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#220 故郷、最後の夏・・
~故郷、最後の夏・・~






その地区の住民は、わずか1名。たった1人の集落だ。当然、集落としての機能は失っており、区長なども置かれていない。そういう状態になっていると聞いたのがだいぶ前なので、たった1人の集落となってから、もうかなりの年月が過ぎていることになる。そこは昭和50年代初めに既に6世帯だったというから、その後の時代の移り変わりの厳しさを考えると、早い時期にわずかな戸数の集落となっていたことは間違いない。かなりの積雪量のある地域ゆえ、周囲の家から次々と人が去った後、空き家となった老家屋に冬場の雪が重くのしかかり崩れていくのに、そう長い時間は要しない。私が初めて訪れた時と比べてもその風景は大きく変貌し、過疎の大変進んだ山村の荒廃した風景へと変わってしまっている。それでも1人でそこに住み続ける、その気持ちは如何なるものなのだろう。また、他の住民が1人もいなくなっても、去ること無く故郷の地を護り続けるその理由は一体なんだったのか。勝手に様々な想像はできても、当事者からの答えが無い限り真実は決してわからない。









荒廃が進み、一見もう誰も住んでいないのでは思えるような山村風景だが、その一画だけが季節になると庭に色鮮やかな花を咲かせ、人の温かみを思いっきり感じさせてくれる風景となる。古びた平屋の家と木の手作り柵で覆われた庭、間違いなく人が住み、生活を感じさせてくれるのである。これまでに何度か訪れているが、その都度生活の温もりがあり、なんだかホッとした気分になったのを覚えている。その家の主にいつかお話をうかがいたいなどと思いながらも、残念ながらこれまで機会に恵まれず一度も出会えたことが無い。「だめだろうなぁ」など思いつつ、この日も訪れてみたのだった。









訪れたのは7月の中頃の蒸し暑い日。いつものように集落横を通る道に車を停める。この道は最近まで主要道として使われていて、車の往来もけっこうあった道だ。しかし今はすぐ上に立派な道ができて主要道が取って代わり、ほとんど車が通ることは無い。新しい道の完成とともに、集落がそのエンジン音から解放された、そんな感じもする。集落全体の写真を撮る前に、まずその家に向かった。庭が見えてきたが、いつものようににぎやかに咲いているはずの花の姿が見えない。「もしかして、ここに住んでいる方はもうこの地を離れてしまった・・?」と不安な気持ちになる。この3月に訪れた時には、かなりの雪が集落を埋めていたものの、この家の前はきちんと除雪されており、庭が雪で覆われていても人の気配は感じることができた。それなのに、やはり時の流れはここを無人の集落としてしまったのだろうか、そんな思いもよぎるのだった。それでも、とりあえず玄関口まで行ってみる。









すると玄関口に人が座っている。女性だ。「こんにちは」と挨拶をしようとすると、あちらから「ごくろうさんです」と声をかけてきた。「こんにちは、山の集落が好きで・・」といつものように挨拶をすると、「そうか○○の人かと思った。」ということば。どうやら誰かが訪れてくる予定で、その人を待って玄関前に座っておられたようだ。年の頃は80歳前後といったところだろうか。それでも口調はずいぶんとはきはきとしており、大変聞き取りやすい。「今年はお花が咲いてないんですね」と声をかけるとやや曇った表情になって「全部、猿にやられてしもたん・・」という悔しそうなことば。うかがってみると、例年のように今年もいろいろな花の種や球根を植えたが、それが全て猿に抜き取られてしまったのだという。「見て!グラジオラスや○○・・せっかく植えたのに、あんなにされてしもたん。」と言う庭の方を見ると、植木鉢が転がっていたり、畑の土が荒らされたりしている。また猿だけではなく、鹿による被害も多いようだ。「今年もいろんな花が咲いているのかな、と思って来てみたんです。」と伝えると、残念そうな表情の中にも少し笑顔をみることができた。









