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#229 堅海小学校 ~廃校で見た小さな春
~ 堅海小学校 ~廃校で見た小さな春~ ~






 久しぶりに福井県小浜市にある堅海(かつみ)小学校を訪れた。木造校舎がたいそう美しいこの学校が廃校となったのが1991年(平成3)というから、今から22年前のこと。日照時間の少ない山間部と違って、ひらけた海の近くのこの学校が作り出す風景は、何とも開放的で爽やかな感じがする。そういえば閉校後の年数の割に傷みが少ないのは、日頃の管理はもちろんだが、こういった立地条件の影響もあるのかもしれない。やはり、山間部の雪が多く日照時間の少ない地域だと湿気は多く、建物はすぐに苔むし傷みは早くなる。
 訪れたのは3月初めのある日の夕方、北日本が雪で大荒れで、こちら滋賀県周辺でもまだまだ春とはいい難い寒さを感じる時。この日は「もしかしたら夕焼けの中の木造校舎が見れるかも」という期待を持っての訪問だったが、あいにく天候は冴えず、空を見上げてみても、雨は降っていないものの全体が白い雲で覆われている冬空の雰囲気。途中、滋賀県から国道303号線で福井の県境を越えるあたりも、まだまだ雪が残っている状態だったので、春を感じるには少し早いだろうなあと思いつつの訪問であった。













 実はこの訪問を前に、堅海小学校が閉校される際に出された記念誌「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」を見る機会があった。平成3年の8月に発行されたこの記念誌には、閉校を迎える母校にむけての卒業生や当時の在校生、そして勤務されていた先生方のことばなどが数多くよせられている。また卒業生の写真や当時の様々な行事の写真なども紹介されており、部外者である私でも、それらを見ているだけで何か懐かしい気持ちになってしまうものだった。
 今は広々とした中にポツンと校舎だけが佇んでいる堅海小学校だが、当時の学校の様子を写した写真を見ると、校舎に向かって左手側に直角に並ぶ感じで講堂がある。また校舎と講堂の間に玄関(生徒用?)があるなど、今とは雰囲気が違って賑やかな感じだ。この講堂も校舎と同じような造りで統一感があって大変美しいのだが、残念ながら既に講堂は取り壊されてしまっているため、今ではその姿を見ることはできない。この校舎と講堂の新築完成の落成式が行われたのが昭和29年、それから閉校までの38年間にわたり、この学び舎は地域の期待と希望を集めて多くの卒業生を送り出したことになる。その美しい木造校舎を建てられた当時の大工さんが、閉校を迎える際に児童の前でお話をされている。その時のことを綴った作文が記念誌に載せられているので原文のまま一部をご紹介する(大工さんのお名前の部分のみ「大工さん」とさせていただきました)。なお、この作文を書かれたのは当時6年生だった女の子で、堅海小学校の最後の卒業生ということになる。




「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より






「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より



「お話を聞いてまず思ったことは、たいへん苦労したんだなあということです。当時は今とちがって機械も少なく、一つ一つを手で造っていたからです。のべ人数で二千三百人もの人が働いて造ったのだそうです。(中略)それに昔のことで道もきれいに整備されていなく曲がりくねった道を、重い荷物を背中にせおい堅海まで来るのも大変だろうと思いました。今では、車で何もかもを運ぶのが当たり前になっているので、重い荷物をせおい歩いてくるなんて、ぜったい考えられません。いくら仕事だと言っても大工さんたちが、それをなしとげてくださったから、今のようなりっぱな学校ができ、今まで私たちが使うことができているのです。(中略)私は大工さんたちが、こんなに苦労して造ってくださったともっと早くに分かっていたら、私たちももっともっとていねいにそうじをしていたかもしれないなあと思いました。今では、学校は私たちの使い方が悪いのかきずだらけで、ゆかはぎしぎしと音を立てています。あんなに苦労して造ってくださったのにと思うと、悪いなあと反省してしまいます。あと一ヶ月ちょっとで閉校になるわけですが、それまではきれいに使いたいと思います。本当に閉校になるんだと思うと悲しくなってきます。私は、どうしてこんなりっぱな学校を閉校にするのか、不思議でなりません。大工さんもそう思っているだろうと思います。大工さんには長生きしてもらって、いつでも堅海小学校を見にきていただきたいです。私は大工さんの話を、そして、この校舎のことを大人になってもぜったいに忘れないと思います。そして、この小学校をこわさず何かのために役立ててほしいと願っています。」



