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#219 芹谷を走って下りる
~芹谷を走って下りる~






芹谷を走って下りる。「え?ここから谷まで?」と驚いて聞き返した私に、「そんなん、10分くらいで下りれたんよ。」というオバチャンのことば。それに更に驚いた。「10分で、山道を走って?」「そう、そう。今の道やったら40分くらいかかるけどねぇ。」
このオバチャンにはこれまでにも何度かお話をうかがっていて、この谷を走って下りる話は以前にも聞いたことがある。このコーナーでもそのことを既に書いたと思っていたのだが、調べてみても出てこない。どうやら前回お話をうかがった時に、書くつもりでいながら書いていなかったようだ。ということで、今回再びお話をうかがうことができたので改めて書いてみたのだが、それにしても芹谷中腹から谷の底まで10分で行けるなんて、本当に驚きだ。

















ここは芹谷の中腹に位置するある山村「桃原」、谷底の芹川沿いの道から分岐して車で車道を10分くらい登った所にある小さな集落だ。春は福寿草、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は雪化粧を施した老家屋の風景など四季折々の山村の美しさを、訪れる者に見せてくれる。私もそれが見たくて、年に何度かは必ず訪れる。それでもやはり時の流れの容赦なさは確実にこの村の形を変えている。歪みながらも体裁を保っていた廃屋の屋根は落ち、力尽きたとばかりに、ただ崩れるのを待つばかり。道路沿いにあった立派な土塀のある堂々とした老家屋も、昨年には解体されたのか跡形も無く、現在は更地となっている。集落内の家屋も、外観は普通に保っていても実はかなり傷んでいると思われるものも少なくない。そんな中、今でも庭がきれいに手入れされ、人の温かさが伝わってくる家屋も何軒かあり、そのうちの一軒にお住まいなのが、冒頭のお話を聞かせてくれたオバチャンだ。













その方は、この地で生まれ、この地で育ち、就労後もここを離れること無く生活をし、やはり同じ「桃原」生まれの方との結婚の後もここで生活を続けて子どもたちを育て上げた。そして老いた今もこの地で暮らす。「桃原」一筋に生きてきた、生粋の「桃原」の人なのである。「この辺は全部畑やったん。ゴンボ(ごぼう)とサトイモやったねぇ。タバコも作ってたよ。」ということで、現在杉が植林されている所はほとんど全てが畑だった。そしてその畑は冬場になると、そのままスキー場に変わる。スキー場自体は昭和30年代に廃業していたみたいだが、その頃のここの景色は今のうっそうとした感じとは全く違い、大変見通しのよい高原の風景だったという。そして学校に通う子どもたちは、畑の間の山坂道を駆けるようにして下って、谷底の学校に通っていた。芹谷小学校ならびに多賀小学校芹谷分校だ。そして、その谷底までの通学時間が10分。
それにしても、そのお話をうかがっても、どうしても10分で谷まで下りるということが、今の風景からは想像できない。以前、地元の方にこの地周辺の古い航空写真を見せてもらったことがある。その写真を改めて見てみた。その写真には、現在の「桃原」への道の、橋を渡ってから一つ目の大きなカーブあたりから上が全て畑になっている風景を見ることができる。開けた畑の風景の中に家屋が点在するという感じで、まさに高原の風景がそこに広がっていた。それを見ると「うん、これならば元気な子どもの足なら10分で駆け下りれるかもしれない」と納得できるのだが、やはり今の杉林の暗い風景からはなかなか想像がつかない。













