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#160 『大原百井町』にて
~『大原百井町』にて~

以前、京都の久多から佐々里そして芦生を訪れた時に、時間が足りずに通り過ぎただけに終わっていた大原の『百井(大原百井町)』と『大見(大原大見町)』の両集落が気になっていたのだが、先日ようやく時間を見つけて訪れることができた。滋賀県から百井へ向かう坂はかなりの急勾配。「冬など大変だろうなぁ」など考えながら先に進む。それでも山間部の割りには道はそんなに狭いというわけではないので、圧迫感はそんなに感じない。

『百井』は静かで美しい山間集落。村を車でゆっくりと抜けようというところで百井分校の姿を見つけ、早速写真を撮ろうと車を降りる。校門あたりで座り込んで写真を撮っていると後ろから「こんなとこに何かいいもんありますか?」という声。振り返ると、頭に三角の帽子をかぶった農作業の帰りと思われる70才代くらいの男性の姿。「山の集落が好きで写真撮らせてもらっています」「どうぞ、どうぞ」などと挨拶を交わし早速話をうかがう。

この百井集落も例外なく過疎化が進んでいる。大原小学校の百井分校は既に閉校(休校?)。「学校が閉鎖になってもうだいぶんになるなぁ。(これより奥の)尾見分校はそれよりもずーっと前、20年、いやもっと前や」とのこと。帰って調べてみたところ、大原小学校百井分校は平成3年3月に一時閉鎖、尾見分校は昭和47年12月に一時閉鎖となっているから、それぞれ17年、37年程前ということとなる。「昔は炭焼きで生活できたから人も多かったけど、今は子どもはおらへんし若い人もおらへん。おるんは、わしらぐらいの年寄りばかりや。」「定年後に帰ってくる人もおらんなぁ‥」ということばに、山間集落の厳しい現実を感じることができる。ちなみに尾見分校の‘尾見’という名称は、この分校の学区の『大見』と、さらに奥の『尾越』の両集落名から取ったものなのだろう。

真夏の最も暑い時間帯の立ち話だが、校門前の坂に腰を降ろすとけっこう涼しい。時折吹く風が心地良く頬を撫でる。「夏でも、昼間はなんぼ暑うても夜なんかなったら、そらぁ涼しいもんや。」そういえば百井分校のある所は標高650mで、京都市内の学校で最も高い位置にあるらしい。また、校門支柱の横にある大きなもみじの木。それが影を作ってくれていて涼を与えてくれている。「わしが子どもの頃は、このもみじの木はもっともっとちっちゃかった。これに登って、よう怒られたもんや。」と、大きくなったもみじが作るその涼の中で、昔を懐かしそうに語る。もみじの木とはもう半世紀以上のつき合い、いわば幼なじみといったところか。普通は校門の横には桜の木が定番だが「全部腐ってしもた。」とのことで、校庭のフェンス際には途中で切られた桜の木が何本か残っていた。これが花を咲かせていた頃は、さぞかし美しい‘小さな分校の春の風景’が見られたんだろうなぁ、など勝手にイメージを膨らませる。

今では高齢者だけとなり、人口も戸数も減少して大変静かな百井集落であるが、分校校舎を利用して相撲の合宿が毎年行われているという。学校なのかどこかのクラブなのかはわからないが、かなりの人数が来られるらしい。残念ながらシートがかぶせられていて見ることはできなかったが、分校の校庭隅には立派な土俵も作られている。いつもは静かな山村にも、この時ばかりはぶつかり稽古の音や元気な声が村中に響き渡ることだろう。過疎の村と相撲という結びつきが何とも意外で印象に残るのだが、それよりもそのことを語るお年寄りの表情が、この日一番に印象に残ったりしたのである。









http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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