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#190 寒風麻生林道(滋賀県高島市)を走る
~寒風麻生林道(滋賀県高島市)を走る~






久しぶりに滋賀県高島市の寒風麻生林道を訪れた。この林道は国道303号線沿いの北側起点から見ると、寒風川沿いに南下し、廃村『小原谷』への分岐を越えた後に一旦『椋川』集落へ出る。そして福井側の山に向かった後に再び林道へと入り、峠を越えて『横谷』集落の南側起点へと至る。途中いくつかの集落を通るせいか、あまり一つの林道としてのイメージが持てない。そのせいか、それぞれの起点から椋川まで走ることがあっても、全線を一度に走ることはあまりなく、本当に久しぶりの全線走行となった。

林道は、R303起点から『小原谷』分岐手前あたりと横谷の手前の峠付近に一部未舗装が残っている。多くを舗装路が占めているのであるが、そのイメージは決して穏やかとはいえない。横谷~峠~集落~椋川~小原谷分岐あたりまでは、落石はあっても走りやすい爽快林道なのであるが、そこから以北の国道303号線起点までの荒れ様がかなりものなのだ。落石量も大変多い。何度訪れてもかなりの荒れようというところをみると、そこはそういう所なのかもしれない。何度も引き返そうという思いがわいてくる、そういう難所を持った林道なのである。





荒れた箇所は最後の最後に持ってきた方がよいということで、この日は横谷集落から入り、椋川を経て国道303号線に出ることにした。以前、横谷集落の方にいろいろお話をうかがったことを思い出す。ここも昔は土砂災害に襲われて大きな被害が出たという。今その集落横を流れる川を見るが、とてもそんな感じはしない。この日も暑い日差しの中ではあったが、村は穏やかでとても静かな雰囲気。しかし穏やかな表情が一変して住民に襲いかかる自然の恐ろしさを、ここの人たちは身をもって体験されている。そういえば、このような話は奥深い山村など行くとけっこう聞く。こういった地に住まわれている方の多くは、自然の恐ろしさを身を持って体験をされている、ということなのかもしれない。

峠を越えると、やがて集落に出る。旧地名で言うと、朽木村から山を越えて今津町に入るという感じだ。今このあたりは水田の稲の緑があたり一面に広がり、美しい田園風景を見せてくれている。真夏の日中ということもあるのか、人の姿はほとんどみかけないが、きれいに手入れされた田んぼや家屋を見ると、そこに人の存在を強く感じる。そのへんが、人が住まなくなった村の風景とは大きく違うところだ。やがて椋川の美しい茅葺き家屋が見えてくる。以前掲示板でお知らせいただいたように、この家屋の屋根は最近葺き替えられたようで、真新しく光っている。まさに山里!という風景に思わず車を停める。





椋川の写真を数枚撮影した後、再び車を走らせ寒風川沿いを北に向かう。舗装路にも少しずつ落石が目立ち初め「であいこ橋」に着く。ここの分岐の福井側に向かう支線を行くと廃村『小原谷』だ。せっかくなので少し様子を見に行く。ここではもう家屋の姿が見れなくなって久しいが、今も倒壊した家屋の柱や水回りのコンクリなどを見ることができる。林道から谷に降りようと思ったが、この時期は雑草に覆われ危険が多く断念する。以前、谷に降りた時、突然すぐ横の藪から大きなガサガサという音が聞こえて、大慌てでその場から逃げ出したのを思い出す。この日も上の林道から見ていると、突然家屋のあったあたりの藪から大きな音がして何ものかが走り去った。姿が見えないところをみると、鹿のように体高のある獣ではないようだ。あの音の大きさ早さから考えると猪あたりかもしれない。視界の良い、雪の訪れる前あたりにゆっくりと散策したいなぁ、など考えながら本線に戻る。





落石が非常に多くなり、石の大きさもバラエティに富んでくる。石をどけようと車から降りると猛烈な異臭がする。谷底を見ると何かに大きな猛禽類の鳥がとまっている。写真を撮ろうとすると鳥は飛び去ってしまったが、そこには大きな死肉が横たわっていた。望遠レンズで見ると、何か赤い肉塊が見え大量のハエがたかっている。肉塊の端には大きな角が見える。鹿だ。どうやって死んだのかはわからないが、多くの生き物たちの餌に変わり果てた鹿の姿がそこにはあった。肉塊のある谷底まではけっこうな距離であるが、それでも悪臭はかなり強く臭う。残酷なように見えるが、自然の中においては、死んで餌となり腐敗して土に還るという単純なことなのかもしれない。