有名な作家である大仏次郎(おさらぎ じろう:1897年~1973年)が、昭和42年7月にこの「桃原」の地を訪れ、その時のことが『今日の雪』という随筆集に書かれているという。「桃原」集落の集会所に掲示されている『私たちの字「桃原」の紹介』という掲示物の中でそのことが書かれており、随筆集に書かれている内容が紹介されている。そこには当時の「桃原」の、山の斜面が耕されてゴボウやタバコ畑になっている様子や、日当りの良い所は畑にあてられ人々は日陰に住んでいる様子、さらには家の周囲や畑に雑草が多く、歪んだ廃屋なども見られるなど、当時の過疎が進みつつある情景なども描かれている。また「桃原」の人たちが、相当裕福らしかったという表現も見られる。そして最後は、何も無い高い山の村で、「桃原」は決して桃源でなくわびしく淋しい、というようなことばで閉められていた。

これは当時の「桃原」の様子が書かれた大変貴重なものであるが、「裕福ではなかったよ。そんなんあんたー、ゴンボとサトイモだけで1年間暮らせるはずないやん」というオバチャンの切実なことばが、そのパッと見の印象とは違った当時の実態を物語る。確かにそうだ。ゴボウとサトイモだけで十分な収入があったなら、畑を潰して植林することもないだろうし、何より人々が山を下りる必要も無いはず。もちろん中には持ち山の豊富な巨木を切り売りして裕福な生活をしていたところもあったかもしれないが、大多数はそうではなかったはずだ。実は私もこのオバチャンのお話を聞くまでは「桃原」は周辺の中では裕福な山村だと思っていた。他の芹谷集落に比べると土地も広く、一軒一軒の家屋も大きい。しかしやはり現実は、山の生活の厳しさだけではなく、高度経済成長の影で進む過疎化にも、大いに苦しんでいたのである。
大仏次郎さんは彦根の取材に訪れた時に、「桃原」のような村が山中にあるということを運転手に聞き立ち寄ったという。そして「桃原」を去る際に、お話をうかがった現地のおばあちゃんに、お昼ご飯として東京から持ってきた稲荷寿司を差し出している。めっそうもないと断るおばあちゃんだったそうであるが、何とか渡すことに成功したようだ。何かこのエピソードに、当時急激な変化を遂げつつある社会と、そこから取り残されようとしている山の村の光と影の部分、そのギャップがうかがわれるような気がしてならない。都市部が活気に溢れ、それとは対照的に全国の中山間地で過疎化減少が目立ち始めた時代の中で、この小さな山村の風景に、都会からのふいの訪問者は少なからず衝撃を受けたことだろう。













この日、オバチャンはたくさんの話を聞かせてくれた。そのどれもが嘘偽りの無い現実の話ということで、全てが大変興味深く貴重なお話だった。「私、年代が苦手やから、いつの話かはっきり言えんで申し訳ないわ」と何度も気にしてくれていたのだが、こういった地元の方の生活に密着したお話というのは何よりも説得力がある。お話ししてくれたこと全てが、生粋の桃原の人だからこそ話せる内容ばかりで、学者や研究者からは決して得ることはできない本当に貴重なものだ。そしてそこから得るものや学ぶことは大変多いと、聞く度に感じるのである。





今「桃原」には、1年を通してここで生活をされる方以外にも、冬場のみここを離れ子どもたちと暮らす方、年に何度か遠方からこの地に帰ってくる方、住んではいないが頻繁にここに帰ってくる方、離れていたがこの地を消さないよう再び畑を始めようとしている方等々、様々な思いで様々な立場で人々が帰ってくる。しかし帰ってきている人の大部分は、この「桃原」で生まれ、故郷として「桃原」を見ている人たちである。当たり前と言えば当たり前なのだが、それより若い世代になると故郷は別の地となるのでほとんどこの地への関心は無いという。このオバチャンの息子さんも「桃原」育ち。「息子は、いずれここに帰ってきたいって言うてるん。そやけど、やめとき!って言うてんのよ。そんなん、ここはなんにもあらへんでしょう。生活できひんよ。それに何かあった時に危ないやん」と言いつつも、その息子さんの望郷の思いが何より理解できているだけに、そのことを語る時の表情は何とも言えない笑顔になる。そして今、自分自身が息子さんから同じような心配をされていることもよくおわかりなのだろう。









