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#217 ある山の集落にて(福井県)
~ある山の集落にて(福井県)~






「そらぁー、こっちの方がいいよー!」
このことばは、過疎化が大変進んだ山村に暮らす、あるご夫婦のことば。「町との生活と比べてどうですか?」という問いかけに対して返ってきたことばだ。質問に間髪入れずに返ってきたところから、それが迷いの無いことばだということがすぐにわかる。

山村などを訪問して、現地にお住まいのおじいちゃん、おばあちゃんとお話しをする機会があるとよくこのような質問をするのだが、これまで「町がいいなぁ」という答えが返ってきたことは一度も無い。山で生まれ山で育ち、山を知り尽くした人たちが今も山で生活されているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、中には働き盛りの頃に便利な町での生活を経験されている方も少なくはない。それでも「そらぁー、こっちの方がいいよー!」という答えが返ってくる。また、現在町と山との両方で生活されている方も、やはり同じようなことばが返ってくる。それどころか、年に数回しか山へ帰ってこられない方にうかがっても、そのような答えをされることが多い。そういった時に「住めば都!」という元気なことばもよく一緒に聞けるのだが、私がいささか愚問とも思える問いかけをする理由は、このことばを聞きたいからに他ならない。





一見不便に思える山の中の生活だが、このご夫婦の場合は畑で野菜などを作り、そこで足りないものは町に住む子どもさんが持ってきてくれるそうで、そう不便を感じることはないという。やはりそこには自然から受ける恵みも、自然の恐ろしさや不便さも、それら全て含めての‘自然の中での生活’をこれまでにされてきた逞しさが、土台としてある。便利な生活に浸り、不便を解決する術を持たず、自然からの恩恵もなかなか恩恵と感じられない都会の人間とは、その基礎の部分がまったく違っている。人間も自然の一部ということをやはり忘れてはいけない、そのように感じるのである。









この山村を訪れたのは、半袖ではまだ少し寒いかなぁと感じる頃。集落は、峠を越えて少し下った所の福井県の山腹にあり、四季折々の風景を見せてくれる大変美しいところ。聞こえる音と言えば、鳥や獣の声と川の流れる音、そして時折前の道を通る車のエンジン音くらいで、人の声が聴こえてくることは滅多に無い。今では年間を通してここで生活するのはわずか一世帯のみとなっている。しかし静かなこの山の集落が戦後たどってきた道のりは、現在の静けさとは正反対の激動の歴史といってもよく、社会の変化・時代の流れ・自然との戦いを強いられた。今お話をうかがっている老夫婦の柔らかな笑顔からはその激動の頃が想像できないが、それだけになおさら、たくましく生きてこられたこれまでの人生の重みを感じてならない。









私はこの集落の佇まいが好きで、これまでにも何度か訪れ写真撮影をしている。しかし、なかなか現地の方と出会うことができず、今まで一度も地元の方にお話をうかがえていない。この日は、たまたま写真撮影に立ち寄った時に、軒先にご夫婦が仲良く座っておられるのを見つけたので声をかけてみた。

橋を渡って川向こうの家屋へと向かう。得体の知れない男が近づいてきたということで、お二人は不思議そうな感じでこちらを見ている。肩と首に大層なカメラをぶら下げてウロウロするのはけっこうしんどいものがあるが、こういう時、相手方には目的がわかりやすく伝わるのでなかなか良い。挨拶を終え、「山の集落が好きでいろいろ写真を撮っている者です。」と声をかけると、「なるほど・・」と安心されたようで表情もゆるむ。この地域のことは以前からも関心を持っていたので、うかがってみたいこともたくさんある。早速、お話をいろいろうかがってみた。やり取りは、奥さんが90%以上お話をされて時折ご主人が話されるという感じだ。明朗な感じの元気で小柄な奥さん、がっしりとした中にも終始笑顔で柔和な感じのご主人、そのお二人が軒先の縁台にちょこんと座っている姿は何とも微笑ましい。この山の風景の中のベストショットだなぁ、など勝手に思ったりする。









この集落は今でこそ一世帯となっているが、「ここだけでも7~8軒、この川の向かいや、少し下の道沿いや川のすぐ横、それに橋の手前の道を少し上がったとこにも家がありましたよ。」というように、かつては30軒ほどの家屋が並ぶ集落だった。ところが昭和28年の台風の大雨による土砂災害で、川沿いの多くの家屋が流された他、村は甚大な被害を受けたという。福井新聞の記録によると、昭和28年9月22日から26日にかけて風速20メートルの風を伴う台風13号が周辺地域を襲い、死者116人、行方不明21人、負傷者639人、家屋全半壊855戸、流出296戸という福井県内で戦後最大の犠牲者を出したとある。また平成21年6月に出された福井県の「北川水系河川整備計画」(県管理区間)ではその時の被災状況の写真が掲載されており、そこには小浜市や若狭町の「河内」集落の土石流や浸水、倒壊家屋など当時の生々しい被災状況が伝えられている。

そういえばここに初めて訪れた10年程前には、倒壊寸前ではあるが川沿いにまだ家屋が残されていた。川沿いというより川原と言った方が正しいのかもしれない。それほど川の真横に家が建てられていたことに、増水時にはどうするのだろうなど、大いに驚いたことが記憶に残っている。やはりここも平らな土地がほとんど無いという、山深い地特有の宿命を抱えている。その時に私が見た家屋は、おそらく昭和28年の災害以降に建てられたものと思われるが、増水時の危険を承知の上で、そこに家を建てざるを得ない状況にあったということは想像に難くない。それにしても雪害だけではなくこういった風水害や土砂災害、火災などあらゆる災害との戦いが山の集落では日常にあったことを思うと、山深い地での生活の厳しさを改めて感じる。









