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#192 企画展「山の中の小さな学校/於:石川県立白山ろく民族資料館」から
~企画展「山の中の小さな学校/於:石川県立白山ろく民族資料館」から~






上の子どもたちの写真、なんという屈託の無い笑顔だろう。これは石川県の旧・白峰村(現在は白山市)の出作り集落『大道谷(おおみったん)』にあった白峰小学校大道谷分校の子どもたちだ。石川県立白山ろく民族資料館(石川県白山市白峰リ30)で、9月23日まで催されていた夏季企画展「山の中の小さな学校」で展示されていたものからである。

それにしてもこの夏季企画展「山の中の小さな学校」は、私にとって何とも貴重なものであった。以前、本サイト‘e-konの道をゆく’の県外林道の項の「林道赤谷線(りんどうあかだんせん)」公開の際にも、集落『赤谷』について、この白山ろく民族資料館の多くの貴重な資料を参考にさせていただいており、その際に白峰村周辺の山間部に多くの出作り集落が存在し、学校(分校)まであったということを初めて知った。そしてそれ以来「何とか出作り集落にあったという分校について、もっと知りたい」という思いを持ち続けていたのである。

しかし出作り地の分校に関しての情報は、桂書房の「白山麓・出作りの研究」(著:山口隆冶)以外なかなか見つからず、半ばあきらめた状態であった。ところが幸いにも今回、たまたまこの企画展の存在をネットで知ることになったのだが、それがなんと9月21日の深夜という企画展終了まであと2日というギリギリの時。しかも仕事漬けのシルバーウィークで、積もりに積もった仕事があるという状況。それでも、早朝に滋賀を出発して石川県に向かうことの決定に何の迷いも無い自分に、大いに感心したり呆れたりもする。なお‘出作り’については、この林道赤谷線の項の後半部に少しふれているのでご覧いただければと思う。

この企画展、各地の出作りの地に作られた分校や子どもたち、そして現在の分校跡地のようすなど写真はもちろん、当日の教科書や閉校時の子どもの作文や教室の再現、また出作り集落の点在地などが詳細に示された図等々、多数の貴重な資料が展示されており、私の中のモヤモヤ全てがふっとんだという感じで大変満足であった。下の4枚の写真はいずれも企画展で展示されていたもので、上から「再現された当時の教室の様子」「白峰小学校大道谷分校の校舎(昭和28年撮影)」「山道を通学する桑島小学校下田原分校の児童(昭和35年撮影)」「桑島小学校河内谷分校の校舎前の先生と児童たち(昭和35年撮影)」である。画像に照明の反射や歪みなどがあり申し訳ないのだが、これはサイト管理人が展示写真の撮影の際に生じたものであることを、ご理解いただきたい。

















上の写真の最後の河内谷(こうちだん)分校であるが、その校舎が現存していることを知り、資料館の方に場所をうかがって早速見に行った。林道をしばらく走る。今の状況から考えると、とてもじゃないがここに何軒もの人家があったとは考えにくいような所。「人家もあったはず・・」など考えながら走っていると、やがて林の中にその木造校舎が見えてきた。現在は別の用途で使用されているが、姿は当時のまま残っている。閉校から33年ほど過ぎている。林の中にこうして元気に残っていることが奇跡的とも思えるが、これも他用途で使用されてきたおかげなのだろう。





薄暗い林の中の校舎を眺めていると、ふと視線を感じたので校庭側を見る。するとカモシカの姿。先日『次郎九郎』で見たのは普通のニホンジカだったが、今回はニホンカモシカ。これまでにカモシカとは何度か遭遇したが、いずれも逃げ出すまでの動作は大変ゆっくりしていた。こちらの様子をうかがっているのか、のんびりしているのか余裕なのかはわからないが、いずれもしばらくこちらの方をじっと見ていて、なにかこちらがどぎまぎしてしまう感じもする。今回もやはりゆっくりとした感じのご対面。‘静かな山の住人’という表現が、まことにふさわしい動物だ。「仲良くなりたい」「山で一緒にくらしたい」そんな気がしてしまうほど温厚そうな動物だ。そうしているうちに、「じゃあね」とばかりにゆっくりと林の中に消えていく。静かな山の中でこうした時間は本当に至福の時間に感じる。しかし雨が降ってきたので、わずかな時間で河内谷分校とはお別れとなったのは、なんとも残念だった。

