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#181 ひぐらしのなく頃に
~ひぐらしのなく頃に~





テレビの番組表を見ながら、何げに知らない映画などを適当に予約しておき、中途半端に時間があいた時とかに見ることがけっこうある。この日見たのは‘ひぐらしのなく頃に’という日本映画。若い人たちの間ではけっこう有名で人気があるという。後から調べてみると、元々はゲームということらしいが、それがブームになり漫画やアニメでも人気が広がり、ついにはこの実写版の映画になったということのようだ。

なぜこの映画を当コーナーで取り上げたかというと、それは冒頭のシーンで何ともなじみのある風景が出てきたからである。ひとつは合掌造り集落の風景。もう一つは主人公の少年が転校してきた分校という設定の木造校舎の風景。特に後者は、一目見てその特徴的な外観から、そこが以前に私が訪れたことのある所ということがわかった。その時の様子はこのコーナーでも紹介させていただいているが、たまたま訪れた長野県の静かな山村で、たまたま目にしたというもの。変則的な3階建てで長くのびた煙突が大変印象的で美しく、どこか古びた村工場のような、そしてどこか鄙びた老旅館のような、そんな感じもする独特の雰囲気をもった佇まいが大変印象的だった。訪れたのが2005年だから、もう4年近く前のこと。割れたガラス、開いたままの給食室の扉・・などなどその時の管理状態からみると‘明日知れぬ運命’という感じが強かったため、そう遠くない将来の解体も気になっていた。映画の公開が昨年2008年(続編も現在公開中らしい)だから、まずはその後も健在だったということがわかり、取りあえず嬉しく感じたりした。

映画の内容は、廃村や廃校を舞台とする映画に多くみられるようにミステリー・ホラー系のもの。ややグロいシーンもあるにはあるが、子どもにも(中学生以上)見れるようにそれなりに気をつかって作られている。閉鎖的な村に起こる、古くからの伝統や言い伝えの中に隠された残虐な殺人。よくある設定であるが、私のような人間はけっこうそれがハマってしまったりする。ただ舞台となる村や学校の風景が上映以前に知っていた風景であったので、面白く見ていた一方でどこか違和感を感じてしまったのも事実。特に合掌集落の風景には思いっきり違和感を感じてしまった。一般的には違和感は感じないのだろうが、どうしても「おいおい、ここは雛見沢村じゃないだろう」って感じがしてしまう。私が監督なら合掌造りという地域固有の風景は使わず、山間部の古びた普通の茅葺家屋の集落の風景を使うだろう・・など勝手に思ったりするわけだが、まあ、こうブツブツ思いながら見るのもなかなかおもしろかったりする。

現在、続編が地域によっては上映中のようなので、またこの木造校舎が使われると思うとけっこう嬉しかったりもする。ちなみに、これのアニメの絵柄は私にとってはどう転んでも受け入れ難いものだ。何も知らずに実写映画を見てよかった~など感じる。先にアニメを知ってしまっていたら、おそらく先入観を持ってしまって予約さえしなかったことだろう。何よりも、我々の世代の男がこのアニメや漫画を喜んで見ている姿を想像すると、それは映画より不気味なものになること間違いなしである。

廃校となった木造校舎や廃村などが映画やテレビのロケに使われることは珍しくない。中には失礼であるとわかっていても「こんな映画に使われてしまって・・」と思うような作品もある。そのシーンを見た視聴者が「こんな風景があったんだ・・実物を見てみたいなぁ・・」など思えるような作品に仕上がったものならば、きっと使われたロケ地も喜んでいることだろう。今回の映画を見た若い人たちの中には、きっと「ロケ地を訪れてみたい」など感じている人もいることと思う








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/04/30 05:15】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
#180 今年の奥川並の桜
~今年の奥川並の桜~





