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#196 『上根来』の山の郵便屋さん
~『上根来』の山の郵便屋さん~






この秋、福井県小浜市の山村『上根来』を訪れた時のこと。この日は滋賀県との県境の峠へ向かう一本道を福井県側から入り、『下根来』『中の畑』『上根来』の3つの山村を順に訪れ、そのまま小入谷林道に入って滋賀県へと抜けた。このコーナーで何度も書いているが、小入峠を挟んだ滋賀と福井の県境の周辺の雰囲気が私は大変好きで、年に何度も訪れる。福井県側、滋賀県側のいずれの集落も美しく、林道越えの風景も絶景。さらに旧・上根来小学校の木造校舎も健在で、その周りの自然にとけ込んだ小じんまりした古びた木造校舎の風景は、思い切り心を癒やしてくれる。そのため訪れた時は必ずここで長めの休憩を取り、至福の時を味わうのである。





『下根来』では、昨年の3月に統廃合により廃校となった下根来小学校に立ち寄った。やはり、子どもの来なくなった小さな白い校舎は寂しげに感じる。校庭の隅に建てられている閉校記念の碑の真新しさが目を引く。終わりを告げるものがここでは一番新しく作られたもの、ということに何とも寂しさを感じてしまうのであるが、これから向かう二つの集落(『中の畑』『上根来』)と比べると、家屋数も多い『下根来』の集落は大変元気に感じたりする。閉校時にいた数人の村の子どもたちは、今は新しく遠敷小学校に通い、多くの友達の中で元気に過ごしていることだろう。

次に訪れた『中の畑』、ここに残された家屋は本当にわずかとなっている。初めて訪れた時に見た家屋の何軒かも今はもう崩れてしまい、ただその残骸を残すのみ。確か河原にも廃家屋が残っていたと思うのだが、それは残骸さえなく、その跡も全く見当がつかなくなってしまった。時代の波とともに人々が去っていったこの集落、やがては消えゆく運命にあるということなのだろうか。バックの山の大きな木々の自然に、そして家屋や石垣や橋を覆おうとする苔や雑草などの小さな自然に、そのどちらにも飲み込まれてしまいそうな中で最後に残る老家屋たちは、全く自然体で時をやり過ごしているようにも感じる。そしてその自然体が、私などには実に美しく感じられたりする。





『上根来』集落では紅葉の風景が撮りたかったのだが、残念ながら時期を逸してしまったようで、色鮮やかな紅葉は見ることはできなかった。しかし、紅葉が無くても美しいこの集落であるので、特に気にすることなく集落内を歩きながら写真を撮る。ここは何度も来ているのだが、村の人と出会った記憶がほとんどない。姿を見るのは、大抵は登山客か写真愛好家。しかしこの日出会ったのはそのどちらでもなく、郵便配達人だった。





道から集落を見おろす形で写真を撮っていると、一軒一軒をまわる郵便屋さんの赤いカブの姿が見える。赤いカブの荷台には集配物を入れる赤いカゴ。おなじみの郵便屋さんのスタイルだ。そして集配が終わったのか眼下の集落の視界からその姿が消える。「もうすぐこの道にやって来るはず・・」とカメラを構えて待つ。しかしなかなかカブは現れない。あきらめかけた頃に、あの独特のカブの音が聞こえてきた。そしてカメラを構える。エンジン音か近づき、ついにカメラのファインダーにその姿が入ってきた。慌ててシャッターを切る。するとそんな私に気づいたのか、カブはスピードをゆるめエンジンが切られ、私の横に停車した。「写真を撮らないでくれよ。」なんて言われてしまうのだろうか、など思ったりもしたが、郵便屋さんからは「今年はあかんやろ。もう(紅葉は)落ちてしもたなー。」の言葉。少しホッとする。

お話によると「今年の紅葉は2~3日前の雨と風で多くが散ってしまった」ということだ。散る前に撮影された紅葉の写真を見せてくれるということで、郵便屋さんは携帯電話の中からデーターを探すのだが、なかなか出てこない。その代わりではないが、見せていただいたのは熊が捕獲された写真。このあたりで捕らえられたものらしい。やはりこのあたり、けっこう熊がいるようである。





郵便屋さんは、途中で違った地域での勤務もあったが、この地の郵便配達人として何十年も勤務されているという。それではこのへんのことをよくご存じなのだろうと、仕事中に申し訳ないなぁと思いながらも、郵便屋さんにお話をうかがってみた。以前から、ここから少し上の林道入り口付近にある鎮魂碑が気になっていたので、そのあたのことを聞くと、やはり今の集落よりも上(鎮魂碑あたり)に『境尻(さかじり)』という小字名の集落があり、3軒程の家があったという。またその頃は、今の『上根来』集落あたりは、小字名で『段(だん)』と呼ばれていたという。当時は上根来小学校が現役で、子どもたちが賑やかに通学する様子など見られてたんだなぁなど思うと、その風景を見てこられた山の郵便屋さんを本当にうらやましく思ったりする。





燃料革命が起こるまでは炭焼きで生計を立てていたこの山の集落も、時代の流れに逆らうことはできず、林業そして酪農に生き残る道を見出そうとするが、いずれも後を継ぐ若い者が無く廃れていくこととなる。酪農は最盛期には400頭もの牛がいたそうである。しかし今はその牛舎跡だけが残り、牛たちの声の代わりに風の音だけが聞こえるだけとなってしまった。時代の波に飲まれ、大きくその姿を変えてきた『上根来』と周辺集落の生活と風景。そして、それらを間近に見てこられたであろう、この山の郵便屋さん。もっともっと話をうかがいたかったのだが、そういうわけにもいかない。ちょうど車で通りかかった人が登山道入り口の場所を尋ねてきたのを機に、話はおひらきとなる。この時も、山の郵便屋さんはわざわざカブをUターンさせて登山道入り口まで車を誘導してあげていた。





山で生活する人たち、というか地域の人たちの生活に密着した‘山の郵便屋さん’は、過疎地域の高齢者の方達にとってなくてはならない存在であったということを、以前テレビの番組で見たことがある。そこには高齢者の方達と、そこを1軒1軒まわる郵便屋さんとの心のふれあいが描かれていて、それを見た時は大いに感動したものだ。しかしそれも郵政民営化によって大きく崩れてゆく。この日出会った山の郵便屋さん、そういう心のふれあいのある時代を生きてこられ、今なおその思いを持って一軒一軒まわられていることだろう。

全国で何百、何千という集落が姿を消し、今も消えようとしている。そこには何百、何千という山の郵便屋さんがいたはず。地域やそこの生活に密着した山の郵便屋さんそのものも姿を消さざるをえないのは、時代なのか社会なのか、など考えてしまう。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2009/12/26 10:04】 | 福井県山村・廃村・自然 | page top↑
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