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#135 狛犬の見た秋(廃村・茨川)
~狛犬の見た秋(廃村・茨川)~

先日、久しぶりに廃村『茨川』を訪れた。途中、茨川林道から見える美しい清流や紅葉の風景を目にすると、つくづくと「永源寺第二ダム計画が凍結となって本当によかったなぁ‥」など感じてしまう。この美しい自然を壊す。何てとんでもないことを人間は‘正しいこととして’やろうとしていたのだろう。はたして何人の人間がダムを必要としていたのか。失われるものに見合うほどの必要性が、本当にこのダム建設にはあったのか。自然をまるで自分の物のように次々と壊してゆくことの罪、このことを考えようという時代になった次、人間はどのような道を選ぶのだろう。

訪問前日よりうっすらと白くなった鈴鹿の山並みの頂部。ここ『茨川』にもその影響が残っており、家屋の陰になったところには雪が残る。今も残る元分校のあたり一面には銀杏の黄色の葉が敷きつめられ、見事な秋の風景を見せてくれている。鮮やかな赤!という紅葉のクライマックスとなる風景は残念ながら見ることはできないが、それでも色とりどりの葉の色が、日ごろは寂しさばかりが目立つ廃村の風景をやけに賑やかにしてくれている。時おり、はるか上空を飛ぶジェット機の音が不自然に聞こえるだけで、あと聞こえるものは自然の声だけ。他に人の気配もまったく無い。林道入り口あたりのトンネル工事の賑やかさとはまるで別世界の最奥の地『茨川』、そこでの秋を一人味わえることに感謝する。

集落を一通りまわった後は、いつものように神社へと向かう。いつかのこのコーナーでも紹介させていただいたように、神社の鳥居や祠は最近になって新しくされたもの。設置当時は真新しくて不自然だったが、それも今は段々とまわりの景色になじみつつあるように感じる。それとは対照的に苔むして貫禄十分なのが、無人の村をまもる狛犬たち。どんな季節の中でも見事に主人公を演じているように見える彼らに出会えるのが、ここを訪れる時の大いなる楽しみの一つでもある。この日はちょっと失礼して、狛犬の裏にまわってみる。台座には大正十三年の文字が見える。大正十三年といえば西暦でいえば1924年。ということは、もう83回もの茨川の秋をこの狛犬たちは見てきたことになる。『茨川』が廃村になったのが昭和40年(西暦1965年)だから、そのうち人のいる秋、いない秋は、それぞれがほぼ半数ずつ。しかしこの先、人のいる秋の数字が増えることはなく、人のいない秋がただ増えていくだけ。

この狛犬がかつて見た、人のいる茨川の秋の風景。寄り添うように並ぶ茅葺家屋を紅葉の木々が彩り、その中に人もごく自然の一部として風景の中に溶け込む。神社の苔むした石段に腰をおろし集落跡を眺めると、その風景がおぼろげながら見えてくる気がする。その何とも言えぬ心地よさに、しばし時間を忘れて廃村の秋に浸りきるのである。













http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/11/29 23:59】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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