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#210 山の集落で出会った二人から
~山の集落で出会った二人から~






谷からの坂道を車で10分程のぼった所にポツンとある集落、四季折々の美しい風景を見せてくれるその集落が好きで、私はよく訪れる。もう何十年も前から過疎化が進んでいるその集落に、年間を通して生活している人はほんの数人。いずれもご高齢の方ばかりだ。まわりの家から次々と人が去り、助け合いがあってこそ成立していた山の生活は、もうとっくに崩壊してしまっている。今では、自分で車を運転する、もしくは誰かが生活に必要なものを届けてくれる、という形でのみ生活が成立するのである。そういう所での高齢者の一人暮らしの生活、おそらく息子さんや娘さんはさぞかし心配しているはず。「一日も早く山から下りて一緒に暮らしてほしい」・・と。集落の機能を失ってしまった村に今も頑なに生活をするその姿は、外部の私などからみると「故郷を守っている」などという風にも見えてしまうのだが、そこで生活されている方にとっては極々普通の思いでしていることなのかもしれない。





その村を初めて見た20年程前は、過疎集落というイメージよりも普通の美しい山村という感じの方が強かった。当時、廃村を中心に撮影していた私がここを撮っていないのもそのためだったのだが、実際にはその頃から過疎化が深刻で常時お住まいの方は少なかったのである。そういうイメージを感じなかったのは、常時そこに住んでいなくても、折にふれては帰ってきて故郷の家を大切に手入れをされていたからに他ならない。今はその頃から比べると、倒壊してしまったり、更地に整理されてしまっていたり、大きくゆがんで崩れるのを待つばかりといった家屋などが目立つ。時折帰っては掃除をしたり草を刈る、窓を開けて空気を入れ換えたり食事や風呂で水や火を使う、そういった普通のことが普通にされていた老家屋たちが、流れる年月の中で主と別れざるを得なくなり、少しずつ風景を変えてしまったということを思うと、時の流れの寂しさを感じるのである。





この夏、その村を何気なく訪れた時に一人の方と出会った。その方は、私が集落の写真を撮っている時に庭の片付けをされていた。お邪魔かなとも思いながらも声をかけてみると、この村で生まれ、この村で育ち、この村で嫁ぎ、そしてこの村を離れて、今は大阪で生活をされているとのこと。年に何回か、遠く大阪より空き家となった故郷の家に帰ってこられるのだが、今回は、たまたまお盆に帰ってこれなかったので少し遅れての帰郷。ここに住んでおられた頃は、仕事が無い、子どもの教育の将来が心配、重労働ともいえる毎日の生活の厳しさ、など不安いっぱいで、「何とかしてここを出たい」とずっと思われていたという。そして、嫁いで10年近くが過ぎた昭和37年、ついに若い夫婦は両親と住んでいた故郷の地を離れる決心をする。大阪の地での、夫と幼子だけでの新しい生活のスタートだ。その新しい故郷となるべく大阪の地でも懸命に毎日を暮らし、やがて10年、20年と年月が流れ、幼子たちも立派に成長し独立していく。そうした長い時が流れていく中で、遠き山の故郷の地を守っていた両親も亡くなり、故郷の家が主の無い家となっていくことになったのもまた自然な時の流れといえるのかもしれない。





かなりのご高齢と思われるが、この方は大阪から電車に乗り、駅からタクシーで来られたという。駅からといってもかなりの距離だ。料金も半端ではないだろう。何より、猛暑を通り越したこの夏の酷暑の中、遠い大阪から一人でこの山の故郷に帰ってこられた、そのことに驚く。「息子は仕事があるし、迷惑かけとうないから」と普通に語るそのことばや表情からは、故郷への思いを強く感じる。この山の中腹にある小さな村は、大阪と比較にならないほど不便な所。もちろん近所に店など無い。バスも無い。それどころか人さえほとんどいないのである。そんな所に一人で帰ってくる・・・いったい何のために?





