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#232 春の芹谷にて
~  春の芹谷にて  ~






 久しぶりに芹谷を訪れた。鈴鹿山脈最北部を水源とし、琵琶湖岸(彦根市)へと注ぐ芹川。その芹川の上流部にある谷で、行政区分でいうと犬上郡多賀町ということになる。杉林の山の急斜面に挟まれているため、日中でも薄暗い谷ではあるが、四季それぞれにとても美しい風景を見せてくれる。私はこの谷が好きで、多い時は毎週末毎に訪れていたものだが、最近は道の工事なども多かったこともあり、訪問は久しぶりのこと。といっても、今年の初めに雪の風景を見に訪れてはいるのだが、それでも一時期に比べるとずいぶんとその機会が減った気がする。









 この日は、毎年恒例の福寿草の花を見るための訪問。春の知らせを告げる美しい黄色い花が、冬枯れの地味な色の風景の中で咲く様子はとても印象的で、例年これを見に行くのを楽しみにしている。黄色に輝く花がたくさん咲くその様は、長くすごした冷たく薄暗い時期を終えてようやく暖かい明かりが灯された、そんな風にも感じるのである。





 そういう美しい福寿草だが、実は毒を持っている。それもかなりの強い毒性があるそうで、食べたり煎じて飲んだりすると死に至ることもあるという。ただその毒のおかげか、鹿などの獣に食べられることも無く、今も鈴鹿では元気な姿を見ることができる。たいていの植物を食べ尽くす鹿の繁殖により、この周辺でも多くの植物が姿を消しているが、そんな中でも生き残る福寿草にとって毒は身を守るための貴重な能力なのだろう。ただ、そんな福寿草も、自宅へ持ち帰るために根こそぎ掘り起こす人間に対しては、残念ながら対抗手段を持たない。





 福寿草の撮影に訪れたのは、鈴鹿の山腹にある集落。その昔は多くの家と、そこに住む人々の生活のあったこの集落も、今では崩れ落ちた家屋も多く、人の姿はなかなか見ることができなくなっている。少し前は冬場でも生活をする人の姿はあったのだが、今年はその方も積雪の季節は山を降りられているようで、戸は閉まったまま。このように、人々の生活の温もりが年々薄れていく様子を見るのは、仕方無いとはいえ何とも寂しく感じる。今年初めに雪の風景を見に訪れた時も、この集落には人の姿は全く無く、足跡なども全く無かった。降り積もったままの新雪に覆われた静寂の風景が、そこに広がるだけだった。









 訪れたこの日は1台の車が停まっていた。その横に車を停め、いつもの場所まで行き早速撮影に入る。ここ数日の暖かさもあってか、けっこうたくさんの福寿草の姿があった。やはり美しい。黄色の花びらは日の光を受けてより美しく輝き、花びらについた朝露の透明の雫が光る。その、なんともいえず清々しさのある姿を、撮影中はカメラのファインダー越しに思い切り感じることができる。そのことが大変心地よく、ひたすら撮影する。









 しかしここは、大部分が杉林という山の中。この時期は花粉が多く飛んでいるようで、花粉症の自分にとっては大変辛い状況でもある。暖かなこの日は特に多く飛散しているようで、息をする度に大量の花粉を吸い込み、クシャミと涙が止まらない。我慢しきれず思い切りクシャミすると、その大きな声が鈴鹿の山にこだまする。どこまで聞こえているのだろう、など思うと少し恥ずかしくなるが、人の存在を示すのにはいいのかもしれない。クシャミや涙に悩まされながらの撮影もこの季節ならではのものだ。





 そうしていると、先程の車の所に人の姿。60~70代くらいの男性だ。挨拶をすると「まだ花は開いていないでしょう?」ということば。福寿草を撮影しにきていることが、相手の方にも伝わっているようである。時刻はまだ10時前で、たしかにこの福寿草の咲いている所は、朝の光がまだまばらにしか当たっておらず、花びらを閉じているものも少なくない。光に包まれると開く花びら、今目の前にあるたくさんの花たちももうすぐ開く。それは、これらの花も春の季節の温もりを敏感に感じながら生きているのだということを感じる時でもある。実は私自身は、この花びらを開きかけている時の福寿草の姿が一番好きだったりする。









 少しだけその方とお話をする。この集落で生まれ育った方とは、これまでにも何人かと話をする機会があった。その中で、以前のこのコーナーでも少しご紹介した「谷の底の小学校まで山道を走って通う」ということを、この方にもうかがってみた。するとやはりそのことは、この方の世代の時にもあったようで、山道どころか、道からはずれた最短コースを選んで元気に駆け下りたという。それだけではなく、帰りの上り坂も競争しながら駆け上がったとのこと。今のような立派な道はもちろん無い。ただ、現在杉林になっている所が一面の畑だったため、見晴らしは今とは比較にならない程良かったはずだ。高原を駆け下り、駆け登る、そんな感じだったのかもしれない。それにしても、やはり山で育った子どもたちの体力は計り知れない。









