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#213 国内最古の現役木造校舎だった、吹屋小学校
~国内最古の現役木造校舎だった、吹屋小学校~






普段は滋賀県とその周辺の近場しか訪れることの無い自分であるが、そんな無精者の人間でも、少し遠出してでも訪れてみたいと思う所がいくつかある。そのうちの一つが岡山県の高梁(たかはし)市にある、吹屋小学校。残念ながらこの春を最後に、1873年(明治6)からの長い歴史に幕を閉じることになってしまったが、国内最古の現役木造校舎として、その風格ある佇まいと美しい姿は、地元の人のみならず多くの木造校舎ファンからも愛され続けてきた。その吹屋小学校、ずっと以前から「訪れてみたい」と思っていながらも無精者ゆえ実現していなかったのだが、この3月で学校としての歴史を閉じるということを知り急遽訪れた次第である。





岡山へ向かう途中の中国自動車道からは、この地方の山村の風景がよく見えた。それほど高くない山の、なだらかな斜面に点在する老家屋たちが作り出す里山風景、それらが穏やかな春の陽気の中で大変のどかに広がり、満開の桜が美しさをより際立たせる。滋賀や岐阜などの山間集落はよく訪れているが、そこらとはまた違った美しさを感じさせてくれる山の風景がそこにはある。新見インターを下りて吹屋に向かう道中にも、同様の美しい里山を数多く見ることができた。やはりそこでも桜がとても美しく、至る所で桜咲く風景と出合うことができ、改めて日本人と桜の深い結びつきを感じたりもするのだった。そういえば、一日でこれほど多くの桜を見たことは、これまでになかったかもしれない。





「備中高梁観光案内所」というWEBサイトから、この吹屋小学校のことを拾ってみた。学校の発足が1873年(明治6)。1899年(明治32)に吹屋尋常高等小学校と改称して現在の場所に移転し、翌1900年(明治33)木造平屋の東校舎と西校舎が竣工、そして1909年(明治42)に木造2階建の校舎本館も落成とある。また同サイトから吹屋集落についても見てみる。それによると吹屋は、かつて銅山で大いに栄え、元禄年間には日本6大銅山の一つとして数えられる程で、西国一の規模を誇っていた。そこには多くの商人や芸人が集まり、遊女屋もあったという。明治の初めの頃でも人口は約3000人、吹屋小学校も大正期には300人もの生徒数でにぎわっていたというから、今の静かな風景からは想像がつかない。しかし昭和に入って銅山は次第に廃れていき、1972年(昭和47)には遂に閉山となる。長きに渡って地域繁栄の源となっていた銅山も、遂には力尽きたということなのだろうか。ちょうど高度経済成長期で、多くの若者が地方から離れていく社会状況の中での閉山は、この地域の若者離れに拍車をかけたことは間違いないだろう。









吹屋小学校の木造校舎は、吹屋が大いに栄えていた頃に建てられた木造校舎。地域の大切な子どもたちの教育の場、地元の大工が腕によりをかけ、当時の最高の技術が注がれて造られたということは想像に難くない。この地域教育を支えてきた吹屋小学校の最後の様子は、新聞やテレビでも報道されており、報道ステーションというニュース番組では特集も組まれて、その様子を映像で見ることができた。最後となった年の全校生徒数はわずか7名。そして最後にここを巣立つことになった卒業生は3名。3人の卒業生を送り出して長い歴史を閉じた吹屋小学校は、今後は資料館として第二の人生を歩むことになるという。近年、観光地としても吹屋に貢献してきた同校は、これからも地域に貢献し続けるのである。









訪れた日は平日ということもあり観光客は少なかったが、それでも吹屋の街並から足を伸ばして小学校まで訪れる人の姿を何人も見ることができた。つい先日まで現役だったため、校舎や校庭、花壇などは大変美しい。ただ本来ならば子どもたちのにぎやかな声が聞こえるはずなのに何も聞こえず大変静かなのは、過疎で悩むこのあたりの地域の現状を表しているのかもしれない。それを強く感じたのが、観光地となっている吹屋のベンガラ色の街並を少し外れた時である。

そこには土産物屋さんもあるきれいな趣ある古い街並とは対照的な、人のいない苔むした廃屋の風景があった。まだ崩れてはいないが、もうここに人が住むのが不可能であることは一目で分かる。こういった主を失い廃屋となっていった家屋が、閉山以降、数え切れないほどの数に上ることは間違いない。100年以上もの長い歴史を持つこの小学校が姿を消す背景には、やはり過疎に悩む地方の山村事情があることを、この廃屋が物語ってくれている。観光地とはいえ、そこには厳しい現実があるのだ。









また小学校横には、それより1年前(2011年3月)に休園となった保育所の姿も見ることができた。最後となるその年の園児4人のうち2名が吹屋小学校に入学したというから、その2人の子どもたちは吹屋保育園最後の卒園生であり、吹屋小学校の最後の入学児童でもあったということになる。今はまだ幼くてその状況を理解することは難しくても、子どもたちの記憶の中で、静かな山里の中の保育園や小学校の思い出は、故郷の映像としていつまでも心に残るのだろう。将来この地を離れ都市部に出るようになった時には、その印象はより強くなっていくのではないだろうか、そんなことを勝手に想像したりもする。





大変静かな風景の中、学校の石段に腰をおろし、しばらくボーッとする。日が沈みかけるこの時間には、もう誰も訪れる人はいない。本当に、ちょっと前まで子どもたちがここで学校生活を送っていたのだろうかとさえ思ってしまう程、静かな空間。そして、100年以上もの長い仕事を終えた木造校舎を眺めながらすごす時間は、疲れた心を大いに癒してくれる時となる。日が沈み、あたりが暗くなってからのライトアップされた校舎からは、昼間とはまた違った印象を感じたりするが、これからはこの姿が吹屋小学校の姿となっていくのだろう。そんなことを考えていると、今の社会の中でこのような故郷の思い出を持てることは何物にも代え難い素晴らしいことだなぁ・・などと感じ、そのことが心底うらやましく思えてしまうのである。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2012/04/28 22:21】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
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