「ここに帰ってくるとね、ホッとするん。本当にホッとするんよ」

「でも、大阪は便利ですよね?」

「便利やけど・・・人間関係がねぇ・・。薄いっていうか・・隣がどんな人かもわからへん。こっちやったら何でも話したり・・ちょっと何かが無くなったら○○貸してって隣に行ったり・・」

今はこの集落にはほとんど人がいなくなってしまったが、それでも帰って来た時は、集落の旧知の仲の人と出会うという。

「本当はすぐにでも帰ってきて、ここに住みたいんよ。でも近くにお店も無いし、何も買いに行けへんし・・生活できゃしませんよ。昔は麓の村のお店から車が上がってきて、それで食べもんとか買ってたんやけどねぇ。」

その麓のお店も、ずっと昔にご主人が亡くなってからは車の販売も無くなり、店自体が閉められてからも、もうかなりの年月が過ぎているという。それでも店だった茅葺の家屋は今も健在で、当時の面影を感じることができる。

「もしお店があって、生活用品や食料品の不便さがなかったらどうですか?」ときいてみる。すると間髪入れず「そりゃぁ、もう、すぐに帰ってくる!すぐにでも帰ってきたいよ!」という元気な声。出たくて出たくて仕方なかった故郷の地なのに、何十年という月日は故郷への思いをまた違ったものに変えていき、その望郷の念は日に日に強くなってゆく。「そらぁ、ここに帰ってきたら昔のこと、よう思い出しますよ。もう、それにふけるっていうか・・」と話されることばの中に、故郷の存在の大きさ、故郷の存在の大事さが感じ取れた。人にとって故郷の存在は?というのは常日頃の私のテーマでもあるのだが、この日のこの方との出会いでも、人間にとっての故郷の存在の意味の大きさを再確認した思いであった。





もうあたりは暗くなっていた。もっといろいろお話をうかがいたかったのだが、せっかくの限りある時間の故郷の滞在を邪魔してもいけないと思い、お礼を言って帰ることにした。先程までいろいろな話したことを思い出しながら、谷へ下りる薄暗いくねくね道をゆっくりと車で下る。ふと前を見ると、坂道をゆっくりと上ってくる人の姿。女性でかなりの高齢であることはすぐにわかった。滅多に車が通ることの無い道、こちらの車に少し驚いているような感じだ。さらに近づくと、その背中には山菜取りに使うような籠が背負われているのも見えてきた。やはり地元の方だ。この道は一本道、行先は先ほどお話うかがったあの山の集落しかない。ということは、この方が、何十年と暮らし続けている方のうちの一人?どこから坂道を上ってきたのかはわからない。麓から?途中にある墓地から?いずれにしても、何か用事を済ませて自宅へ帰る途中なのだろう。集落まで距離はそんなに無いが、日は落ちてもまだまだ蒸し暑く、薄暗い中にもその姿や表情からは疲労の色がこちらにも伝わってくる。私の中で「挨拶をする?それとも上まで送るよう声をかける?・・でも、山育ちの方にそれは失礼?かえって迷惑?何よりもこんな時間にこんな所で得体のしれない男から声をかけられたら怖がられてしまう?」などなど様々な思いが交錯する。そうした葛藤の中で、すれ違うわずかな時間が妙に長く感じられた。昼間の明るい時なら普通に挨拶できたのだろうが、結局、声をかけずに横をゆっくりと素通りすることになってしまう。

何かその後もずっとそのことが気になっていた。山菜取りで遅くなったのだろうか、それともお墓にお供えをした帰りだったのだろうか、大丈夫だろうか・・等々おせっかいであることはわかってはいるのだが、あの薄暗い山道を一人でゆっくりとのぼっていく老女の姿に、いろいろなことを考えてしまうのだった。何十年も不便極まりない故郷の地にとどまることを選択し、年老いた今なお頑なにその生活を続ける。その限りなく強い思いと精神力、それとあの薄暗い坂道をゆっくりとのぼってくる姿。その対比と、内にある様々な思い、それらを考えると何か胸にこみ上げてくるものを感じて仕方なかった。





山の中腹にある、不便きわまりないもののどこか桃源郷のような感じさえする美しい集落。この日、そこを故郷とする二人の方と出会った(一人はただすれ違っただけなのだが・・)。姿を変えゆく故郷にとどまり、いかに不便になろうとそこに生活し続けることを選んだ者、また一度は故郷に憂いを感じて自らの意思で去ることを選びながらも、何十年の時を経てその地に戻ることを心の底から望む者。故郷の中にずっと居続けた者と、故郷を外から見ることになった者。これまでの生きてきた過程は大きく違っており、今ある状況も大きく違っている。しかし故郷に寄せる思いの重さはどちらも限りなく重い。ただ、その故郷の中で生活している者とそうでない者とでは、重みの中身も違うだろうし故郷の感じ方もかなり違っているはず。一年の内のわずかな期間であるが、その2人が同じ故郷の地でリンクする。その時、二人の間ではどんな会話が交わされるのだろう。昔話?それとも今の生活のこと?そのお二人の会話を思う存分聞いてみたい、聞ければ幸せだろうなぁ、そんな風に思ったりするのである。





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2010/10/24 21:33】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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