スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
#139 廃校にて思うこと
~廃校にて思うこと~

今年の春、いつものように山村巡りをしている時に何気なしに見えた風景、それはとても印象深いものだった。運動場と大きな銀杏の木、そして赤い屋根で白い板張りが施された見事な木造校舎。全く予期していなかっただけに驚きは大きかった。しかしその雰囲気には何か寂しさが漂っている。よく見ると一部の窓ガラスが割れて、そのまま。また壁面の塗装もひび割れて、はがれたりしている所もある。校庭隅にある碑を見ると、平成13年に閉校と書かれている。創立100年もの歴史ある学校だが、もう学校としての役目は6年前に終えていたのである。グランドはそのまま残り、校舎横にはプールも健在。どこからだろうか太鼓の音も聴こえてくるのは、学校の一部を太鼓の練習場所としているから。山村とはいえ周囲はひらけた感じで暗い雰囲気は全くない。しかしここにも過疎の波が押し寄せていることが、この寂しげな木造校舎の姿を見てわかったりもした。

廃校となった木造校舎を見た時に思うことがある。それは「この校舎をいつまで見ることができるのだろう‥」ということ。古びた校舎であっても、第二の人生を歩み、現在も活用中のものであればそこには‘温もり’を感じることができる。それはすなわち「この先もしばらく見ることができる」ということを意味している。しかし中には、もう使われることもなく時間の流れるままに荒れつつあるものもある。その校舎からは‘温もり’を感じることはできない。限りなく冷たく、そして寂しいだけなのである。いったんそのような様相を表に出すと廃墟となるのは早く、‘危険な建築物’ということになってしまう。そして程なくして取り壊されることになるのである。

春にここを訪れた時、他用途で使用されているにもかかわらず何か不安に感じるものがあった。それは校舎の規模が大きすぎること、それと壁面や窓ガラスの傷みよう‥。分校のような小さな規模の建物であれば、地域の公民館や集会所のようなものにも再利用されやすく、維持・管理費もまだましだ。しかし大きな建物になるとそうはいかない。宿泊施設や図書館、資料展示館などに転用されているものを見かけることはあるが、大きいだけに管理費や補修費だけでもかなりの費用となってしまう。それに何より安全面での問題が大きく、それを解消しようものならのさらに多額の費用が必要となってくる。そういうことからこの大きな校舎には何か不安な思いを持たざるを得なかったのだ。

それ以来ずっと気になっていたのだが、先日再び赤い屋根の白い木造校舎を訪れてみた。幸いまだまだ元気で、健在であった。校舎以外のグランドやプールなども前のまま。特に補修工事などがされた様子もないところを見ると、現状維持といったところなのかもしれない。大きな銀杏の木も健在で、時の流れとともに寂れて傷んだ校舎、校庭に短く伸びた雑草、それら以外は、きっと昔のままなのだろう。かつては賑やかな子ども達の声が響き、限りないエネルギーが集まり、そして弾ける場となっていたこの木造校舎も今はすっかり静まりかえり、わずかばかりの‘温もり’を感じるだけとなってしまっている。この日は太鼓の音も聞こえず近所の子どもの遊ぶ姿も見られない。冬の廃校舎は美しくもあり、そして切なくもあった。

ひと通り写真撮影をした後に「この先どれくらいこの姿を見ることができるのだろう」など考えながら、グランドのバックネット側にまわって最後の写真を撮ろうとする。その時、先ほどまで晴れ間も見えていた空が急に暗くなり、雨が降ってきた。撮影を切り上げざるを得ない程の雨ではなかったが、なぜか撮影の意欲も急に薄れてしまい、結局撮影を終了することにした。いつもなら多少濡れようが何しようが、そのまま撮影を続けるのであるが、この日はなぜかここで途切れてしまった。そして次回訪れる時にもこの美しい姿を見せてくれることだけを願い、その地を離れることにした。













http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
スポンサーサイト
【2007/12/28 23:38】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
#138 冬の季節に思うこと
~冬の季節に思うこと~

冬だ。当たり前だが、冬なのである。そして、もうすぐ今年も終る。本格的な冬が訪れると、日頃私が好んで訪れるような廃村の多くは、深い雪に閉ざされることになる。人が住んでいないので、そこまでの道に積もった雪は大方の場合除雪されることはない。また当然ながら、人がいなくなった集落の家屋の屋根に積もった雪は、春になるまでおろされることはない。結果、重みに耐えかねて崩れてゆく家屋も出てくる。たとえ崩れなくても、何ヶ月もの間、雪の重みに耐え、空気の流れも無く多くの水分を吸収した家屋たちは大きなダメージを受けることになる。何十年、中には百年以上もの長きに渡り、雪との厳しい戦いに勝利をおさめてきた歴戦の勇者の老家屋たちも、やはり人とともにあってこそ生きてゆけるのである。

