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#122 木製の橋のある、谷の風景
~木製の橋のある、谷の風景~





古めいた一枚の写真がある。山間の谷の、美しくのどかな風景。手前に見える木製の橋から一本道が続き、その先には走っている車の姿が小さく見える。道の両側には棚田と民家。全体的に白っぽいのはうっすらと積もった雪のせい。村を囲む山々も雪で薄化粧。山間の谷の小さな集落の初冬の風景だ。この写真を見てどこの写真かわかる方は、おそらくほんの一部の限られた人だろう。

上の写真は、昭和42年に滋賀県教育委員会により発行された『滋賀県文化財調査報告書(第2冊)/愛知川ダム水没地域民俗資料緊急調査報告』から引用したもので、ダムができる前の愛知川谷の風景である。大変詳細に、そして克明にまとめられたこの報告書、これをきっかけにダム工事の際に水没地域の本格的な民俗調査が全国的に行なわれるようになったという。愛知川ダムというのは現在の永源寺ダム(滋賀県東近江市)のことで、昭和27年に国営事業として着手され同47年に完成している。なおこのダム建設によって175戸の水没世帯を含めて213世帯が故郷の地を移転されている。今もダム横に走る道沿いに『佐目』と『萱尾』という二つの集落があるが、ともにダムができる前は、谷の底の愛知川まで広がっていた集落だったのである。

この写真に写っている木製の橋、見覚えのある方はおられないだろうか。実はこの橋、以前に‘たまに一言#88’と‘写真帳「永源寺ダム・樋之谷橋」’で紹介させていただいた樋之谷橋である。普段はダムの底に沈んで見ることはできないが、このように渇水期になると姿を現す。

この写真を見るまで、永源寺ダムの底にあったかつての風景を私は知らなかった。だからこの橋のある風景は、想像するしかなかったのだ。私が直接見た橋の風景は、渇水時のみ見られる、橋げたや欄干が折れゆがみ、大量の堆積した泥を背負う、乾いた泥色の風景だけ。それがこの写真によって、かつての温かみある風景とつなげることができた。ゆがみながらも橋としての形を維持し、その支柱に刻まれた樋之谷橋の名前が今なお確認できるところに、人々の生活を支え続けたこの橋のプライドを感じたりもする。いつ造られたものかはわからないが、地域の住民の大変重要な橋として、さぞかし頑丈に作られたに違いない。今はもう見ることのできない、愛知川谷の原風景の証人といったところか‥。

今この辺りの風景は大きく変わろうとしている。5年後、10年後はもっと大きく変わっているだろう。というのは、近い将来、鈴鹿の山々を貫くトンネルが完成し、三重県とつながるからだ。もう何時間もくねくね道を通って峠を越える必要が無くなる。通行止めに悩まされることもなくなる。そしてそれに伴っての道路整備も着々と進んでいる。きっと今よりもっと多くの人たちがこの地を訪れ通過することになり、観光地としてもより発展することになるだろう。今もダム下やダムの上流には、かつての愛知川の原風景を思わせるような風景が一部残っている。非常に美しい風景だ。これらの風景の5年後、10年後はどうなっているのだろうかと考える。何が必要で、何が必要でないかは人それぞれで違うものだろうから、思いもそれぞれであっていいと思う。しかしこの先も人間が自然の中で生きてゆく以上は必ず守らなくてはならないものがあり、そのことを決して忘れてはいけない、ということをこの1枚の写真を見て改めて感じたりするのである。







※参考資料
『滋賀県文化財調査報告書(第2冊)/愛知川ダム水没地域民俗資料緊急調査報告』発行:滋賀県教育委員会

http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/08/12 06:46】 | ダム | page top↑
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