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#163 寝そべった金次郎像
~寝そべった金次郎像~





金次郎像といえば、仕事の合間にも寸暇を惜しんで学ぼうと、背中に薪を背負い勉学に励む姿‥のはず。しかしここの金次郎は少し違っていた。何と金次郎が寝そべって勉強をしているではないか。私たちが目にする金次郎像の全てが、薪を背負って歩きながら本を読むスタイル。ちょっと珍しい金次郎像だ。二宮金次郎像については、掘り下げれば深い意味があるようであるが、「金次郎さんのように勤勉・勤労な姿勢を見習いましょう」というのが一般的。その金次郎が寝そべって本を読むなど言語道断。

実は種明かしをすればこの金次郎像、両足首の部分が折れてしまって台座から金次郎がとれてしまってこのように置かれているのだった。決して金次郎さんが怠慢して腰をおろしている訳ではない。しかしこれはこれで普段見慣れない金次郎の姿に、何か不思議で新鮮な感じがしたりもした。たまには休憩しながらもいいじゃないか、そんな感じだ。それにしても少し像の角度が変わるだけでも、ずいぶんと違った感じに見えるものなのだなぁと妙な所で感心してしまう。

この金次郎さんを見たのは、滋賀県との県境近くの岐阜県の旧坂内村川上地区の坂内小学校川上分校。昭和58年に休校そして冬季分校となり、昭和63年にその冬季分校も休校となっている。もちろんもう校舎も残っておらず、今は新たな建物が建てられている。校庭の隅に遊具が少しと、この金次郎像が残るだけだ。ちなみにこの分校、その昔は今の場所よりもう少し上手にあった。しかし昭和14年の雪崩により校舎が押しつぶされてしまい、この場所に新たに校舎が作られたとのこと。地元の方にうかがったところ、この金次郎像が折れてしまったのもやはり大雪が原因という。こちらは今から2~3年前のこと。この地区の自然災害の厳しさを物語るエピソードである。

で、この金次郎像、ふと台座を見ると「寄贈、株式会社間組」と書かれてある。「なぜ建築大手の間組が金次郎を?」など思っていたが、地元の方のお話でその疑問はすぐに解けた。実はこの川上地区の少し上手の坂内川上流に神岳(かみがだけ)ダムというダムがある。1934年着手、1935年竣工のこのダム工事を請け負ったのが間組。そしてその際に、坂内小学校本校と川上分校にそれぞれこの二宮金次郎像が間組より寄贈されたということだ。寄贈は昭和11年というから今から73年前、もうずいぶんと古い話である。早速、坂内川をさかのぼり神岳ダムを見に行った。日頃見慣れた大規模なダムとはまた違ったこじんまりとした雰囲気で、何ともレトロな感じがして少し不安な感じもするのだが、今でも立派にダムとしての役割を果たしているようだ。発電用水の取水だけではなく、長きに渡って豪雨の際には下流地域を土砂災害から守ってきたのだろう。遠い昔から豪雪や山崩れ、地すべりなど自然災害と戦ってきこの地域、一見穏やかで平和な山村の風景だが、その裏にはこういった厳しい自然との戦いの歴史があることを忘れてはならない。

揖斐川町のサイトの坂内小中学校のページを少し調べてみた。かつての川上分校の本校である坂内小中学校だが、現在、小学校が3学級(複式学級)で全校児童17人、中学校が3学級で全校生徒9人というように非常に小規模校となっている。川上地区にも小学生が3人おられるそうだが、その子達が卒業してしまうと川上地区の小学生はもういなくなってしまうという。そのことを語る時の地元の方の寂しげな表情が、今もずっと心に残る。自然との戦いには心折れることなく向かっていった人々であるが、過疎との戦いにはその術が見つからない、というのが山村につきつけられたありのままの現実なのかもしれない。







http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2008/09/08 20:04】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
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