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#144 『広報よご』から
~『広報よご』から~

先日、余呉町の図書館を訪れた。明るく広々としており、郷土に関しての資料が多く揃えられているのが嬉しい。本サイトの『奥川並』『針川・尾羽梨』『半明・鷲見』などの項は、ここでの資料を大いに使わせていただいて完成したものである。この日は開館とほぼ同時に訪れた。寒さのせいか、訪れる人も少なく、昼前くらいまではほとんど貸しきり状態だった。壁には小学生が書いたと思われる壁新聞が掲示されている。‘余呉町の借金をどうしたらなくせるのか’というような、およそ小学生らしくないテーマで書かれているのが、今のこの町の苦しい状況を表しているような気がする。しかし、小学生の書いた無邪気なアイデアが現実の悲壮感を打ち消しており、何となくホッとさせられたりもする。

この日は、町が発行している広報‘よご’をじっくりと見せてもらった。昭和54年11月発行の広報には、離村(昭和44年)後10年目となる『奥川並』のことが書かれている。そこには元住民の方の、今は無き故郷への思いが綴られており、胸を打つ。奥川並集落の入り口にある共同墓地が、節目となるこの年に建てられたということも紹介されている。離村してから10年もの間、ご先祖様の供養が十分にできないことに悩んでおられた元住民の方たちも、これによってようやく心安まる思いをされたことだろう。そして離村後40年が過ぎた今でも、村の入り口にあるこのお墓は変わることなくきれいに保たれている。何年が過ぎようとも変わらぬ故郷への思い、ご先祖様への強い思いを感じさせてくれるのである。

昭和52年10月発行の広報には丹生小学校小原分校のエピソードが載せられている。これがまた実に寂しくも微笑ましい。年々減少する児童数、この年はとうとう分校にはたった一人の児童しかいなくなってしまったのだという。隣の『田戸』から通う5年生の女の子が、教室にポツンと置かれた一つの机に座って、教師と一対一で学習している写真が印象的だ。教室後ろの掲示板にはられた多くの書の作品や絵画作品。おそらく全てがこの女の子の作ったものなのだろう。山の中の木造校舎、そして先生と二人っきりの教室‥なのである。

この女の子は田戸から分校までの往復2kmの通学路を一人で通う。「通学の友は、まわりをとり巻く自然の木々や草花、小川のせせらぎである。(以上‘広報よご’より引用)」と本文には書かれてあるが、まさにそのとおりだったのだろう。しかし雨の日や雪の日、風の強い日など、あの山深い道を一人歩くのは、幼い子にとっては不安でいっぱいだったはず‥。また冬場は雪のため寄宿舎生活となる。仕方ないとはわかっていても、10歳を越えたばかりの女の子にとってはさぞかし寂しかったことに違いない。こんなことも書かれてあった。この子は、1年生の時からずっと同学年に他の生徒がおらず一人だった。そのため1年生の時には隣の席に人形を置いて授業が行なわれていたと‥。入学したてで、クラスにたった一人。きっと寂しくて涙を流すこともあったのかもしれない。その幼い子の心中を察して、担任の先生がそっと隣の席に人形を置いてあげる。「もう寂しくないよ。いっしょにお勉強しましょうね。」という声が聞こえてくる、そんな気がする。

今はもう奥川並も小原分校も田戸も全てが姿を消してしまっており、この地を訪れても当時の名残のものさえなかなか見つからない状態だ。初めて訪れる者には、人が住んでいたということさえ想像できないだろう。小原分校でたった一人で学校生活を送ったこの女の子、今では40才を少し過ぎたくらいの年齢となっているはず。彼女の中で当時の思い出はどのような形で残っているのだろうか。



「広報よご(編集・発行 余呉町役場)
/昭和52年10月6日発行号」より




「広報よご(編集・発行 余呉町役場)
/昭和52年10月6日発行号」より




現在の小原分校跡


http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2008/03/17 06:34】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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