 獣害についてもうかがってみた。今はもう、何を植えても鹿と猿にやられてしまうため、大がかりな柵などの対策をしなければ畑などはほとんどできなくなってしまっている。畑どころか花壇に植える花なども、ことごとく食いつぶされてしまう。以前は季節になると大変美しい花をたくさん咲かせていた道沿いの紫陽花も、鹿に大半がやられてしまい、今はその姿も鹿の背の届かない所に限られてしまっている。その鹿と猿も、集落に多くの人々の生活があった頃はさほど多くなかったという。畑ではゴボウやコイモなどがたくさん収穫され、山では林業が盛んで、それらが人々の生業となり得ていた時代、そういった時代が終わりを告げて畑が杉林へと変わり、若い人たちを中心とした世代が次々と山を下りて急速に人口が減り始めてから、今のような状況へと変わっていく。





 ところが、その鹿も現在食べるものが不足し、杉の木の皮を剥いてまでして食料不足を補おうとしている。その方の「飢え死にした鹿を見ることもある・・」ということばからは、鹿にとっても食料の無い苦しい時代になっていることがわかる。人も住めない、獣も餌不足で住めない、そういう山になってしまったということなのだろうか。そういえば、谷を流れる芹川にも魚の姿はほとんど見られない。以前は漁協が稚魚の放流などをしていたが、今はそれも行われなくなっている。時折見かける釣り人の様子を見ていても、釣果の上がっている気配はほとんどないのである。





 「この辺の家は、みんな大阪の方へ出てしまった・・」「遠くへ出てしまうと、なかなかこっちへ帰ってくることも無いし、家もこんななってしまう。」と語る視線の向こうには、崩壊した家屋が撤去され更地となってしまった土地や.今まさに崩れつつある廃屋たちの姿がある。私がこの集落に訪れるようになってからも、多くの家屋が倒壊し、村の様子は大きく変貌している。ここ数年のうちでも、立派な家屋が取り壊され更地となってしまった。といっても、もちろん新しく家が立てられるはずも無く、今は広々とした空き地があるだけだ。









 「庭に花が咲いてるから、写真を撮りにくるか?」ということで、おことばに甘え、その方の庭まで案内してもらった。獣たちからの被害を避けるために柵が張り巡らされた庭の片隅、そこには一面に咲く小さな白い花の姿があった。人や獣から守るための柵が施された中でようやく生き続けることのできる小さな花、かろうじて生き延びているその姿は、もはや人の手で守られていないと絶滅してしまうという厳しい状況を伝える。この方の愛情に支えられて今年も花を咲かせた小さな花、きっと何10年と大切にされてきたに違いない。「私はもう帰るから、あとは柵を閉めといてくれたらいいよ。」ということで、しばらくそこに1人残り、その白くて小さな花を撮影させてもらった。なんて名前の花なのか帰宅後に調べてみると、それは「セツブンソウ」という花。節分の頃から開花を始めるこの可愛らしい花は、以前ならば芹谷でも多く見られたのだろう。しかし山一面が針葉樹へと変わり、増え続ける鹿たちの餌となり、さらには観賞用にと心無い人間に持ち帰られるなどして、もはや絶滅寸前になってしまった。同様にカタクリの花の多くも姿を消してしまったというから、生きるために食べざるを得ない鹿の場合と違って、人間の罪は深い。





 庭の柵をしっかりと閉じて、再び福寿草の撮影に戻る。すると、奥の廃屋の方から盛んにドーン!ガタン!などという音が聞こえる。誰かいるのだろうかとそちらを見ても誰もいない。撮影に戻ると、またその音が大きく響く。何だろうと近づいてみると、そこには猿の群れ。廃屋の周辺で餌を探しているようだった。こちらの姿を見ると逃げていくのだが、最後まで残る1匹の猿の姿がある。望遠レンズで見てみると、それはかなり痩せた老猿。人が近づく恐怖より、空腹を何とか満たすことが先決だったようだ。猿たちにとっても餌不足は深刻であることが、その老猿を見て感じることができる。そう思うと、猿も変貌した環境の犠牲者なのかもしれない。









 先程まではまばらにしか日が当たっていなかった福寿草だが、今は広く日が当たっている。撮影しているとブーンブーンという音が聞こえてくる。黄色く鮮やかに咲く花の蜜を求めて、ミツバチが集まってきているのだった。カメラのファインダーで追いながらその様子を見ていると、なかなかおもしろい。一生懸命に花から花へと飛んで蜜を吸い、頭やらなんやらを花粉だらけにして、足には花粉団子を作っている。そして次の花へと飛んでいく。花からは蜜をもらい、そのお礼ではないだろうが、蜂は花の受粉のお手伝いをしている。二者はうまく共生しているのである。どちらかが欠けても、もう一方はそこでは生き続けられなくなるという大切な関係がそこにはある。そういった周囲との関係がバランスよく築かれて、生き物は生きていけるのだということを感じさせてくれるこの関係は、自然界の中では不可欠なことだ。









 人間もかつては自然とうまく共生して生きていた。その頃は自然の中に神を見出し、神を崇めることで自然を大切にし、自分たちもその中の一部としてうまくバランスをとりながら生きてきた。その一つの完成形が里山という、最も日本らしい風景だったのではないだろうか。今回訪れた集落はもちろん、この他にも芹谷周辺にはたくさんの美しい里山があった。しかし山も周囲の環境も大きく変貌していった。かつての風景の面影が、時の流れとともに消えていくことは仕方のないことだが、そこで失われるものの大きさを考えてみるのはとても大事なこと・・、そのように思えてならない。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2014/03/22 21:59】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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