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#169 『桂(越中桂)』を感じる
~『桂(越中桂)』を感じる~


合掌造りの集落『桂(かつら)』(富山県南栃市/旧上平村)は、富山と岐阜の県境の山深い辺境の地に存在した集落で、現在は境川ダム湖(桂湖)の底に沈む。そしてそこから山道を歩いて30分ほどの峠の向こうにあったのが、同じく合掌造りの『加須良(かずら)』(岐阜県大野郡白川村)集落。ともに戸数6~8戸という小さな集落。この辺境の地の二つの小さな集落は、冬場になると想像を絶する豪雪に見舞われ、周囲とは完全に隔絶されてしまう。また冬場でなくても、その険しい地理的条件のため、近年になって林道が通じるまで周囲とつながりを持つのは容易ではなかったという、まさに陸の孤島というべき秘境である。

そうした中でこの二つの村は長い歴史の間お互いに助け合い、肩を寄せ合うかのようにして支えあって運命を共にしてきた。その『加須良』が集団離村で廃村となったのが昭和43年のこと。そして支えあった一方を失った『桂』も、2年後の昭和45年に離村の道を選ぶ。この二つの村は「かつら」「かずら」というようによく似た音。その為それぞれを『越中桂(えっちゅうかつら)』『飛騨加須良(ひだかずら)』と呼ばれることも少なくない。ともに生活の温もりが消えてから40年もの年月が過ぎているにもかかわらず、ネット検索でこの二つの集落が多くのヒット数を得ることからすると、人々の注目度も決して低くはないのかもしれない。

先日、ダム底に沈む『桂』地区周辺を訪れた。この『桂』はダムに沈んだといっても、通常よくある「ダム計画~立ち退き~廃村~水没」というのではない。ダム計画が持ち上がったのはすでに人々が去った離村後のこと。したがって、桂集落跡がダムに沈んだと言った方が正しいのかもしれない。とはいえ、元の住民の人たちの故郷の地への思いが薄まったり消えたりするはずは無いはず。ご先祖様が眠る歴史ある地を二度と踏めなくなってしまう哀しさや無念さは、決して変わることはないだろう。

『桂』が湖底に眠る境川ダム湖(桂湖)、秋晴れのこの日は実にのどかで静かな風景を見せてくれていた。訪れる人は決して多くはないが、ダム湖見物や紅葉をめざして写真撮影に訪れる人たちの姿は時折見かけることができる。広々とした奥のキャンプ場には、カヌー遊びなどでのんびりとすごす人たちの姿。ダム湖の最奥まで行くと境川を渡る橋があり、そこからは峠越えの林道が続き『加須良』へと至る。その橋から『桂』集落があったあたりの湖面を見る。すると下がった水位のせいか、湖斜面に何か石垣らしきものが見える。以前訪れた時はダム湖の水量も多く集落の面影は全く感じることができなかったが、この日は幸いにも水位が下がっており、『桂』在りし日の面影を少しだけ見せてくれていたのだった。もちろん建物などが残っているはずは無い。残っているのは整然と積まれた石垣と、それによってきれいにしきられた合掌家屋があったと思われる跡だけ。それでも当時の写真とオーバーラップさせながら、石垣や周囲の山の風景を見ると、当時の姿が十分イメージできるのである。

ご存知の方も多いかと思うが、この『桂』そして『加須良』の合掌造り集落は何とも言えない独特の美しさを持った、まさに桃源郷と呼ぶにふさわしいような雰囲気を持っている。険しい山道を延々と歩いた後に、もしこのような景色が目の前に開けたとしたら本当に感動的だろう。清流の流れる、わずかに拓けた谷あいに堂々とした合掌家屋。美しさ以上に威厳のようなものを感じるのは、その歴史の長さと自然環境の厳しさを乗り越えてきた内に秘めた力強さのせいだろう。ネット検索をすると離村前の写真なども見ることができるので、当時の写真をご覧になったことの無い方は一度ぜひご覧になっていただければと思う。

今、戦後から昭和30~40年代の頃の生活や風景などの写真を見て心癒される人が少なくないという。何に心を動かされるのだろうか。「昔はよかった」という懐古趣味もあるだろうが、それだけでは心動かされることは無いはず。そこに何を見ているのだろうか、それを自分自身に問いかけてみることも面白いのかもしれない。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2008/11/08 03:46】 | 富山県山村・廃村・自然 | page top↑
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