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#138 冬の季節に思うこと
~冬の季節に思うこと~

冬だ。当たり前だが、冬なのである。そして、もうすぐ今年も終る。本格的な冬が訪れると、日頃私が好んで訪れるような廃村の多くは、深い雪に閉ざされることになる。人が住んでいないので、そこまでの道に積もった雪は大方の場合除雪されることはない。また当然ながら、人がいなくなった集落の家屋の屋根に積もった雪は、春になるまでおろされることはない。結果、重みに耐えかねて崩れてゆく家屋も出てくる。たとえ崩れなくても、何ヶ月もの間、雪の重みに耐え、空気の流れも無く多くの水分を吸収した家屋たちは大きなダメージを受けることになる。何十年、中には百年以上もの長きに渡り、雪との厳しい戦いに勝利をおさめてきた歴戦の勇者の老家屋たちも、やはり人とともにあってこそ生きてゆけるのである。

無人となる厳しい冬の期間、少しでも損傷を抑えようと、かつての住人たちは、思い出がいっぱい詰まった老家屋に雪囲いや、屋根や壁を支えるための支柱を施す。おそらくそこに住んでいた時は、冬の訪れの前の恒例行事として普通にやっていたことなのだろう。ただ違うのは、雪に閉ざされた冬を共にすごすことができなくなってしまったということ‥。春になって再び出会うその日まで、老家屋とその主はしばしの別れをする。「がんばってくれよ」と、老家屋に一声掛けて故郷を去る人たちの思いはいかなるものか。この先の結末に選択肢は無いことは百も承知。それでも、年老い、かつてのように雪と戦うことはできなくなってゆく我が身を感じながら、体が動く限り老家屋を守ることを約束し、ともに元気な姿での春の再会を願うだけ。

長く厳しい冬が終り春が訪れる。ともに元気な姿での再会を果たす時の喜び、安堵感を思うと心温かくなる。しかし修復不可能なほどに歪み、崩れた家屋を見ることとなった時、また再会を約束しておきながらもそれがもう永遠にかなわぬものとなってしまった時の家屋とその主、それらのことを考えると何とも悲しく切なくなってしまう。春が訪れ、夏になっても主が訪れず、雨戸は閉じられたままで雪囲いさえそのままという家屋を見ることは少なくない。そして幾冬かを越した後に、結局主が現れることなくそのままの状態で崩れ朽ちてゆく家屋の姿もよく目にする。

形あるものが崩れ、その歴史を終えるというのは当たり前であり仕方の無いこと。1つの歴史が終わっても、そこに次の歴史が始まるのであればさほど悲しいこととは思えない。しかし1つの歴史が永遠に閉じられ、振り返られることさえなくなってしまうのは、何とも哀しい。そこにかつてあった賑やかさや温もりを思えば思うほど、その思いは強くなっていくのである。













http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2007/12/21 22:04】 | その他山村・廃村・自然 | page top↑
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