ち寄り下さい、というようなことが丁寧に書かれてある。嬉しかった。お言葉に甘えて、またぜひ訪れさせていただこうと思う。あの美しい集落の風景を味わうとともに、いろいろなお話をまたうかがえる。今からとても楽しみである。

廃村を訪れた時、地元の方に親切にしていただくことがけっこうある。見ず知らずの正体不明の怪しげな?私であるのに、本当に感激である。お話をうかがう多くの方が、今の時代からは考えられない激動の時代を生きてこられた方たちである。多くの愛する人たちの命が奪われ、自らの命さえいつ消えるかもわからない、明日も生きられるかわからない、そんな時代を超えてきた世代。悲しみや辛さは、今の人間の何十倍も経験されているはずなのに、そういった悲壮感は見せることなく、こちらから問うと初めてそのことを語られるくらい・・。そのすごしてこられた重みを、今の時代の者はもっと感じる機会が必要・・など思う。

‘昔を振り返り、未来への道標とする’ことの大切さを、いろんな場面で感じたりするのである。








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【2007/03/21 16:23】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#101 芹谷の春
~芹谷の春~

今はどんな花が咲いているのかなぁ?何の新芽が出てる?これは、そろそろ春の訪れが体感できるこの時期に山村を訪れる時の、私の大いなる楽しみの一つである。と言って決して植物に詳しい訳ではなく、ただ春を告げる美しい色の花や葉、新芽などを探し、見るだけ。だから目にするほとんどの植物の名前もわからず、ただ美しさと素朴さにホッとしているだけなのである。

毎年、春になると何度も芹谷を訪れる。狭い地域でありながら10以上もの集落が、標高でいえば200m~600mの地に点在しているこの地、自然いっぱいの中で普段の生活では目にすることのない多くの自然の植物に出合うことができる。そして冬から春へと季節が変わるこの時期は、独特の雰囲気を持った美しさが味わえる。色鮮やかな花が咲き誇る美しさではなく、長らくの冬の厳しさを少しずつ打ち破るような、小さな植物たちの素朴で力強い美しさ・・である。冬場には多くの植物が葉を枯らし、山村の風景の彩度は大いに下がり、イメージとしては無彩色の状態に近くなる。そしてその風景は、何とも言えぬ寂しさや切なさを見るものに与える。時には真っ白な雪がその無彩色名風景を覆い隠し、無彩色ながらもトーンの強い風景を作ったりもするのだが、それも無彩色の世界に変わりない。しかし春はそれを打ち破る季節。そしてそこには初々しい彩が生まれ出る。

この日訪れた集落は、無彩色となる冬には住民が姿を消す集落。さすがに今年の暖冬はそうではなかったが、大方の冬はしばしの間、雪で道が閉ざされる。昨年の同時期に訪れた時は、大雪の影響で台座から落ちた神社の狛犬が地面に倒れたままになっており、残る雪も多く人の気配は感じられなかった。また気温もまだまだ低く、無彩色を打ち破る彩も見られなかった。しかし今年は集落中央の空き地に車が停まっていたり、呼び合う人の声が何度か聞こえたりなど、昨年とは違った少しにぎやかな感じがする。中でも幼い子どもらしき声が何度も集落の中に響きわたっていたのが、とても新鮮な感じだった。

植物はと言えば、新芽や出たばかりの緑の初々しい葉、そして白い梅の花などがちらほらと無彩色の中に目立つくらい。そんな中、石垣には私の大好きな花である福寿草を見ることができた。苔むした石垣の中に見える福寿草の黄色は、鮮やかと言う黄色ではないが、控えめな中にも薄灯りがぼんやりと燃えるような力強さを感じさせてくれて、とても美しい。繊細と言うか、透明感があると言うか、この福寿草の黄色に心癒される。

周りが薄暗くなるとともに、先ほどまで聞こえていた人の声はやがて聞こえなくなり、村に静寂が戻ってきた。薄暗くなった中でも石垣の福寿草は薄明かりのように灯っている。遠くを見ると、まだ雪の残る谷向こうの山が見える開けた風景。標高わずか300mちょっとのこの集落であるが、そこから見える風景は何かずいぶんと高地にいるような感じがする。また山の斜面に張りつくかのような家屋の多くに傷みはあるものの、まだまだ人の温かさを感じることができ、それに少しホッとする。そして無彩色の中の植物たちの彩りも何か嬉しい気分。今日のようにじっくり見るのは初めてだが、本当に美しい集落であることを改めて認識したこの日の訪問だった。

