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#112 土倉鉱山跡より
~土倉鉱山跡より~

土倉鉱山跡を訪れた。最近は年に数回は訪れている。選鉱場へ行くとアベックがお昼ご飯を仲睦まじく食べていたので、邪魔をするのも嫌な感じがして、結局通りかかってすぐに引き返すことにした。その他にも車が数台停まっており、梅雨の前の土倉鉱山跡は初夏の陽気とともににぎやかな雰囲気であった。

今回この地を訪れたのは、実は選鉱場ではなく社宅跡方面へ行くことが目的だった。以前このコーナーで紹介させていただいた(かつて土倉で働いておられた)土屋様の手記、ならびに掲示板で書き込みいただいた(幼少期を土倉ですごされた)多幸山様の書き込み、いずれにもふれられてあった、昭和34年の伊勢湾台風時の山崩れ災害の慰霊碑をこの目で確かめたいと思ったからである。梅雨に入ってしまえば植物に覆い隠されて見えなくなってしまう、近づけなくなってしまう。その前に何とか見ておきたかったのだった。

慰霊碑は社宅跡の杉林の中にすぐに見つけることができた。天気が良いこともあり、慰霊碑上の木々の葉が光り、とても美しい。その下にひっそりと佇む慰霊碑。今のこの時期でも、もう多くの草に覆われている。その草や、倒れた杉の木の枝をかき分けて慰霊碑にたどり着く。この地で10人もの犠牲者が出たことを物語るものは、この慰霊碑以外に何も無い。多幸山様のお話によると、崩れた跡が崖となって長らくの間見ることができたということだが、今はそれももう確認できない。

杉林の中には住宅跡と思われるコンクリートの基礎が多く残っている。中にはアンカーボルトが突き出て、そこに土台となっていた木材が残っているものもある。もちろん苔むして今にも崩れそうであるが‥。慰霊碑を振り返る。そこにきれいな花が供えられているのが見える。ちょうど杉林からの日差しが、その花を照らし輝かせる。遺族の方が備えられたのだろうか‥。災害から50年近い歳月が過ぎてもなお、遺族や関係者の犠牲者を思う気持ちや悲しみは変わることはない。年老いた身で、杉林の中の草をかき分け慰霊碑までたどりつく。当時の悲しみが昨日のことのように蘇る。そして花を供え、手をあわせる。その光景を思い浮かべると、思わず胸が熱くなる。

今、慰霊碑のすぐ横には巨大な橋げたが完成し、快適な道路が八草トンネルまでつながるのを待っている。そしてこの工事により故郷『土倉』の住宅跡地も変貌を遂げた。かつての災害の地にできた巨大な道路、夏場には草に覆われてその姿さえ見えなくなる杉林の中の慰霊碑。対照的なその姿を、素直に受け入れるのは難しい。この地に眠る、災害の犠牲となった多くの方たちの思いはいかなるものなのだろう、など考えてしまうのである。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/05/28 04:39】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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