下界の桜が葉桜にかわる頃を狙って,今年も『奥川並(滋賀県伊香郡余呉町:昭和44年離村)』の桜を見に行った。昨年のこのコーナーでも奥川並のこの‘桜らしくない桜’のことを報告し、その時に「奥川並にはこの桜以外に桜は見当たらない」など勝手に書いたのだが、実はこれは全くの誤りだということが今年の訪問でわかった。確かに昨年と一昨年の訪問では、『奥川並』集落内で花を咲かせている桜はそれ一本しか見つけることができなかった。一通り歩いてみても、他の桜を見つけることはできなかったのである。それですっかり「奥川並の桜は一本あるのみ」など思ってしまったのだが、今年の訪問で実際は集落跡には他にも桜の木があるということがわかった。

今年は、その‘桜らしくない桜’の他に3本程の桜の木が、きれいに花を咲かせていた。赤っぽいピンクの花やほとんど白に近いものなどが、この『奥川並』の地を彩っていたのである。白のものはやたら大きな木だが、こちらはほとんど葉桜。それ以外の赤っぽいピンクのものは、いずれも小さくて細く、背も低い。いかにも栄養不足という感じがする。昨年見た‘桜らしくない桜’も、盛りは過ぎた感じだが、まだまだ白っぽい花を誇らしげに咲かせている。その独特の枝振りは健在で、やはり昨年同様、雑草のツルがからまって木の幹はなかなか見えない。短い日照時間の上にあちこちの杉林がさらに日の光を少ないものとする。加えて、のび放題の雑草とツルが光と空気を遮る。このような悪条件の中だが、それでも花を咲かす。私などは、そんなところに大いに美しさを感じてしまったりする。




春の陽気が最高のこの日、山菜採りの人たちがやたら多く、カメラを構えていると「(こんなとこに)何を撮りに来た?」など聞かれる。「桜を撮りに来ました」と答えると不思議に思ったらしく、「ここよりもっと立派な桜が咲いてる」と教えてくれた。桜撮影と言えば、普通わざわざこんな山奥に見栄えのしない弱々しい桜を撮りに来たりはせず、大きく立派な桜を撮りにくるもの。きっと不思議に思われたのだろう。しかし私にとっては、ここの桜にこそ価値があるのである。それでもそのことにはふれず「ありがとうございます」と返し、奥川並の桜の撮影を続ける。

そういえばここの桜に限らず、私は桜の木の全貌にはあまり関心が無い。立派に咲き誇っているものでも、それの全体を撮ることはほとんどない。それよりも近づいて気に入った花びらを見つけて、それだけを撮る。桜の花びらは薄くてとても繊細な感じだ。また白や薄い桜色の色は、とても清楚な感じがする。それらが重なり合い、逆光の中で光を透過し桜色のグラデーションが淡く光り輝く。その美しさに一番の魅力を感じる。だから後から写真だけを見ると、一体どこの桜だかわからないということがよくある。この日も小さな桜の木の中に潜り込むようにして入り込み、気に入った桜の花びらを思う存分に撮ったのである。

この日の『奥川並』は珍しくにぎやか。山菜採りの車が何台も停まり、林道、集落跡内でも人の姿を見かける。こんな『奥川並』は初めてだ。村在りし頃は多くの人の姿が見られたはずだが、林道を歩く何人もの人の姿を見ると、それにちょっと近いものを感じたりもする。いつものように一人静かに廃村の春を味わうことはできなかったが、これはこれでけっこう印象に残る風景。今までとは違った『奥川並』の春もたまにはいいものだなぁ、など感じる。

次に訪れる時は何時になるかはわからない。でもその時はまた静まり返った奥川並の風景になっていることは確かなことである。







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【2009/04/21 22:59】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#179 土倉の風景
~土倉の風景~





岐阜県の旧坂内村(現揖斐川町)との県境近くにある土倉鉱山跡(滋賀県伊香郡木ノ本町)は、R303の八草トンネルやそれに伴うバイパスの開通により、その周辺の風景が大きく変わった。土倉のシンボルとも言える選鉱場周辺はこれまでと変わりないのだが、「上町」「上新町」「新町」「中町」「下町」といったかつての居住区周辺は、バイパスの巨大橋脚がそこの主人公となり、以前の雰囲気とは一変している。住居跡地は造成により「新町」跡地の全てが姿を消し、「上町」「下町」の両跡地も一部が埋められた状態。幸い残っている住居跡地では、ブロック住宅等の住居の残骸を今も見ることができ、昔の生活の面影を偲ぶことができる。