雪どけを待つようにしてこの「桃原」の地に帰ってきてからは、静かになった故郷で静かに暮らす。「なんでやろう、ホッとするん。なんでかってことは説明できひんのやけど、ほんとうホッとするんよ。」「息子も嫁もほんまにようしてくれるし、下の生活には何の不満も無いんやけど、それでもここに帰ってくるとホッとするん。」これまでにいろいろな地で、いろいろな方に消えゆく故郷や、既に消えてしまった故郷のお話をうかがったが、大部分の方がこのオバチャンと同じような思いを話される。不便極まりない山奥の地、それでもそこはその人たちにとっては心の拠り所となる場所。これこそまさに故郷への思い、それ以外の何ものでもないということを強く感じる。





10分で谷へ下りた道、そのことが最後まで気になって「子どもだった頃に走って下りた道は、今どうなっていますか?」と尋ねてみた。今はもう杉が植林されてしまい、当時の面影はほとんど残っていないという。それでも「行ったらすぐにわかるよ。わたしも足が大丈夫やったら、すぐに行って教えてあげるんやけどなぁ・・」と何度も残念そうに言ってくれた。ぜひ教えていただきたかったのだが、やはり健康と安全は第一である。それでもそう言ってもらえたことが、とても嬉しかった。そして、オバチャンからこの話をうかがって以来、杉の木で鬱蒼とした桃原の風景の中にも、明るく爽やかだった頃のかつての風景を普通に感じられるようになった。山村を訪れる度に好きになっていくのは、やはり今の風景だけではなく昔の風景もそこに見ることができるようになるから、そのことを改めて思ったりするのである。





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2012/07/18 05:08】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
#218 小入谷林道(林道小入谷線)2012年6月
~小入谷林道(林道小入谷線)2012年6月~






滋賀県の高島市(旧・朽木村)から福井県小浜市へと抜ける峠越えの林道「小入谷林道」は、私の大好きな林道の一つだ。これまでに当サイトでも何度も書いているが、ここは林道そのものはもちろん、林道から見える山深い景色や明るく開けた景観、峠の風景さらに林道周辺の集落、木造校舎等々、本当に見所いっぱいで、滋賀県が全国に誇れる林道だったと思っている。事実他府県からの訪問者も多く、そういった人や車などもよく見かける。特に峠手前あたりからの林道の風景、山々の風景は美しく、季節によっては早朝に雲海が見れるということもあり多くの人が訪れる。また条件が良ければ、峠から福井県側に若狭の海を見渡すこともできる。未舗装林道の自然観溢れる景観が大好きなオフローダーとっては、まさに至福の場所といえるのだが、一昨年より一部舗装工事が始まって、その後も舗装化が進み、その進行状況が大いに気になるところだった。





一昨年の2010年夏に訪れた時はまだ舗装工事はされていなかったが、同年秋の訪問では途中の一部が舗装されていた。そして昨年春の訪問では、滋賀県側の林道起点から舗装が始まっており、着実に工事が進行していることが確認できた。この工事は、高島市が力を入れている‘高島トレイル’の、林道からのアプローチポイントの一つとして整備されているのであろうと思われるが、それを考えると全面舗装も時間の問題だ。多くの人が安全に訪れられるように、ということでは当然の流れとも考えられるが、やはり失うものも大きいのでは?と感じたりする。高島トレイルについては、その公式サイトがあるので、そちらを見ていただければ詳細がわかる。









ここを訪れたのは梅雨入り前の6月の初め、晴れてはいるが、何とも白みがかったモヤの多い日だった。いつものように滋賀県の「小入谷」集落からのアプローチを試みる。この集落は名前の通り谷にある集落だ。ずっと以前から小規模を保っている。林道を上って行き、高い所からこの集落を見おろして見ると、いかに山々の底のわずかな平地にある集落ということがよくわかる。林道起点はその村の奥にあり、集落から続く道は完全に舗装されている。起点には、平成の市町村大合併以前の、ここが朽木村であった頃に立てられた黄色い林道看板が今も健在。看板には「林道小入谷線」という正式名が記されている。