この芹谷には、人の住む集落、人の温かみが感じられる集落、消えつつある集落、人のいなくなった集落、自然にかえりつつある集落など多くの集落が存在する。しかし近い将来、人の住む集落がまた一つ、二つ姿を消す。そして工事の大型ダンプ用の道がつけられ、大型ダンプや重機が行きかう場所となる。それまでもうあとわずか・・。

工事が終わり再び静寂を取り戻す時、芹谷がどのような風景となっているのか・・やはり私には想像することができない。









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【2007/03/12 03:17】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#100 芹谷の金次郎
~芹谷の金次郎~

滋賀県犬上郡多賀町の芹谷地区にあった多賀小学校芹谷分校。透明な水が美しい芹川沿いにあったこの学校も過疎化の波の押し寄せとともに、平成5年に本校の多賀小学校に統合されて閉校となっている。そして赤い三角屋根の白い校舎も、今はもうその姿は無く、学校跡地も整地されてしまって道端の地蔵さんが残るだけ。校舎が取り壊されてまだ3年くらいしかたたないのに、この芹谷に校舎があったのがずいぶん前のことのように感じるのはなぜだろう。

以前、芹谷地区のあるお年寄りの方にお話をうかがった時に、この芹谷分校にあった二宮金次郎像が、現在『河内』集落あたりにあるということをうかがった。きっと放っておけば校舎とともに壊されてしまう金次郎像のことを、惜しみ悲しんで移されたのだろう。おそらく幼い頃にこの金次郎をずっと見ながら学校生活を送られた方に違いない。
そのことがずっと頭にありながらも「芹谷の金次郎」を確認する機会は無かったのだが、先日芹谷を訪れた際に、地元の方からいろいろお話をうかがっている中でその話が出てきた。それによると現在は「河内の風穴」の手前の八幡神社前にあるという。それではとばかりに、その話をうかがったその足で早速訪れてみたのである。

その二宮金次郎像はすぐに見つかった。言われたとおり、本当に神社のすぐ前にある。「こんないい所に移されていたのかぁ・・、大事にされてるなぁ」と何か無性に嬉しい気分になる。とても元気そうだ。何十年にもわたって学校の子どもたちの勉強する姿を見続けていた金次郎だが、今は風穴に訪れる観光客や、宮参りをするかつて共に暮らした子どもたちの姿を見守り続けていたのである。手にしている教科書の上に賽銭の小銭が数枚置かれているのが、何とも可愛らしい。「ここならきっと寂しくない」そんな風にも感じた。

今、手元に40年以上前の芹谷分校の写真がある。この時の分校校舎は、この取り壊された芹谷分校校舎ではなく、それより先代の木造校舎の芹谷分校である。いや当時は芹谷村の芹谷小学校だったのかもしれない。場所も今とは違った所に建てられていた校舎だ。写真の所有者の方の承諾を得ていないので掲載できないのが残念であるが、その古びて色あせた写真には、木造の校舎の前で女の先生と一緒に写真に収まる20数人の元気そうな子どもたちの姿が写っている。そしてその子どもたちの中央には、あの二宮金次郎像!!何人もの子どもたちによじ登られて、迷惑そうな楽しそうな・・。何か色はやけに黒っぽいが、紛れも無くこの日神社の前で見たあの金次郎だ。昔から子どもたちに親しまれ、愛されていた様子がよくわかる。この写真を見て、何かさらにまた嬉しくなった。

何十年にもわたって芹谷の子どもたちの姿を見続けてきた金次郎像は、今はその場所を変えて、かつての子どもたちを見守っているのである。八幡神社の鳥居の前の金次郎、きれいに手入れされて小ざっぱりしたその姿から、芹谷の人たちの金次郎への愛情が伝わってくる。強い過疎化の波が押し寄せるこの地域だが、この先も何年、何十年と、ずっと金次郎が寂しく感じることが無いように続くことを祈るばかりだ。

「芹谷の金次郎」、学校無き後も今なお健在なのである。









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【2007/03/04 19:44】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
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