この昭和28年の災害により多くのダメージを受けた集落に、さらに今度は昭和30年代後半頃からの高度経済成長とエネルギー革命という時代の流れが、この小さな山村を大きく飲み込むことになる。これにより炭焼きを生業にしていた人々は大きな収入源を失い、それに加えて次世代を背負うべき若い人たちが次々都会へと出ていった。高度経済成長期という社会の変容は中山間部の若者の都会への流出を一気にうながしたのである。小さいながらも活気のあった山の集落はこうして急速に姿を変えていった。





過ぎ去りし時代の証は、この集落から少し上がった所にある木造校舎にも見ることができる。この小学校には、この集落ともう一つ上にある集落の子どもたちが通っていた。多い時で70~80人の児童がいたというから、今のこの静かな様子からは到底想像がつかない。今残る校舎より前に、2階建ての校舎があったが、山崩れが危険ということで現在の地に今の校舎が新たに建てられたらしい。「(廃校になったのは)30年ほど前かなぁ」ということで調べてみると、昭和60年に廃校となっている。「最後の卒業生は2人で、廃校になってからは家族で山をおりはった」ということばからは、教育の場を無くした地では、やはり幼い子を持った家族は山を下りざるを得ないということがわかる。廃校後は山の家として使われていたこの校舎も、ここのところ傷みが目立つようになってきており、この日も屋根にはブルーシートが被せられ、玄関の屋根も損傷し、痛々しい姿を見せていた。今後補修されるのかどうかはわからないが、こういった姿を見ると、時の流れを感じるとともに、やはり需要の少なくなってしまった古い建物を維持管理することの難しさを感じたりする。





ご主人は若い頃は炭焼きの他に猟師もされていたという。猟の獲物は、熊と猪と鹿が主だったようだ。冬眠中の熊からとれるクマノイは質が良く、大変高価に取引されたというが、最後のあたりになると熊が冬眠しなくなり、そのためクマノイの質がずいぶんと落ちてしまったらしい。ご主人は代々猟師をされていたようで、こういうお話を聞いた。祖父が猟に出た時のこと、襲いかからんとする目の前の熊を仕留めようと引き金を引いたが、なんと弾は不発。熊はそのまま襲いかかり祖父は何カ所も噛まれてしまった。しかし鉄砲を熊の口の奥に突っ込み、それに驚いた熊はそのまま逃げてしまったという。大怪我はしたものの、幸いにも一命は取り留めたということだが、まさに命がけの仕事だということがわかる。猟のお話をうかがった時にご自身の猟の体験よりまずこの話がでてきたのは、やはり当時まだ幼かったと思われるご主人に、おじいちゃんが熊に襲われ戦ったということが大変強く印象に残っていたからなのだろう。





現在多くの山間部で問題になっている鹿による害だが、以前はここではほとんどその姿を見ることは無かったという。「昔は鹿はここまでこんかったのにねぇ。今は畑をしてるすぐ横にまでくる。逃げやしませんのよ。」という奥さんのことば。鹿や猿による畑などの被害はここも例外ではなく、そのため畑は全面、網がかぶせられていた。それにしても畑仕事をしている横で、それを狙う鹿がいたら本当に腹が立つことだろう。しかし、それを語る奥さんの表情は、なぜか穏やか。このあたりにもホッとさせられるのである。









「ここは住みよいよ。野菜は自分のところで作るし、肉や魚は子どもが届けてくれる。2人でいる限りは、ここを出るつもりはないよ。」と語るお二人。仲睦まじく、表情もいきいきされている。自然の中で自然の流れに沿って生きるその姿は、本当に輝いて見える。それでも「1人では、よう住めません。」ということばの中に、自然の厳しさと過ぎ行く時の流れを感じたりする。いつまでもお元気で、これからもこの集落の歴史を刻んでいってほしいと願うばかりだ。

短い時間ではあったが、この他にもいろいろお話をうかがうことができ、私にとっては充実した時間がすごせた。しかし、お二人には畑仕事の合間の休憩だったようで、少し申し訳なく思ったりもした。この他にもまだまだお伝えしたいこともあるのだが、また別の機会で紹介できればと思う。





話を終えて最後に「お二人の写真を撮らせてもらっていいですか?」とうかがった。‘この山の風景の中のベストショット’というべきお二人の姿を残したかったからだ。こういう時は「恥ずかしいわぁー、それだけはやめてー」など断られたりすることも少なくないのだが、お二人には「どうぞ、どうぞ」と快諾していただいた。そして縁台に腰をおろしたお二人をパチリ。いやぁー、ここ数年の中でもマイ・ベストショットともいえる何とも笑顔が最高の写真が撮れた。お二人の了承が得られていないので公開することができず残念なのだが、最高の山の風景が撮れたと自分では思っている。山がまったく写っていない山の風景だ。それにしても、このお二人から感じられるこの空気、なんて表現していいのかわからないが、本当に心温かくなる。自然の中で自然に生きる、自然からの苦も楽も受け入れた上でうまく共生して、自身も自然を味わう、そんな感じだ。時間をさいてお話を聞かせてくれ、普段決して体験できないような素晴らしい時間をすごさせていただいたお二人には、心から感謝なのである。





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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