「昔は9戸も家があってねぇ・・ここの道も人がよく通ったんやけどねぇ。」ということで、その昔も今のように玄関口に座って、通る人とよくおしゃべりをされていたらしい。昭和20年代の半ばになるのだろうか、その頃は「大八車もすれ違いできひん」という程の道幅の狭い山道で、人々はそこを通って町へ向かったり、学校へ通ったりしていたという。ここより他に道が無かったため、奥の集落の人たちは必ずこの道を通ったらしく、それなりの人の往来もあったようだ。その当時、この方はここで田んぼをやっておられたが、その田んぼの中央をぶち抜く感じで自動車道が着けられた。「あそこまで、ずーっと田んぼやった」という田んぼは、道路工事の影響でずいぶんと狭められてしまったが「10年くらい前まで(田んぼ)やってたかなぁ・・」という。一年間の自宅で食べる量にも満たない収穫量であったというが、獲れたお米は独立してこの地を離れて生活をする息子さんたちにも送られていた。





「1人よー、1人で(田んぼを)やってたん」と話すオバチャンは、家横の小屋や庭の周りの長い柵、屋根の手入れ、雪囲い作りなども全て自分でこなしてしまう。「実家が大工やったから」と言われていたが、実際に教えてもらったことは一度も無く、子どもの頃に一度建てている様子をずっと見ていただけだが、その時に簡単な手順が頭に入ったのかもしれない。多少歪んでいたりはするが、雪の多い冬も十分に越す程の強度を保っているから立派なものだ。「何でも自分でやる」という時代の中で生きてきたから、ということだけで片づけられるものではないだろう。いずれにしても、最低限のことさえ自分でしない、という世代で生きている人間からは想像つかないことである。ちなみに田んぼをやめた跡地にはミョウガを植えられており、毎年息子さんの会社の方たちが息子さんと一緒にやって来て飲んだり食べたりする時の、新鮮な食材になっているそうだ。





先にも書いたが、この日オバチャンは人を待っていた。うかがうと、山からひいている水が連日の大雨のため停まってしまい困っているという。この暑い日に水が出ないとどうしようもない。このように何かが詰まって水が停まってしまうということは時々あるようで、村として機能していた頃は自分たちで直していたが、年を経るに従ってそれも難しくなって、今はこうして業者に頼んでいるのだそうだ。「ほれ、そこ水来てませんやろ」と指差す方向を見ると、空っぽの石の水槽。また玄関横の水場の流し台の水道も止まったままになっている。そういえば先日、芹谷の「桃原」を訪れた時も、山からの水が停まっていて、業者さんが身体中を蛭だらけにしながら復旧工事をされていた。やはり山深き生活では、こういうことは普通にあることなのかもしれない。









こうしてしばらくお話をうかがった後で、今のここでの生活のことを聞いてみた。4人の息子さんはそれぞれこの地を離れて大阪など遠方で生活をされており、ここで1人で住むようになってもう10年以上にもなるという。そういえば初めて訪れた10年程前には、この家ともう一軒、犬がいつも吠えている家があったように記憶している。しかし常時人が住んでいたのは、このオバチャンだけだったのかもしれない。「だんだん人がいなくなってきてどうでしたか?」「そら寂しいよー。そやけどね」のことばの後で力強く出てきたのが「ご先祖さん!そらぁ、ご先祖さんに申し訳ない。だからもうずっとここにいて、ご先祖さんを護ってきたん」という力強いことば。これが長い間、集落がたった1人になってもここで生活し続けた理由。なるほどなぁ・・と心の中で大きくうなづく。しかしその次に出てきたことばに大いに驚くことになる。









「そやけど、今年で最後!今年でもう大阪の息子のとこへ行く。」「え!?ここを離れるんですか?」「そう、最後!」「夏場にも帰ってこられないの?」「そう!もう離れると決めた以上、ここには帰ってこない!」ときっぱり。「もう30年間ずっとここを護ってきた。宇宙から見てるご先祖さんも、ずっとそのことを見てくれてたと思う・・」実はこの前の冬も、その大阪の息子さんの元へ帰っておられたという。そしてその時も、ご先祖様の位牌などを持ち帰られて、毎日拝んだ。「宇宙から見てるご先祖さんに伝わってるかなぁって思いながら、拝んでましたんよ」と、やはり遠く離れてもご先祖様のことを心配しながら、この地を思っておられたようだ。