林道は起点からずっと舗装されており、そのまま味気なく進んで標高を上げていくことになる。舗装以前に、よく車を停めて写真撮影をしていた地点で降りては見たものの、アスファルトの道の風景は何とも絵にならない。道ばたで山野草が花を咲かせるようなスペースもなく、どこででも見られる道路の風景に変わってしまっている。結局、林道の風景はあきらめ、林道からの風景が美しく見える所まで車を走らせることになる。









そういえば未舗装の時と舗装後では、車のスピードがずいぶんと変わる。未舗装路は尖った石などでのパンクや、車体を路面に擦ったりすることに注意しなければならないので、当然、舗装時より慎重になりスピードを落とす。一方舗装路は、安心して車を走らせるのでスピードは上がる。さらに言えば、林道ファンの自分としては未舗装路の石や砂利を踏むタイヤの音もけっこう魅力的で、それを聞きながら進んだりするので、さらにスピードを落としての走行となる。遅くなるというのはなかなかいいもので、鳥の声が聞こえたり、普通なら見落としてしまいそうな道ばたや崖の斜面に咲いている野草の姿など、普段味わえないものを味わえたりする。そして何より安全運転になるのがいい。そう思うと、別に便利にならなくてもいいじゃないかという気持ちが、より強くなってくる。

余談になるが、今のSUV車の純正タイヤはオンロード用がはまっており、これはオフロードでは何とも頼りなく、いとも簡単にパンクする。私自身これまで3度林道でのパンクを経験しているが、いずれも純正のタイヤであった。もちろん慎重に運転した上でのことだ。尖った石は刃物のようにサイドウォールを切り裂くので、林道走行をする時は、高価な買い物になるがオフロードに対応したタイヤ装着が必須となる。タフさだけではなく、ぬかるみや砂利道でのグリップ等を考えると賢明な選択だ。また、林道の多くは携帯電話の圏外でJAFも呼べず、さらに平らな場所が少なく地面も不安定、そういう所でのタイヤ交換は甚だ危険でもある。そう考えるとオンロードタイヤでの走行は無謀とも言えるのである。

















話を戻す。舗装路をしばらく走り、いつものビューポイントにくる。崖下の道が舗装されていることで、そこからの小入谷の風景は、以前とは雰囲気がずいぶんと違って見える。上の比較写真は、2009年5月撮影の写真と2012年6月撮影のものを並べたものだ。林道走行が好きな自分としたら、未舗装路のむき出しの砂利道は違和感なく周りの風景にとけ込み、とても美しく感じる。しかし特に林道ファンでなければ、未舗装路はやはり危険を感じるものでメリットは何もなく、決して歓迎されるものではないのだろう。また、山登り愛好家などにすれば、林道自体がとてつもない自然破壊で、許されざる行為に映るのかもしれない。価値観の違う者、人それぞれということなのかもしれないが、やはりできる限り自然に近い形で残してほしいと感じる。





実際多くの車が気軽に入ってくることで、ゴミや不法投棄などは間違いなく増えるだろうし、山野草を無断で根こそぎとって持ち帰る者も出てくる。ここではないが、山菜採りの人に山や田畑が荒らされるというのは、今までに何度も聞いたことがある。この日も写真のようなゴミが捨てられているのをいくつか見た。缶詰の空き缶などは、間違いなくここの景色を見に来た者によるものだろう。完全舗装されると、こういったことはますます増えることは間違いない。舗装が安全面、管理面でどうしても必要なのかどうかわからないが、自然を壊し汚しているのは、外部から入ってくる人間だということを忘れてはならない。もちろんそんなことをしているのはごく一部の者なのであろうが、きれいだった河原や砂浜が、人が自由に入ってくるようになるとゴミで溢れかえるというシーンをこれまで嫌というほど見ていると、やはり不安になる。













