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#168 霊仙分校跡で見たもの
~霊仙分校跡で見たもの~


芹谷(滋賀県犬上郡多賀町)の最奥の集落『霊仙・落合』。その集落の一番奥に、山にへばりつくようにして多賀小学校霊仙分校はあった。今はもう校舎は全く残っておらず、注意深く見るとフェンス、桜、門柱に何とか気づく程度。知っている者でなければここに学校があったなど思うことは無いだろう。私自身これまでに何度も訪れてはいるものの、いまだここに学校があったということが実感できないでいる。

前回のこのコーナーでも書いたが、この地は植林された杉が空を覆い隠し、日中もほとんど日が当たらない。そのためいかに天気の良い日に訪れても薄暗く、道や家屋の多くは苔むして何ともいえない独特の雰囲気を作り出している。当然この学校跡地にも日は当たらず、秋晴れのこの日も薄暗いままだった。

学校跡は夏場は雑草に覆われてしまって、朽ちて崩れかかった門柱より中にはとてもじゃないが入ることができない。コンクリートの門柱ととそこにボルトで固定されていたであろう木の柱、それと雪の重みでたわんでしまった金網の青いフェンスだけが、雑草に覆われる時期には見ることができるもの。秋もそろそろ本格的になろうかというこの時期であれば、おそらく雑草の勢いも無くなりグランドにも入れるだろうと思って訪れたこの日であるが、現実はそうではなかった。夏場より幾分ましだとはいえ、この日も背の高い秋の‘雑草’に覆われて、やはりグランドの土は見ることができない。冬場は雪で覆われてしまうので、やはり地面を見ることは不可能。一体いつに、この多賀小学校霊仙分校のグランドの土を見ることができるのだろう‥など思わず考えてしまう。

ところで‘グランド’ということばを先程から使ってはいるが、ここは鈴鹿の山中の芹谷最奥にある小さな分校跡。通常の広さを持ったグランドということは到底あり得ない。小さな体育館くらいの広さの敷地に小さな校舎が立ち、その余ったスペースがグランドという感じだったのだろう。ことばとしては、グランドというより‘分校の校庭’といったほうがしっくりくるのかもしれない。今の様子からは、ここに学校があったということはまことに受け入れ難い。校舎在りし日のこの地を訪れているはずなのだが、残念ながら当時の学校風景の記憶が全く無く、実際の校庭のイメージを持つことができないのが何とも歯がゆい。

ふと見ると門柱横のフェンスに何かがからんでいる。鎖だ。その先を目で追ってゆく‥「おお!」と思わず声が出る。ブランコである。フェンスの柱にブランコが絡み付いているのだ。わざわざ他の地からブランコの残骸を持ってきてここに絡みつけるなんてことはあり得ない話、間違いなくこの霊仙分校にあったブランコなのだろう。ずっとここにあるのなら以前に来た時に気づいていたはずなのだが、全く気づかなかった。誰がいつフェンスにこのブランコをかけたのかはわからない。残骸となって雑草に埋もれていくのを哀しく思ったのか、草刈の際に草刈機にチェーンが巻きつくのを嫌ってどけようとしたのか‥いずれにしても、現役の頃のイメージの沸かない分校跡に、何かわずかなイメージのきっかけを与えてくれたような気がする。普通に見たら単なる残骸、しかし私からするとこれは輝く光。以前、余呉町の尾羽梨分校跡でやはりブランコの残骸を見つけたが、その時とはまた違った嬉しさを感じたりもした。

1年生から4年生までの小さな子どもたち。その子たちが小さな机を並べて学んだこの地は、長い年月をかけて静かに自然の中にとけこもうとしている。学校のすぐ横に二軒の民家があるが、そのうちの一軒はまだまだ十分に人の温かみが感じられるが、もう一軒は傷みつつある状態。村が活発な頃は、さぞかし子どもたちのにぎやかな声で悩まされていたのであろうこの二軒の民家であるが、今は静けさの中でゆっくりと流れる時をすごす。ここで見たブランコがわずかではあるが、消えてしまった子どもたちの声や、にぎやかな子どもの声を聴きながら生活していた‘学校横の民家’の当時をイメージさせてくれる。そのことを思うと、静寂のこの地にも様々な声が聞こえてくるのである。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2008/10/30 22:39】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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