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#100 芹谷の金次郎
~芹谷の金次郎~

滋賀県犬上郡多賀町の芹谷地区にあった多賀小学校芹谷分校。透明な水が美しい芹川沿いにあったこの学校も過疎化の波の押し寄せとともに、平成5年に本校の多賀小学校に統合されて閉校となっている。そして赤い三角屋根の白い校舎も、今はもうその姿は無く、学校跡地も整地されてしまって道端の地蔵さんが残るだけ。校舎が取り壊されてまだ3年くらいしかたたないのに、この芹谷に校舎があったのがずいぶん前のことのように感じるのはなぜだろう。

以前、芹谷地区のあるお年寄りの方にお話をうかがった時に、この芹谷分校にあった二宮金次郎像が、現在『河内』集落あたりにあるということをうかがった。きっと放っておけば校舎とともに壊されてしまう金次郎像のことを、惜しみ悲しんで移されたのだろう。おそらく幼い頃にこの金次郎をずっと見ながら学校生活を送られた方に違いない。
そのことがずっと頭にありながらも「芹谷の金次郎」を確認する機会は無かったのだが、先日芹谷を訪れた際に、地元の方からいろいろお話をうかがっている中でその話が出てきた。それによると現在は「河内の風穴」の手前の八幡神社前にあるという。それではとばかりに、その話をうかがったその足で早速訪れてみたのである。

その二宮金次郎像はすぐに見つかった。言われたとおり、本当に神社のすぐ前にある。「こんないい所に移されていたのかぁ・・、大事にされてるなぁ」と何か無性に嬉しい気分になる。とても元気そうだ。何十年にもわたって学校の子どもたちの勉強する姿を見続けていた金次郎だが、今は風穴に訪れる観光客や、宮参りをするかつて共に暮らした子どもたちの姿を見守り続けていたのである。手にしている教科書の上に賽銭の小銭が数枚置かれているのが、何とも可愛らしい。「ここならきっと寂しくない」そんな風にも感じた。

今、手元に40年以上前の芹谷分校の写真がある。この時の分校校舎は、この取り壊された芹谷分校校舎ではなく、それより先代の木造校舎の芹谷分校である。いや当時は芹谷村の芹谷小学校だったのかもしれない。場所も今とは違った所に建てられていた校舎だ。写真の所有者の方の承諾を得ていないので掲載できないのが残念であるが、その古びて色あせた写真には、木造の校舎の前で女の先生と一緒に写真に収まる20数人の元気そうな子どもたちの姿が写っている。そしてその子どもたちの中央には、あの二宮金次郎像!!何人もの子どもたちによじ登られて、迷惑そうな楽しそうな・・。何か色はやけに黒っぽいが、紛れも無くこの日神社の前で見たあの金次郎だ。昔から子どもたちに親しまれ、愛されていた様子がよくわかる。この写真を見て、何かさらにまた嬉しくなった。

何十年にもわたって芹谷の子どもたちの姿を見続けてきた金次郎像は、今はその場所を変えて、かつての子どもたちを見守っているのである。八幡神社の鳥居の前の金次郎、きれいに手入れされて小ざっぱりしたその姿から、芹谷の人たちの金次郎への愛情が伝わってくる。強い過疎化の波が押し寄せるこの地域だが、この先も何年、何十年と、ずっと金次郎が寂しく感じることが無いように続くことを祈るばかりだ。

「芹谷の金次郎」、学校無き後も今なお健在なのである。









http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/03/04 19:44】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
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