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#187 芹谷の高原集落
~芹谷の高原集落~





芹川の上流部にある鈴鹿山脈の美しき谷‘芹谷’、そこには10を超える廃村や過疎の集落がわずかなスペースを求めて散らばるように点在している。そのうちの一つ『桃原(もばら)』は、芹川を見下ろす鈴鹿の山腹(標高訳330m)に位置する、谷の入り口付近の集落。明治の頃には戸数52戸で255人もの人口を有したこの集落も、早くから過疎化が進み、今ではわずかな人が生活するのみとなっている。それでも人が住んでいるということが、人が住まなくなった所と決定的な違いがあるということは、既に人が住まなくなって消えようとしている周辺の集落を見ると明らかだ。それはそこの空気が常に人によって動かされ、人によって変化ある風景が連続して作られているということ。常に生活の温かみがそこに感じられる風景なのである。そのためか、同じ静寂であっても、人がいる集落の静寂は圧迫感や重みをを感じることがほとんどない。


『桃原』の春夏秋冬それぞれの季節の自然に彩られる風景は大変美しく、その風景を見たくて私は一年に何度かこの地を訪れる。この前訪れたのは福寿草が咲き誇る3月のことで、その時は思い切り春の色を感じさせてくれた。庭に植えられた木々や道端に咲く花、そしてすぐ後の山や空、それらが春を見事に表現していた。雪が降り積もった時の桃原も実に美しい。2~3年前だったか、しんしんと降り積もる雪に、膝より深く埋まりながら雪の集落を訪れたことも大強く印象に残っている。その時に見たモノトーンの桃原の風景と私を包み込んだ冷たく心地よい静寂感、それはきっとこの先も忘れることはないだろう。ここを訪れる時はいつも「どんな風景を見せてくれるのだろう」という大いなる期待感を持ち、そしてその度に裏切ることなく季節の美しさを感じさせてくれるのである。




この日、目にした桃原の彩りは薄青色の紫陽花と木々の緑。道沿いに美しく咲いた紫陽花が、まず目につく。しかしなぜかある高さから下は花も葉も全く無く、枯れた枝(茎?)だけになってしまっている。写真を撮りながら不思議に思いながらも先に進む。これまでは美しい姿を見せていた集落の老家屋たちも、人の手が入らなくなってしまったものは加速度的にその傷みがひどくなってきているのがわかる。あと2年後、3年後には大きく姿を変えてしまっているかもしれないなど思うと、やはり寂しくなってしまう。しかし人の手が入って美しく保たれている家屋を見ると、その温もりが寂しさを和らげてくれる。それらが混在しながら流れる時間、それを一番寂しく感じるのは、やはり今もこの地を守る人たち自身に違いない。

この日もやはり桃原の風景は裏切ることなく、その美しさを見せてくれた。木々の葉が逆光に輝き、道沿いの家屋の塀にかぶさって淡い影を作る。3月に訪れた時には幾分広く感じた家屋裏の路地にも緑がかぶさり、そこに映る光と影が崩れかけた老家屋と一体化して、そこにしかない風景を作り出す。歩く先々でそれぞれの違った風景があり、それらを満喫しつつしばし写真撮影に没頭する。こういう時は一瞬ではあるが、日頃の煩わしさなども全て消える最高の時間となり、自分自身が周りの風景に入り込んで最も心地よい空間を感じたりする。

ひととおり集落をまわり、元の紫陽花の所に戻って再び紫陽花を撮影していると後から「下は全部鹿にやられてしまった。」という声。振り返ると集会所の中から人が出てこられていた。うかがうと、紫陽花は上にも下にももっとたくさん咲き誇っているはずなのだが、全て鹿に食われてしまったとのこと。最初に感じた疑問がこれで解けた。ある高さから下が全て不自然に枯れていたのは、鹿にやられてしまったからだったのだ。もちろんやられるのは紫陽花だけではなく、杉の木や庭に植えられた花や木々の葉、それら全てやられてしまうという。「猪もおるけど、何よりも鹿と猿や」と言われるように、多くの人が住んでいた頃からこの二つの動物には悩まされ続けていたようだ。人が少なくなった今となっては、昼夜関係なくこれらの動物たちが『桃原』では我が物顔に振る舞っているのだろう。

集会所から出てこられたこの方にしばし話をうかがい、そして集会所の中に置かれてある桃原周辺の古い航空写真も見せていただいた。いつの頃の写真かははっきりわからなかったが、『向の倉』がまだ人が住んでいた頃のもののようで、『向の倉』『甲頭倉』そして『桃原』のまわりに多くの畑が広がっているのが確認できる。もちろん多くの家屋の姿も確認できる。『桃原』に芹谷からの林道ができたのが昭和39年というから、写真にそれが写っているところを見るとそれ以降、そして『向の倉』に畑がある頃なので昭和40年代中頃あたりまでに撮られたものかと思われる。桃原の周りにもずいぶんと畑が見られる。「レタスとごぼうや」と言われるように、その高原に近い気候を利用してレタス栽培がさかんだったようで、かなりの収入となったという。ごぼう栽培については以前にもうかがったことがあったが、レタスが栽培されていたのは始めて。同じような位置関係にありながら『桃原』と『向の倉(昭和45年廃村)』が大きくその運命を違えたのは、これら畑作と林道の有無も決して無関係ではなかったのだろう。

『桃原』の畑の周りにも写真では白く見える空き地のようなものが広がっている。これは、スキー場だという。集落の周辺はもちろん、今は林道が着いたり植林されたりしている斜面も一面スキー場だったようで、冬場などは桃原の民家が民宿に変わったという。滋賀県のスキー場としての歴史の古かったこのスキー場も時代の流れとともに閉鎖されてしまうわけだが、当時は杉の植林も無く広々とした山の斜面、生活する人々も家屋も多く今とは全く違った桃原の風景が広がっていのだろう。‘高原’というイメージがピッタリの風景が広がっていたに違いない。その頃の風景を一目でいいから見てみたい、など感じるもそれはどうしようもないこと。今は薄暗くなってしまった杉林の風景から無理矢理想像するしかないのである。

「時々空気を入れ換えんとな」と集会所でお話をうかがった方は言う。その言葉を聞いて改めて、集落で、そして家屋で空気が動くことの大事さを確認する。こうした人々の思いが、村を美しく保っているのだ。わずかな数の人々で村を美しく保つというのは大変なことのはず。既に手に負えなくなってしまう部分もきっとあるに違いない。それでもこの美しさを見ると、そこには故郷への思いを強く感じたりするのである。








http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/07/15 12:00】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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