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#127 故郷への思い・奥川並
~故郷への思い・奥川並~


先月、本サイトの県内廃村の項で『奥川並』を大幅に修正し、再公開させていただいた。その中でもふれているように、奥川並にお住まいだった方の多くは、離村時に同じ余呉町内に集団移転されている。先日その移転された地を訪れてみた。といっても、そこに住まわれている方と何らかのつながりがあるわけではなく、全くの飛び込みで行ってみたのである。以前からそこはぜひとも訪れてみたい、と思っていた。一つは離村と共に移された村の八幡神社を見たかったこと、もう一つはもしかしてそこに住まわれている『奥川並』出身の方からお話がうかがえるかもしれない、などの思いがあったからだ。事前に古い住宅図であらかじめ場所を確認しておいた。しかし離村が昭和44年というから、既に40年もの年月が流れていることになる。その間ずいぶんと様子も変わっているはず、という不安を抱きつつ蒸し暑い中を大汗をかきながら歩く。

意外なことにそのあたりの風景は古い住宅図とさほど変わることも無く、すぐに見つけることができた。そして住宅図に示されている所には廃屋もあるものの、今も何人かの方が住んでおられる様子。しかし暑いせいもあるのか、屋外に人の姿は見られない。思い切って玄関先を訪ねてみることにした。見ず知らずの人間がいきなり現れて昔の生活のことを聞くなど、誰しも警戒する何とも無謀で失礼な行為ではあるのだが、それを承知で訪ねてみることにした。縁もゆかりもない人間のこの訪問、「いったい何者?」とばかりに、やはり警戒されてしまった。しかし少しずつ話ししていうるちにこちらの思いも少しずつでも伝わったのか、その方は時折笑顔も交えながら「私はもう年やから、昔のことは覚えとりません。○○さんやったらもっと詳しいこと教えてくれるよ。」と、ある方を紹介してくださった。そして突然の無礼を詫び、紹介いただいた方のお宅を訪問することにした。

そこでもやはり最初はいろいろ警戒されてしまったが、怪しいなりにもあれやこれや資料を抱えていろいろなことを質問する姿に安心感を持たれたようで、結果的にはじっくりとお話をうかがうことができた。そして『奥川並』の項のサイト公開に向けて調べていく中で感じていたいくつかの疑問などについても、地元の方ならではのお話がうかがえることができた。私にとって何とも貴重な時間となったのである。

本当に突然の無礼な訪問であるに関わらず、その方は小一時間にわたって、丁寧にお話をしてくださった。一つ一つの質問に丁寧に答えてくださった。そしてその方に最後にうかがったお話が、今回うかがった中でも特に印象深いことばであったので、ここで紹介させていただくことにした。それは、今でも月に1回は訪れると言う奥川並について、「訪れた時に、昔のこととか思い出されることがありますか?」という私の質問に対してのことばである。

「今も{奥川並に)帰った時は懐かしいよ。もちろんもう家も何も残ってないけど‥、ここに家があったんやなぁとか‥小さい頃のことをよう思い出すなぁ。川で魚採りをして遊んだこととか‥。その頃のことは一番よう憶えとる。‥そう、今でも奥川並のことを夢に見ることがあるなぁ。‥よう夢に出てくる。夢の中の奥川並は昔のままで、家がいっぱいある。(実際の奥川並は)家もなんもないけど‥夢の中では家がいっぱいある。昔のままの姿の奥川並を夢では見ることができるんや‥」

このことばをうかがった時、寂しさや切なさを超えた何ともいえない感動を私はおぼえた。姿を変えてしまった故郷、しかし何十年過ぎようと、そして如何に姿を変えようとも枯れることの無い故郷への思い。今もよみがえる、少年の頃の故郷の姿。人間にとって‘故郷’とは何なのか‥ということへの一つの答え、そんな気がしたのである。

奥川並の共同の墓碑はいつもきれいにされている。ダム工事で一般の者が立ち入れない時でも、この墓碑はかつての村人たちによって常にきれいにされていたという。そのことが先ほどのことばと全く自然につながってゆく。生まれ育った故郷への思いと先祖を思う心、家族を思う心、感謝の気持ち、そして今でも現れるかつての故郷の姿‥それらが一つになってつながってゆく。そのことへの感動、その余韻を感じながら、私はその足で移転された八幡神社を訪れてみた。大変こざっぱりときれいにされている。一目見て、そこが大切にされていることがわかる。人々とともに故郷を離れた八幡さまであるが、やはりそこでも変わることなく、村人たちから大事にされていたのである。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/09/18 22:44】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#126 出郷橋と土倉橋
~出郷橋と土倉橋~


出郷橋(でごばし)。土倉鉱山跡へ向かう林道の入り口付近、‘土倉出郷’にかかる橋だ。コンクリート部が苔むし古びてはいるものの、国道(R303)の橋として今も現役で活躍中。それどころか、滋賀県木之本町と岐阜県坂内を結ぶ八草トンネルが開通してからというもの、交通量は以前より増えている状況。といっても元々が少ない交通量ではあるのだが‥。訪れたこの日は休みの日ということもあって、ドライブと思われる車やバイクがけっこう頻繁に橋の上を行き交っていた。見ると大部分が岐阜方面からの車。この出郷橋、冬場は積雪で通行止めとなるものの、それ以外の期間はけっこう橋として忙しくしているようである。