無人となる厳しい冬の期間、少しでも損傷を抑えようと、かつての住人たちは、思い出がいっぱい詰まった老家屋に雪囲いや、屋根や壁を支えるための支柱を施す。おそらくそこに住んでいた時は、冬の訪れの前の恒例行事として普通にやっていたことなのだろう。ただ違うのは、雪に閉ざされた冬を共にすごすことができなくなってしまったということ‥。春になって再び出会うその日まで、老家屋とその主はしばしの別れをする。「がんばってくれよ」と、老家屋に一声掛けて故郷を去る人たちの思いはいかなるものか。この先の結末に選択肢は無いことは百も承知。それでも、年老い、かつてのように雪と戦うことはできなくなってゆく我が身を感じながら、体が動く限り老家屋を守ることを約束し、ともに元気な姿での春の再会を願うだけ。

長く厳しい冬が終り春が訪れる。ともに元気な姿での再会を果たす時の喜び、安堵感を思うと心温かくなる。しかし修復不可能なほどに歪み、崩れた家屋を見ることとなった時、また再会を約束しておきながらもそれがもう永遠にかなわぬものとなってしまった時の家屋とその主、それらのことを考えると何とも悲しく切なくなってしまう。春が訪れ、夏になっても主が訪れず、雨戸は閉じられたままで雪囲いさえそのままという家屋を見ることは少なくない。そして幾冬かを越した後に、結局主が現れることなくそのままの状態で崩れ朽ちてゆく家屋の姿もよく目にする。

形あるものが崩れ、その歴史を終えるというのは当たり前であり仕方の無いこと。1つの歴史が終わっても、そこに次の歴史が始まるのであればさほど悲しいこととは思えない。しかし1つの歴史が永遠に閉じられ、振り返られることさえなくなってしまうのは、何とも哀しい。そこにかつてあった賑やかさや温もりを思えば思うほど、その思いは強くなっていくのである。













http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
【2007/12/21 22:04】 | その他山村・廃村・自然 | page top↑
#137 林道からの風景と廃村『山中』
~林道からの風景と廃村『山中』~

前回のこのコーナーで、滋賀県と福井県の県境にある栃ノ木峠の集落を紹介させていただいた。すでに林道のコーナーでも紹介しているように、この栃ノ木峠からは‘林道・栃ノ木~山中線’が延びている。栃ノ木峠と福井県の旧今庄町の『山中』を結ぶ全線舗装の林道だ。途中いくつかの分岐があったり、日本海が臨めたり、また今庄365スキー場内を突っ切ったりなど、なかなか走っていて面白い林道である。既に全舗装というのが何とも残念であるが、それでも変化のある景観は十分に訪れるドライバーを楽しませてくれる。

訪れたこの日、やや鮮やかさにかけるものの、連なる山々はすっかり秋の色に変わっており、美しい紅葉の風景を見せてくれていた。全舗装とはいえ訪れる人はほとんどなく、時たま観光と思われる車とすれ違うだけ。また北国街道を離れてしまうと、峠を目指す大型車の低いエンジン音が風の加減でたまに響いてきたりするが、聴こえてくる音は風の音くらいのもの。太陽の日差しを浴びたススキの穂は風に揺れながら黄金色に光り、木々の影が路面に落ちて強いコントラストを作る。そして周りを見渡すと、山また山。これら、林道に広がる山々の秋をほとんど独り占めというのは何とも贅沢の極みで、心身とも思いっきり心癒やされるのだった。

紅葉の山々を眺めながらボーっとする。これがまた最高に心地よい。しばらくして頭の中が空っぽになって落ち着いてくると、いろいろな映像が脳内に勝手に浮かんでくる。この日まず出てきたのは、先に訪れた『栃木峠』の集落の風景だ。栃の木の巨木の傍らの茶屋が多くの旅人で賑わっていた頃の風景、そして人が通らなくなって廃屋となった頃の茶屋の風景。一軒、また一軒と人が去っていった集落の風景、これらが次々と浮かんでは消える。しかし当然ながら現実に見たことのない風景ばかり。したがって全てがモノクロのイメージとなっている。あれやこれや脳内イメージを楽しんでいると、あることが思い出された。そしてそれによって脳内イメージは途切れることとなった。

あることとは、この林道の北側の起点となる‘山中’のこと。今は杉林となっているその地にも、かつては『山中』という集落があった。昭和40年の時に既に3戸となっており、その年の秋に全戸が移転を決め廃村になったという。今から40年余り前のことである。まだ集落『栃木峠』に数軒の家屋が残っている時、既に山向こうの集落『山中』は廃村の道を選んでいたのだった。製炭と鉄道勤務に多くを頼っていた豪雪地域の集落は、燃料革命、38(サンパチ)豪雪、そして旧国鉄の北陸本線の電化による影響などで、急速に人々が離れていかざるを得なかった‥と言うことなのだろう。

