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#173 国道303号、金居原バイパス
~国道303号、金居原バイパス~


昨年の11月14日に、岐阜県の揖斐郡郡揖斐川町坂内地区(旧坂内村)と滋賀県木之本町を結ぶ、国道303号八草バイパスと金居原バイパスが開通した。1994年に開始されたこの事業、実に14年もの年月と130億円もの工事費が費やされての完成という。その結果、これまで離合困難な道を延々と走って峠(八草峠)越えで結ばれていた両地区がわずか十数分で行けることになり、さらに冬期でも閉鎖されることなく、一年中通行できるようになった。国道303号線は、もう‘酷道’などという、ありがたくない呼び名で呼ばれることもなくなったのである。


先日この道を走りに行ってみた。このバイパスの巨大な陸橋から見える土倉鉱山跡を確認したかったからである。まだ完成していない頃に見たこのバイパス上からの土倉鉱山選鉱場跡は、夏の暑い日ということもあり覆い繁る木々の緑にわずかにのぞくという感じであった。そして訪れたこの日は雪の降る、冬真っ盛りの日。積もる雪がまだまだ少ない中で木々の緑もほとんどなく、選鉱場のむき出しのコンクリートの柱が細かく降る雪のベールの向こうに霞みながら遠く確認することができた。

そういえば雪の中の土倉鉱山跡を見るのは初めて。土倉の冬には、雪との戦いの歴史がある。‘あわ’と呼ばれる表層雪崩に多くの犠牲者を出し、冬の恐怖と戦い続けてきた土倉の人々の生活も、過ぎてゆく年月とともに今は全国に散ったかつての土倉の町の人々の記憶の中に生きるだけとなりつつあるのだろうか。ここから見える静けさの中のわずかな‘土倉’からは、その白い恐怖を想像することはできない。伝え聞いただけの者と、その恐ろしさを目の当たりにした者とは、同じ景色を見ても全く違ったものに見えるのは仕方のないことかもしれないが、この地で多くの尊い命が雪の下に消えていったことを、決して忘れることなく伝えていきたい、など考えたりする。

この金居原バイパスの巨大な橋脚の下にはもう一つ忘れてはいけない、失われた多くの尊い命がある。昭和34年の伊勢湾台風の時に発生した山崩れで犠牲になった人たちである。この時の救助にあたられた、本サイトの自由帳「わがふるさと土倉鉱山」の白川雅一氏が、以前にお話をうかがった時に当時の様子を50年たった今でも昨日のことのように生々しく語られたのが大変印象的であった。また現在広島に在住の土屋様からいただいた手記の中にも、当時の様子が鮮明にえがかれており、その悲しみの大きさと失われた命の重さを大いに感じたりしたものだ。バイパスの橋脚に隠れるかのように、今も犠牲となったその地には慰霊碑が残り、当時の思いを静かに今に伝えてくれているのである。

完成したこのバイパス。訪れたこの日は雪ということもあり、すれ違った車は10台にも満たなかった。どれほどの車が今後通ることになるのかは知らないが、この道を通る時に「ここにかつて鉱山の町があり、多くの人々の暮らしがあり、ドラマがあった。」ということを少しでも多くの人たちが感じてくれればと思う。ふと通り過ぎる何気ない風景の中にも多くの泣き・笑いがあるのである。









http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/01/12 06:51】 | | page top↑
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