かつてこのあたりは、土倉鉱山で働く鉱夫たちやその家族、関係者たちなどで大いなるにぎわいを見せていた。学校はもちろん映画館や銭湯もあったという。集落もいくつかの地区に分かれ、小さいながらも一つの‘鉱山町’を作っていたのだった。しかし昭和40年の閉山以降、街からは全ての人々が姿を消し、かつての賑やかさがまるで嘘かのように、周辺は静寂に包まれることとなった。町は廃墟となったのだ。何時間もかかる峠越えのくねくね道。崩落や、そのための工事で日常茶飯事となった通行止め。車一台が何とか通れるような狭い道に弱い路肩。たとえ国道であっても、そんな道を好んで通る車はほとんどなく、時折思い出したかのように峠を越えをする車のエンジン音が静寂を破るだけ‥そんな状況が長らく続いたのだった。

そうして十年二十年と年月が流れた後、再びこの地が賑やかになる。その音の主はトンネル工事用のダンプや重機、そして行き交う工事関係車両。山を拓き道をつける。山を削りトンネルを通す。大工事が始まったのである。

今この地域、大きく変わろうとしている。八草トンネルの完成に引き続き、平成20年にはそれにつながる立派なバイパス道も開通する。バイパスとなる巨大な橋は既に完成し、巨人の足のようなコンクリート製の橋脚がこの地に根を下ろし、かつての鉱夫の町を見おろす。いったい何メートルの高さがあるのだろう、上から見ると目眩がして思わず引き込まれそうになる程の橋の高さ。出郷集落の上あたりにかかる橋は‘土倉橋’という。今後はこの橋が土倉周辺の顔となるのだろうか。その橋から山間部を見ると、遠くの木々の中に土倉鉱山選鉱場跡がわずかに見える。しかし車で走行している限りよほど注意しないと気がつくことはない。また、この巨大な橋脚の足元には、伊勢湾台風時に土砂崩れ災害の犠牲となった多くの方の魂が静かに眠っている。しかし、そんなことなど無関係とばかりの巨大な圧力を、周りの風景とはかけ離れたこの橋からは感じてしまったりもする。

R303の現役の橋、苔むした‘出郷橋’はやがて‘国道の橋’としての役目を終えるだろう。そして新たに‘土倉橋’がR303の橋として土倉を語ることになる。しかしこの真新しい巨大なコンクリート製の土倉橋に、かつての土倉を語れと言うのは何とも無理な話。選鉱場跡ばかりが目立って関心を集める土倉鉱山跡。しかしその周囲には多くの生活があり、今なおわずかではあるが、それらの痕跡も残されている。間違いなくその地には人々の笑いがあり、涙があり、多くのドラマがあった。いかに年月が流れ、姿形が変わろうとも、ここがかつての住民の大切な故郷であることに変わることはない。そのことをささやかに伝える出郷橋、そして人々の生活の痕跡、涙の跡。巨大な橋に押しつぶされてしまいそうになりながらも、今なおきっちりとそのことを伝えてくれることを嬉しく感じたりする。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
【2007/09/10 21:39】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#125 下小鳥ダム周辺で見たもの
~下小鳥ダム周辺で見たもの~


知らないところを訪れる時、私の場合、二通りの訪れ方がある。一つは事前に目的地をはっきりさせ、下調べも十分にした上で訪れる場合。もう一つは、大体の方面だけを決めておいて、あとは現地について気分次第で訪問場所を決める場合。それぞれに面白いところがあり、どちらが良いとかはいえないのだが、どちらが多いかといえば圧倒的に後者が多い。それは予備知識が無いことで、見るもの見るものがより新鮮でインパクトが強く、そういう刺激がたまらなく好きだからということ、それと好き気ままに旅ができるという気楽さがあるからである。そうした旅で思いもかけない発見があった時は、本当に嬉しく感じる。ただ発見といっても、必ずしも嬉しいことばかりとは限らないのだが。

この日は「岐阜県の高山の上のほう」ということだけ決めて出発した。そして地図をしばらく見て、行き先を‘下小鳥ダム’に決めた。天気予報でかなりの雨が降りそうであるから、あまり山奥深い所に行くのが危険であるという判断からである。それと、これまで近くまでは何度もきているのに、まだこのダムに行ったことがなく、以前から見てみたいと思っていたからというのもあった。本当はこのダム建設により廃村となった地区にも行きたかったのだが、天候を考え、それについては早急に諦めることにした。





下小鳥ダムで写真のような看板を見た。アメリカナマズというのは通称で、チャネルキャットフィッシュというのが正式名のようだ。外来魚の問題といえば琵琶湖ではもっぱらブラックバスやブルーギルなのだが、ネットで調べるとこのアメリカナマズも各地でかなり問題になっているようだ。琵琶湖でもいずれ問題になるのだろうか?もしかしてもうなっている?そうなるとビワコオオナマズやイワトコナマズといった琵琶湖固有のナマズたちはどうなってしまうのか、など心配になってくる。

下小鳥ダムを後にして、そのまま北上してR360に出ると学校らしきものが見える。しかしよく見るともう学校としての役割を終えているようで、「自然教育宿泊施設・レジェンドあすか」という看板。それにしては何か寂しげな感じもしたのだが、その時は廃校が第二の人生を歩んでいることにホッとして先に進んだ。しかし帰宅後にこの施設のことを調べてみると、この「レジェンドあすか」は今年(平成19年)の3月末日で閉鎖されていることがわかった。自然豊富なこの地域であるが、それをメインにした宿泊施設として存続させていくことは無理だった、ということか‥。廃校後、何年間宿泊施設として活躍したのだろう、そして次はどうなるのだろう、など考えてしまう。

旅をすると様々な発見がある。嬉しい発見や心に残る発見、悲しい発見や残念な発見‥。通常は通り過ぎるような些細な発見でも、実は大きな問題を抱えている場合があったりもする。その時はわからなくても、帰宅後に調べてみることで新たな事実がわかって驚くこともある。そんな時、様々な出会いや発見の大切さを感じるとともに、旅の意義を再認識するのである。








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【2007/09/03 22:02】 | ダム | page top↑
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