私が『山中』を訪れたのは昨年の秋、10月。集落があったと思われる辺りは杉林となっており、40年もの年月の流れの中に、当時を思わせるものは何も残されていないように思えた。しかしその地を歩いてみると、わずかではあるがかつての集落の名残りと思われるものを見ることができた。崩れた土壁の小屋(蔵?)、倒れた木製の電柱、細い溝にかかる苔むした石橋、そして墓石‥。杉林に同化したかのように立つ電柱も見られたが、こちらはコンクリート製のものなので後に設置されたものかもしれない。人の温かみから遠ざかって久しいように感じられた中で、お墓の周りの草が短く刈られているのに、心休まる思いがしたものだった。

林道から見える風景。単に山が見えるだけに思えるこの風景も、その奥深くには別の風景が見えてきたりする。今はおそらく冬枯れの木々の色に山々は変わっていることだろう。そしてもう間も無く全てが雪に覆われ、真っ白な無彩色の風景に変わるはず。今は厳しい冬が訪れても、それを待ち焦がれていたかのように、周辺のスキー場に多くの人が集まってくるこの山深い県境の地。しかしその昔、ここには何百年もの歴史とともに繰り返されてきた豪雪と戦う人々の生活があり、温かみがあった。そしてそれらの跡は、ちょっと振り返ってみることで今でも見ることができ、感じることができるのである。













http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
【2007/12/16 10:09】 | 福井県山村・廃村・自然 | page top↑
#136 変わりゆく峠の風景(栃ノ木峠)
~変わりゆく峠の風景(栃ノ木峠)~

昭和30年代後半から現在にかけて、山間部の多くの歴史ある集落が姿を消し、何百年も続いた歴史の幕を閉じている。そしてそれは今もなお進行中で、そう遠くない将来に同様の運命をたどると思われる集落は少なくない。滋賀県伊香郡余呉町の最北部『中河内』の小字『栃木峠』。海抜537mの峠にあった集落だ。その昔、この峠の集落は宿場として栄え、多くの旅人を受け入れ、人々の疲れた心身を癒してきた。北国街道(R365)の滋賀県と福井県の県境、昔で言うと越前の国と近江の国の国境にあたるこの地には、地名の由来となった樹齢500年とも言われる巨大な栃の木が今も健在だ。戦国の時代から現代まで峠を見守ってきた巨木のその堂々とした姿を目の前にすると、己の小ささにただ言葉を無くす。

峠の集落『栃木峠』。ずっと以前には上峠と下峠を合わせて9軒もの家屋があったというが、1966年頃には家屋が4軒となっており、70年頃には2軒の家屋にのみ人が住んで、そのうち冬を越すのは1軒だけになっていた。巨木近くの峠の茶屋は、その頃既に廃屋となっており、後に余呉へ移築されている。そして家屋は峠より少し下がった所の2軒を残すのみとなった。1970年頃でさえ、この地で冬を越すのは1世帯のみだったというから、その後冬季に無住となったということは自然の流れといえるだろう。

この2軒の家屋、北国街道で福井県へ向かう際にはいつも目することができ、歴史がしみこんだその存在になぜか嬉しくなったり、庭先のきれいな花に心を癒されたりしたものだ。2軒の間を貫く北国街道の立派な舗装路面に、遠慮するかのように向かい合う2軒の老家屋が可愛らしくも頼もしくも思ったりした。しかしこの老家屋が、人が常時住まなくなってからも長きの間このように美しく保ち続けてこられたのは、ここに住まわれている方の故郷への強い思いがあったからに他ならない。ここは現代でも冬季通行止めになるという豪雪地帯で、冬は雪で閉ざされてしまう。家屋の損傷も平地とは比較にならないほど大きいはず。その苦労は並大抵のものではないだろう。それでもこの姿を保ち続けてきたことの背景の大きさを感じるのだ。

ある日、2軒のうちの1軒が「解体されているのでは?」という情報をいただいた。今年の夏である。早速見に行くと屋根や柱は残されているものの壁は全く無い状態。取り壊し?解体?など思ったが、その後取り壊されること無く、しばらくその状態が続いた。そのため私は「取り壊しではなく改築されるのだろう」など勝手に思い込んでしまった。そして先日その後の様子を見に行った。しかしそこにはもう家屋の姿は無く、跡地には何本もの柱がきれいに積み上げられ、その向こうには長らくトタンの下にあった茅葺きの茅が積まれていた。歴史深い老家屋は解体されていたのである。しかし通常の解体であれば柱も茅も散乱するはずなのに、それがきれいに並べられている。やはりその背景に感じるものは大きいのである。

歴史深き地の歴史を知る家屋が一つ姿を消した。季節のよい時には、手入れされて庭先にきれいに花を見せてくれていた峠の老家屋の風景は、この秋に大きく変わることとなったのだ。でもこの地にはまだ家屋が1軒、旧道らしきものに沿ってあるいくつかの墓標、そして地蔵堂が残る。それら全てには間違いなく、長い歴史があり背景がある。人が住まなくなった峠の集落は確実に時の流れの中に姿を消しつつあるのかもしれないが、まだまだそこには人々の温かみを感じることができる‥など強がって思ってみたりもするのである。



●記念誌「ふるさと中河内」(発行:余呉町)より










http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
【2007/12/08 19:44】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。