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#202 伊吹山文化資料館と増山たづ子さん写真展のこと
~伊吹山文化資料館と増山たづ子さん写真展のこと~






先日、滋賀県の米原市春照(すいじょう)にある伊吹山文化資料館を訪れた。今はもうダムに水没してしまった岐阜県の徳山村の「カメラばあちゃん」こと、増山たづ子さんの写真展がそこで催されているからだ。『戸入』出身の増山さんは、ダム水没が決まった1977年から2006年に亡くなるまでの間、膨大な量の写真を撮り続けられており、そのお人柄の表れた心温まる写真は、今も見る人たちに感動を与えてくれるとともに多くのことを語りかけてくれる。残された写真、時代の記録という意味でももちろん貴重なのだろうが、なにより写真から溢れ出る温かみが多くの人の心をとらえているのだろうと思ったりする。冒頭の写真と下の2枚の写真は、いずれもその企画展からのものである。下の写真の一点目は『戸入』集落(昭和53年11月:増山たづ子さん撮影)、またその下の写真は戸入分校の生活の一コマ(昭和55年3月:増山たづ子さん撮影)。ともに今は冷たいダムの底に沈んでしまった故郷の風景。「山の向こうの物語」と題されたこの企画展、6月6日まで催されているので、関心をお持ちの方はぜひ見に行かれたらと思う。









で、今回このコーナーでご紹介したいのは、この写真展を企画された伊吹山文化資料館のこと。この資料館は、その外観をご覧になったらおわかりかと思うが、かつては学校だった建物。つまり廃校が再利用されて文化資料館として生まれ変わったものだ。旧・伊吹町の春照(すいじょう)小学校春照分校がかつての名で、昭和49年に伊吹町立春照小学校春照分校として開校し、その約20年後の平成5年3月 に春照分校が本校と統合したため休校となり、そして廃校に至る。門柱や私の大好きな二宮金次郎像など、学校だった頃の面影もたくさん残されているのが嬉しい。ちなみにこの春照分校の前身である春照分教場は、今とは少し離れた所にあったそうだ。もしかして?とうかがってみたが、残念ながらやはりもう旧分校の跡は何も残されてはいないとのこと。しかし、金次郎さんはその分教場から移されてきたということに、何か心安まる思いがする。









春照の集落の中にあるこの資料館、入館料を払って入ると子どもたちの元気な声が聞こえる。展示室に行ってみるとメンコをして遊んでいる子どもたちの姿。普段からごく気軽にこうしてここに訪れているのだろう、もう館の人とは顔なじみのようである。後でうかがうと、やはり地元の子どもたちがこうして訪れてるという。私が訪れている間にも子どもの姿がよく見られた。何かこうして遊ぶ姿に違和感を感じないのは、やはりここが以前学校だったからなのかもしれない。





展示された増山さんの写真パネルの撮影していると、後ろから声をかけられる。振り返ると、この館の方が立っておられる。一応、写真撮影の許可は入館の際に得ていたものの、「やはり増山さんの写真撮影は禁止されるのかな?」など思っていると、「(電灯が)反射しませんか?電気を消しましょうか?」の声。驚いた、このような配慮をしてもらえるなんて、全く心になかったこと。これまでこういった所には何度も訪れているが、得体の知れない一人の者のためにこのような親切な声をかけてもらったことはもちろんない。驚きと感謝が入り混じる。

その気配りいただいたことにお礼を言う。そしてこの地域に関することで、以前から気になっていたことをうかがってみた。それは伊吹山山腹にあった廃村『太平寺』のこと。諸事情により訪れることのできない廃村ということで、私自身、これまで『太平寺』についてほとんど調べられていない。するとそのことについて書かれた資料が館内にもあるということ。早速案内していただき、『太平寺』と円空との関わりなど、合わせていろいろなお話をうかがうことができた。下の写真は集落『太平寺』在りし頃のもので、伊吹山文化資料館に展示されているものである。





伊吹山の中腹に在った集落『太平寺』には分校は無かった。そのためそこに住む子どもたちは、1年生のうちから山を下りて里の小学校に通っていたという。村が在ったといわれる所を示した館内展示の写真を見ると、集落から学校まではかなりの距離であることがわかる。帰りは完全に山登りだ。やはりこの時代の子どもたちは本当にたくましいなぁ、など改めて感じる。また、この辺りは今も結構な量の雪が積もるが、以前はもっともっと雪が積もったらしい。だから冬場には『太平寺』の子どもたちは、12月から3月頃まで全員が親元を離れて寄宿舎生活を送っていたそうだ。高学年ならまだしも、1年生や2年生の子どもたちは、ずいぶんと寂しかったことだろう。今この『太平寺』集落跡はセメント会社の構内となっており、一般の者は近づけない状況であるが、この資料館の近くに『太平寺』を集団離村された方が住んでおられるという。ぜひ近いうちにゆっくりと訪れてみたいなど思ったりする。





このお話をうかがった資料館の方は大変な物知りで、この他にもいろいろと貴重なお話をうかがうことができた。廃村や山村の生活などに興味・関心を強く持つ私にとって、そのことはもちろんありがたいことであったが、それ以上に嬉しく感じたのは、その方の温かみである。何かお話をうかがうと、そのことについての詳しい説明をされるだけではなく、「ちょっと待ってください」と展示物以外の個人で収集された貴重な資料を用意してくださったり、展示されているもの以外の貴重な資料を見せていただいたりなど・・このような経験は本当に初めてだった。また来館者に分け隔てなく声をかけられ、一人一人の来館者をとても大切にされているとの印象を強く感じたりもした。館内には地域ならではの手作りの資料も多く展示されており、ここでしか見ることができない資料も多い。それだけでも訪問する価値はあるのだが、それ以上に何とも温かく感じる時間をすごさせていただいたことに心より感謝の気持ちを感じた。山村を訪れて、思わぬ親切に心を打たれることがあるのだが、何かその時と同じような気持ちになれたのである。

帰りにいただいた一握りの‘伊吹もぐさ’。肩こりが起こった時には、ぜひ使わせていただこうと思う。84才という御年であるが、今なお旺盛に資料収集や体験教室などに活躍されているとのこと。またいろいろお話をうかがいたいなぁ、など改めて感じるのである。ちなみに下の写真の館内案内のミニチュア、その方の手作りとのこと。「みなさんも機会がありましたら一度この資料館へお立ち寄りください」など言いたくなってしまう、伊吹山文化資料館なのである。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2010/05/18 10:40】 | 滋賀県山村・廃村・自然 | page top↑
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