さらに進むと落石の数もどんどん増えてくる。以前リタイアしたのはこの辺か?など思いながら車を走らせる。それにしても多い落石、そしてどの落石も鋭く尖っている。右は落ちてくる崖,左は落ちてゆく崖、何とも荒々しい。それに加えて、川向こうに見える採石場の風景も強烈で、あたりの荒々しい雰囲気を何倍にもしてくれている。削られた山肌に九十九折りに道がつけられ、そこを大型ダンプが粉塵を巻き上げて豪快に走り抜けていく。思わず見上げる。あんな所を一度でもいいから走ってみたい、などと誰もが思うような光景。しかしそんな向こう岸の風景に見とれていると足下に危険がせまる。小さな落石でも走り様によってはタイヤを切り裂く。舗装路の落石は、踏んだ衝撃がクッション無くタイヤに伝わるため未舗装路の落石より怖い。大変神経を使うところである。

ようやく難所地帯を抜けて上りの未舗装路になりホッとする。ふと横を見ると砂防壁の水たまりに見事な鹿の頭骨。しかも角が二本ともついている。思わず水たまりから引き上げ林道横に置き、しばらく眺める。特に意味はないのだが・・。先ほどの肉塊といい、この頭骨といい、自然の厳しさとはかなさ、そしてあっけなさを感じたりする。頭骨に別れを告げた後、やや開けた所に車を停めて遅めの昼食をとる。眼下には国道が見え、林道出口となる国道303号線起点がもうすぐだということがわかる。そして未舗装路を下ると、程なくして見えてくる北側起点。久しぶりの全線走行、何か微妙な感じがするが少しだけの充実感を感じさせてくれた





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/08/27 04:58】 | 林道 | page top↑
#189 合掌造りの郷で
~合掌造りの郷で~





山村などを訪ねた時に現地の人たちと関わる中で、何ともいえない‘人の温もり’を感じることがある。都会では決して味わえないような、ごく自然でどこか懐かしくもあるような温かみだ。そしてそういったものに触れた時、何とも心癒されるとともに、そこから教えられることが実にたくさんあるなぁ、など感じる。

私は昨年から、岐阜県と富山県の県境周辺の合掌造り集落やかつての合掌集落跡などをたびたび訪れている。昭和40年頃に撮られたある古い写真について、現地の人たちにいろいろとうかがっているのである。昨年は富山県の五箇山あたりからずーっと南下して白川村の平瀬周辺まで、いろんな人たちにお話をうかがった。日中ということもあり、どの方も仕事や畑仕事など慌ただしくされている。しかし、いきなり声をかけてきた得体の知らない私に対して、どなたも大変親切に応対してくれた。

畑仕事を途中でやめて、寒い中ふるえながらも長時間、集落の様々なことをお話ししてくださった相倉(あいのくら)合掌造集落の方、一枚の写真に写った吊り橋の構造から様々なことを考察して、場所や年代などていねいに教えくださった方、いきなり訪ねた会社の事務所で、仕事中であるにも関わらず快く向かい入れてくれて写真についての貴重な情報をたくさん教えていただいた建設会社の方、などなど他にも多くの方に声をかけさせてもらったが、どの方も本当に親切だった。初めは、たまたまその人が親切だったのかな??などと思ったりもしたのだが、やはりその土地の風土や人々の人柄は固有のものがあるのかもしれない、など感じたりもした。







そして先日、暑さの厳しいある日、白川郷の中心街ともいえる白川村の荻町を訪れた。昨年の訪問で、先ほどの建設会社の方からいただいた写真の情報の追取材である。世界遺産の観光地ゆえ混雑する土日を避けての訪問であったが、それでもかなりの人がいる。誰にお話をうかがおうとウロウロしていると、とある合掌造りの民宿の横で洗濯物を干している方が一人。早速声をかけてみる。古びた写真を見せると「私より母が詳しいから」「お話聞かせていただけますか?」と聞くと「いいけど、高くつくよ~」と笑いながら家の中へ。気さくに応対してもらえたことに何かホッとする。そしてすぐに「こっちへどうぞ」と民宿の中へ案内される。