以前「たまに一言」のコーナーで、土倉を故郷とされる白川雅一氏より土倉の居住地区の自作見取り図をいただいたことを紹介した。そしてそれに基づき各居住地区跡地の現状を取材してまとめていきたいと、私はかねてより思っていた。しかしこれらの住居跡地の残骸の多くは、一年のうちの大部分が雑草や雪に覆われてしまうため、なかなか見ることができない。特に夏場は、その覆い繁る雑草で近づくことさえ拒まれてしまう雰囲気となってしまい、ここに生活があったことも想像し難い状態となる。雪解け後で植物の葉がまだのびる前、それと初冬の雪が降る直前、そのわずかな期間が、土倉の人々のかつての生活にふれることのできる機会といえるのかもしれない。




住居跡にはコンクリートの基礎やかまど、そして排水溝やトイレなどが、冬枯れの植物の間から見ることができる。所々に空く大きな穴は排水関係の遺構か。その存在は、草に覆われる夏場には隠されてしまい、何も知らずに入り込むにはかなり危険と思われる。社宅にはコンクリートブロックで造られたブロック住宅と木造の住宅があったというが、ブロック住宅の多くは、ほぼ全域が造成の土に埋もれてしまった『新町」にあったため、今回見ることができた‘生活の跡’はほとんどが木造住宅のものと思われる。しかし残骸からは、その区別はなかなかつかない。「中町」の住居跡を散策していると、上の道を男女の登山客と思われる二人連れが通り、不思議そうにこちらを見ている。怪しげな人物と思われたのだろう。実際こんな所でゴソゴソ何かしていると不審者と思われても仕方ないのかもしれない。

さて今回の訪問でもう一つ見たかったのは、昭和34年の伊勢湾台風の際に土砂崩れで犠牲となった方の慰霊碑である。それはこの冬の積雪時にバイパスを通行した際に、この下で多くの方が犠牲になっていることを思い、春になったらぜひ訪れたいと思ったからだ。加えて、全ての工事が終了した段階で慰霊碑がどのようになっているのかも確かめたいと思っていた。

「この辺りだったか・・」と道を歩いていると、杉林の中から何か薄く光るものが見える。慰霊碑である。杉林の隙間から差した日差しがちょうど慰霊碑に当たり、それが薄く光っているように見えたのだ。薄暗い杉林の中でそこだけが美しく光る、何か別世界のもののようにも感じる。そういえば、前回の訪問時もそんな感じだったなど思い出す。改めて慰霊碑を見る。裏に刻まれた犠牲となった方々の名前は同じ姓が多い。一家で犠牲となられたのだろうか、そのことを思うと本当に胸が痛む。この台風災害の時に「たすけてくれ、たすけてくれ・・」という声を、救助する際に聞いたという白川雅一氏の悲しげなことばも思い出す。

慰霊碑に行くには段差があり、登り辛い。さらにこれからは雑草が覆い茂り足場が悪くなる。高齢の方が供養のために訪れても、そこまでいくには大変だろう‥というか非常に危険だ。慰霊碑までに階段をつけるだけでも、高齢の方にとっては大いに助かるはず。バイパス工事の莫大な工事費を考えると、慰霊碑周辺のわずかな整備など微々たるものなのだから、一緒に工事ができなかったのだろうか‥すぐ横にそびえ立つ巨大橋脚や造成地を見るとそんなことを思ったりする。もしかして「慰霊碑周辺は静かにしておいて」という声があったのだろうか、などとも考える。一見何も無い風景、でも新しくなった土倉の風景を見て思うことは多いのである。




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【2009/04/05 05:38】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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