今回の旧・白峰村の訪問、日程的にもかなり無理した中でのものだったが、まことに収穫多きものだった。また分校で迎えてくれたカモシカくんには、疲れた心を大変癒された。それにしてもこの白峰周辺はなんとも魅力的だ。近いうちにゆっくりと訪問して、かつての出作りの地をまわってみたいものだ、など強く感じるのである。





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/09/28 04:33】 | その他山村・廃村・自然 | page top↑
#191 『次郎九郎』にて思うこと
~『次郎九郎』にて思うこと~






先日、本サイト「e-konの道をゆく」の掲示板で情報をいただいた甲賀市の廃村『次郎九郎』を訪れた。旧でいうと、甲賀郡甲賀町の大字「神」の小字「藤木」、その中の集落の俗称名『次郎九郎』である。この集落は私にとって、人が住んでいた頃から無人となるまでのそれぞれの姿を見ることができた数少ない集落の一つだ。前回の訪問は3年前、もう既に人が住まなくなって何年もが過ぎていた。その時もこのコーナーでその様子を紹介させていただいき、かつての桃源郷のような雰囲気の美しい山村の風景からの変容ぶりを嘆いている。そして今回、大規模な産業廃棄物最終処分場や新名神高速道路の完成というなかで、更にまた大きくその景観が変わってしまっていることをイメージに描いての訪問であったが、実際目の当たりにしてみるとその変貌ぶりは予想以上のものだった。

3年前の訪問では廃棄物処理施設はまだ工事中でその姿はなく、土地の造成真っ最中という感じだった。それでもかつて畑のあったところは掘り起こされ,その向こうの山は大きく削られ、静かな山村の風景は大きく変容していた。そして今回の訪問では廃棄物処理施設の建物も完成されており、さらなる変容した姿があった。しかし今なお処理施設の工事は続き、今後も変容しそうな雰囲気。新しい立派な道路の工事も行われており、それが完成したら今以上に『次郎九郎』の景観は変わることは間違いない。申し訳程度に、村の象徴とも思われるもみじの老木と村の墓地が残されている。また奥に廃屋が一戸残されてはいるが、その対照的な風景とは何とも違和感を感じてしまう。もはやズタズタとなった『次郎九郎』から昔の姿を想像することは難しく、15年間の埋め立てが終わると植林して山に返すという計画が実現されたところで、もうそこには以前の故郷の姿を感じることは難しいことだろう。





その処理場の正式名称は「クリーンセンター滋賀」というそうだ。15年間で廃棄物の埋め立てが終わり,その後は植林して山にかえすという計画であったが、リサイクル推進などで廃棄物が大幅に減少し、当初の予想どおり進むかは甚だ不鮮明。またそれに伴い収入も当初の見込みから大きく減少し、建設の際の借金返済も計画通りにいくのかどうかは難しい状況という。建設に莫大な金を使い(税金と借金)、運営もままならない状態。運営することから生まれる赤字は、おそらく税金でまかなわれるのだろう。こういった施設は必要なものであることはわかっているが、現状を考えると何かややりきれないものを感じざるを得ない。なぜ建設以前にエコの発想が無かったのか。電気も同じだ。電気が足りないから原発が必要という前に、なぜ節約という発想がなかったのか。無駄とかというだけではなく,失うものの大きさも考えるべきである。





などなど『次郎九郎』の空き地に車を停めて一人ぼやいていると、何か視線を感じる。ふと横を見ると道の向こうの薮に一匹の鹿。背中には鹿の子と言われる白い斑点。まだ角ははえていない。じっとこちらを見ているが、逃げるような様子はない。餌を食べ始める。そして終わるとこちらをじっと見る。場所を変えて餌を食べ始める。そしてまた顔を上げてこちらを見る。じっと見る。とにかくじっとこちらを見ているのである。





山で鹿を見る機会はけっこうあるが、鹿の顔を正面からじっくり見る機会はなかなか無い。案外鹿の顔は四角い、などシャレを言っても始まらないが、実際にこうして見ると四角い。そしてこの顔を見ると、なんとも心癒されてくる。山で生活する人たちにとって鹿はどうしようもない害獣ときく。もちろん鹿にこのことを言ってもわからないので駆除(射殺)されてしまうことになるだが、その姿を見ると本当にかわいらしく、癒されてしまうのである。

気まぐれな『次郎九郎』の訪問であったが、何か考えることが多かった。鹿の登場に癒されはしたものの、なかなか素直になれないのである。









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【2009/09/21 15:39】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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