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#110 山村の‘普通の風景
~山村の‘普通の風景’~

新緑の時期に山を訪れる。この時期の山の緑はとても美しい。いろんな色の緑がグラデーションとなり、山の風景を見事に彩る。この日訪れた山の風景も実に新緑の緑が美しかった。この美しい山の緑は、この季節、この時期の普通の風景なのである。

京都の丹後地方の山村にも、この新緑の普通の風景があった。緑の葉と、生き生きとした黄緑の葉の対比、それらが逆光になることでよりコントラストが明確になる。緑が一面に広がり、その背景となるものまでも生き生きとさせる。この日背景となったものは人が住まなくなった集落‥というか老家屋。集落というには、もう残っている家屋が少なすぎる。もう2ヶ月もすれば、雑草に覆われてその姿の半分が隠れてしまうであろうと思われるその家屋、この時期は植物の背も低く、まだかつての生活の場を見ることができる。まだまだ建物はしっかりとしている。集落の墓地横に建つこの家屋、もしかするとお盆の時期には草が刈られ、先祖の霊を供養する人たちを迎い入れる場となるのかもしれない。

新緑の山村の普通の風景の中に身を置くと、いろいろな勝手な思いが次から次と湧き出てくる。目にするあらゆるものから、イマジネーションが勝手に沸いてくるのである。私は何の関係も無い部外者。勝手な想像をされて、老家屋にとっては迷惑なことかもしれないなぁ‥など思いながら写真を撮影する。そこに人がいるなら、話を聞くことでイマジネーションと現実との距離が縮まるのであるが、そういう所で人と出会えることはごくわずか。

範囲はごく狭いのであるが、ここ数年いろいろな山村を訪れている。季節季節に見ることができる普通の美しい風景を、時期時期に味わい堪能できることの幸せをいつも感じる。そして普通の風景の美しさを感じれるということは、ささやかな自慢でもあるのである。

美しい山村の普通の風景とは別にもう一つ、山村の普通の風景がある。それは人の姿が無く、草に覆われた老家屋や残骸がひっそりと残る風景。地図を見た時、山間部に記された細い実践の道の消えるところ、その地の多くでそれが普通の風景となっている。その地から人が消え、家屋が消えることが特別なことでなくなっているこの現実が、山奥の集落の普通の風景となって、もう何十年にもなるのである。










http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/05/13 03:14】 | その他山村・廃村・自然 | page top↑
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