など考えながら、いくつかのビューポイントでいつものように写真撮影をする。来る前は、モヤでかすんで下界がまったく見えない状態を心配したが、幸いモヤはさほど多くない。クリア感はないものの下界を十分に見ることができる。やはりここからの風景は広大で美しい。遠くの山々の重なるグラデーションは、ここがいかに山深い地であるかということを感じさせてくれ、つい見とれてしまう。そしてそこから小入谷の風景を見ると、改めて「小入谷」集落が、深い谷底にあることがわかる。深い山の底という感じだ。望遠レンズを使うと集落のバス停や駐車している車、そして人の姿までが確認できる。地図上の直線距離を測ってみると2.5kmほどなので、それほど遠くはない。肉眼でも集落の存在は十分に確認できる。おそらく昔の人たちも、峠越えのこの風景を見ることで、自らの位置を確認し安心したことだろう。













峠に近づくと舗装が終わり未舗装路へと変わる。なんだかホッとするが、未舗装路はもうわずかしか残っていない。おそらく1、2年の内には完全舗装されているだろう。残念ながらこの日は、福井県側の若狭の海はかすんでしまって、わずかに島の存在が確認できる程度だったが、それでも十分美しい。この島が一体何という島なのか以前から知りたかったのだが、未だにわからない。方向を正確に測り、地図で場所を確認するということも必要だと感じる。地図を見ると、この辺りには小浜湾の蒼島、世久見方面の烏辺島、常神岬方面の御神島、千島などの島があるのだが、方向から判断すると烏辺島、御神島、千島あたりか。もしご存知の方がおられたら、ぜひ教えていただきたいと思う。それにしても、峠を含めたこの辺りの風景は本当に美しい。













しばらく静かな峠でボーッとする。周辺は杉の植林が少ないため木々の緑も爽やかできれいだ。福井県側を見ると山腹にある集落「上根来」が見える。ここも過疎化が大変進行している集落だ。峠に目をやると、壊れかけた黄色の林道の看板に、ミラーが曲がってしまったカーブミラー。いずれも雪によるもので、この地域の積雪の凄まじさを物語る。以前はカーブミラーの支柱だけがあったのだが、その後補修され、また曲がってしまったようだ。黄色の林道看板も、もう何度も直されているようで2年前は普通にまっすぐ立っていた。これは看板だけではなくガードレールも然りで、福井側へと下る道のそれは、なんとも見事に波打った状態になってしまっている。その中で地蔵堂は健在であった。建て替えられてどれくらいになるのかわからないが、祠の裏には以前の残骸が残されていた。冬場は雪で完全に埋もれてしまうこの地蔵さん、何百年にも渡って人々に大事にされ続けているのだろう。





こういった自然の多い所に行くといつも感じることがある。できるだけ多くの人がこの風景を味わえることは良いことだと思うし、自分自身もその恩恵に大いにあずかっている。しかし何か線引きをする所が少し間違ってはいないか、と感じたりすることも多い。人間の自分本位で上から目線的なところが目につくのである。自然は人間の所有物ではなく地球のもの。保護されてそこにあるものではなく、元来普通にあるべきものだ。自然を大切に生きてきた人たちから学ぶことはもちろん、これまで自分たちが犯してきた過ちから学ぶことが必要であるのに、それができていない現実を今の社会に感じてならない。





この峠から見える、静かで美しい若狭の海、実は原発銀座とも呼ばれるほど原子力発電所の数が多い所(建設予定だったものも含むと15基)。もし過去最大級の災害がこの地で発生したとすれば、もはや「想定外」などのことばでは済まされない事態がそこには展開する。そして未来へのビジョン無きまま、間もなく、そのうちの大飯原発の稼働が再開されるのである。





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