生活の営まれている合掌造り家屋に入るのは初めてだ。ドキドキしながら入っていくと、案内された部屋にはおばあちゃん(先ほどの方のお母さん)と民宿で働いておられる方が一人。「どうぞ、どうぞ」と笑顔で迎えてくれたおばあちゃん、早速写真を見て「これは隣の○○さん、いつもここにくるよ」とすぐに電話連絡(残念ながらお留守だった)。先程の洗濯物を干していた気さくな娘さんもこられて一緒に写真を見る。すると「あ!これは妹!もうすぐ帰ってくるよ。」の言葉に大いに驚く。取材前は、写真に写っている人物が誰かわかれば上出来かなと思っていたが、まさかこんなに早くわかるとは、さらにここにお住まいだった方だとは・・今から40年以上も前の写真なのである。

このような感じで写真に写っている人たちのことが次々わかり、その後も三人の方から当時の貴重なお話をたくさんうかがうことができた。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。そして荻町で他の取材に行こうと話していると、おばあちゃんの「おいしい茄子料理を食べさせてあげるから、またお昼においで。妹も帰ってきているから」の言葉。これにも大いに驚いた。大変嬉しかったのだが、本当にいいのだろうか?という気持ちもあり一瞬考えたものの、やはり喜んでお言葉に甘えることにした。




約束の時間に再び来ると、そこには茄子料理だけではなくお昼ご飯が用意されていた。そして妹さんも帰ってきておられる。「この写真のキレイな子は私。今もキレイやろ~」と先ほどのお姉さん同様、大変気さくな方だ。お姉さんは実家の方に帰られたということでもうおられなかったが、ここでもいろいろな貴重な情報をうかがうことができた。そして目の前に並んだ食事、こんなにご馳走になっていいのだろうかなど思ったがここも遠慮せずにいただくことにした。

茄子料理は民宿で働いておられる方(この方も地元の方でいろいろよく知っておられる)が作られたもので、大きな茄子に味噌が乗っている料理。これが食べ応えがあり実に美味しい。ご飯が何杯でもいけそうである。食べ終わってから「写真を撮っておけばよかった」など思ったのだが、それは後の祭り。ご飯には薄茶色の小さな粒が混じっている。稗(ひえ)だそうだ。米を作っていない頃はこれが主食であったという。聞いたことはあったものの食べるのは初めて。でも何の違和感なく美味しくいただくことができた。

おかわりの稗入りご飯をいただきながら、その後もいろいろなお話をうかがった。合掌造りの民宿で過ごしたこの時間、ごく自然な感じでもあり夢の中のような感じでもある、何か不思議な感じの時間だった。そして、これまでに体験したことのないような人の温かさにふれることができた、そんな感じがした。




夏休み時期の民宿という、大変忙しい時期に思いっきり甘えてしまったことを申し訳なく感じながらも、白川村の人々の温かみを思いっきり味わえたことを本当に嬉しく感じた。いきなりの正体不明の人間をこのように親切に受け入れてくれるなど、都会では考えられないこと。今でこそ道路が整備されているが、極めて自然の厳しい山深き地という歴史を長く刻んできた中で、「訪れたものを受け入れる」という人々の心が遠き古より受け継がれ、それが今なお残っていると考えるのが自然だと思えてきたりもする。人を思う心・・多くの地でそれらが失われていく中で、白川村にはまだそれが残されている、ということなのかもしれない。まず人を疑うことから入っていかないと安全に生活できなくなってきている今の時代、それが残されていることの大切さを何より強く感じる。

今、白川郷は観光地として大いににぎわっている。国内だけではなく海外からも多くの人たちがこの地を訪れる。そうした中つらい話も聞く。民宿の床の間に飾ってある花を黙って持っていく宿泊客がいる。そういうことが起こりだしてから、床の間に花は飾れなくなってしまった。ホテルのように出入りを厳しくチェックすることのない民宿、家族連れできたある宿泊客は、朝まだ誰も起きないうちに荷物をまとめて宿を出ていってしまった。もちろん宿泊費を払わずである。吸い殻のポイ捨ては当たり前、郵便受けには多くのゴミが入れられる。丹誠込めて育てた花を平気でちぎって持って帰る。黙って家の中に入りのぞき込み、民家とわかるとお詫びどころか捨てゼリフをはいて出ていく・・・などなど、観光地となったゆえの苦労をあげていくときりがない。そして村自体も人とのつながりなど、年とともに少しずつ変わってきているという。

これらの話を聞くと、人が何を大事にしなければならないのかということが見えてくる気がする。しかし、それが現実の社会に照らすとなかなか明かりが見えないところにジレンマを感じたりする。こういう時代だからこそ、今、人が何を大事にしなければならないか、そのためには何をしなければいけないのかを考える必要があると,改めて感じるのである。




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【2009/08/13 09:48】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
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