21歳の時にこの山奥の地に嫁いでこられて以来60年以上。最初はその生活の違いにずいぶんと戸惑いもあったようであるが、子どもさんを立派に育て上げられた後も過疎に悩む故郷の地での生活を続け、そしてご先祖様を護り続けた。「自分はもちろん、子どもたちにとってもここは大事な故郷。そのためにここにずっと残って、ご先祖さんとともにいた。」ということばには積年の重みを感じる。しかし一方では、遠く大阪の地から毎週片道2時間をかけて食材などの日用品を運んできてくれる息子さんに対しての申し訳ない気持ちも、持っておられたのかもしれない。周囲にはもちろん店も無い、店どころか人家さえも無いのだから、何かあった時などの助けを求めることもできない。さらに冬はかなりの積雪があり、外に出るのも困難な状態となる。そういった状態の中で年老いた母を1人残すことに、息子さんたちもさぞかし心配だったはず。週に一度の休みのたびに片道2時間以上もかけて、遠い故郷の地の母を訪ねる息子さんに、故郷を思う母への思いの深さを強く感じるのである。





「いろいろあったけど、今は楽しかったことしか思わへんよ」ということばの中には、60年間のここでの生活の様々なできごとの積み重ねが見てとれる。「ここに来て、じーっと風景を見るだけでも、いろんなことが思い出されるん。あの山の木も全部私らが植えたんよ。」と、家の目の前に広がる杉の木の植林された山々をしみじみと眺める。今では海外からの安い輸入材に押されて、木を切ることさえできない状態になってしまっているが、時代の移り変わった今も、成長した木々を見守る。そして山だけではなく、周囲の風景全てが、そういう長年の思い出に満ち溢れている。そんな思いのたくさん詰まった故郷を遂に離れる。寂しさが無いわけが無い。そして愚問とは思いながらも「寂しいですよね・・」と聞いてみる。すると一瞬間があいて「ここを出ると決めた以上、もう、そういうことは考えへん!」ということば。きっぱりと言い切ったその答えの中に、大事にしてくれる息子さんへの感謝の思いを強く感じたりするのである。





その言葉を聞いて胸が熱くなる。その時、近くからガボッ、ガボッという妙な音が聞こえてきた。一瞬「何の音?」と思ったが、それが先程の石の水槽からというのはすぐにわかった。水だ!水がきた!とわかった私は「水が通ったんと違いますか?ほら、この音!」とオバチャンに言うと「あ、ほんまや!きたんやわー」と嬉しそうな声。「ほらー、見てここ!」というオバチャンの指す方を見ると、水道の蛇口からも勢いよく水が流れ始めている。茶色く濁っているが、これはすぐに透明になるはずだ。停まっていた山からの水が通ったのである。石の水槽にも水が少しずつたまってきている。この水の流れる先には間違いなく人の生活がある、そう感じさせてくれる一瞬だった。思わず水の流れに見とれる。

そしてその時、「あー、アンタにも見てもらえてよかったわー!」というオバチャンのことば。その思いもかけないことばが、何かとても嬉しく感じた。しかしながらその嬉しさと、今また一つの村が消えようとしている寂しさ、それらが微妙な割合で混じり合う。









「今ある幸せは、30年間ご先祖様をお護りしたおかげやと思うとるん。」という感謝の気持ちを持って、オバチャンは故郷を離れる。そしてもう間もなく雪の降り始めるのを機に、何百年という歴史を持ったこの地はその歴史を閉じ廃村となる。自分の中で大変思い出深い地となったこの集落、何年後かにここを訪れてこの石の水槽を見る時、はたしてどんな思いを抱くのだろう。その時も透明な山水を満々と湛えていてくれたら、本当に嬉しく感じるのである。





http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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