(以上、堅海小学校の閉校記念誌「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー 」より抜粋)




「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より






「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より



 この作文を読むと、校舎を造られた方のお話を聞くことで感じた学校への愛着心や、閉校を迎える一人の在校生の感じる寂しい思いが素直な気持ちで読む者に伝わってくる。今、この作文を書かれた方がどこにお住まいなのかはわからないが、故郷の地へ帰ってこられた時、今でもこうしてかつての学び舎に出会うことができる喜びを、きっと感じられていることと思う。廃校となった校舎が取り壊される状況も多い中、こうして美しい状態で残されているのは本当に素晴らしいことだと感じてならない。
訪れたこの日、写真撮影をしていると近くに中学生か高校生くらいの子どもの姿を見ることができた。少なくなっているとはいえ、こういった子どもたちの姿が集落で見ることができるのは大変嬉しいものだ。この子らにとっての母校は堅海小学校ではなく、統廃合により新しく建てられた内外海小学校になるのだろう。そういう世代の人たちにとって、このポツンと寂しげに佇む古びた木造校舎はどのように映っているのだろうか、ちょっと知りたいような気もした。













 先の作文の中でも少しふれられているが、この『堅海』の集落は、今でこそ立派な道ができて車で楽に行けるようになっているが、以前は車が通れるような道が無かった。そして長きに渡って‘陸の孤島’ともいえる状況にあったという。地図を見るとわかるのだが、突き出た半島にある『堅海』は、山に囲まれた海辺の村で、昭和40年頃の山越えの県道完成以前は、人々は小浜からの連絡船で行き来きしていた。それだけに昭和28年の校舎の新築工事では大部分が人力に頼らねばならず、大変な苦労があったということは想像に難くない。そういう道路事情であったので、堅海小学校に勤務された先生方は、小浜からの定期連絡船を通勤の足とされていた。暴風雨で堅海までの半島をまわれない時は、一つ手前の『仏谷』で下船し、山越えの道を泥だらけになって歩いて行かれたりなど、堅海小学校ならではのエピソードも記念誌には綴られている。下の二つはいずれも記念誌からのもので、先生方により書かれたものである。




「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より






「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より



「小浜から日に三往復の連絡船が出ていた。双児島を見当に進むと児島、佛谷が見え、島影を映して青く、双児島を過ぎ右に向きをかえると堅海の松林が目に入り、遠くに泊の家々が見えてくる。この眺めは一幅の絵以上のものであります。このように美しい海も、冬季には恐ろしい海に一変します。一冬に五、六回は泊にも着岸できず、仏谷から乗せてもらった時もありました。小浜の川口近くになると波が大きくなり波頭が船側より高くなり、船長さんの腕にまかすしかなかったこともありビクビクでした。」

(以上、堅海小学校の閉校記念誌「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー 」より抜粋)


「一年目はじっくり勉強させて頂いてと思っていました。そこへ突然の転任命令で、何一つ役に立たないまま、慌ただしく堅海小学校とお別れすることになりました。そんな私でしたのに、堅海の桟橋で皆様方が見送って下さったのです。しっかり握った五色のテープが次々に千切れ行き、船は汽笛を鳴らしながら桟橋前の海面を三周し、やがて舳を双児島に向けました。船尾に盛り上がる波の向こうでは、見送って下さる方々の顔が小さくなっていきます。そして、家々の屋根や松並木が、泊岳や久須夜岳が次第に遠ざかって行きます。涙と夕もやで、かすんで見えなくなる村の方に向かって私は夢中で手を振り続けました。あの感動は、堅海小学校に勤めさせて頂いた者だけしか経験させて貰えないことです。」

(以上、堅海小学校の閉校記念誌「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー 」より抜粋)




「久須夜 ー堅海小学校のあゆみー」より







 これらの文を読むと、全く知らない地のことであっても、その情景が目に浮かんでくるような気がする。体験した方ならではの表現から伝わるものは本当に大きい。この他にも多くの方々の思い出がこの記念誌には記されており、そのどれもから堅海小学校への温かい思いを強く感じる。そういったいろいろな人たちの思いがいっぱい詰まっていることを考えながら、改めてこの木造校舎を見る時、またこれまでとは全く違った温かみをその風景から感じることができる。この日は行けなかったが、当時使われていた桟橋や集落内も、またじっくりと歩いてみたいなどと思ったりもしてくる。









 この日、日差しも無く寒い中であったが、いつものようにウロウロとしながら写真撮影をした。すると校門横と校舎前に水仙の花が咲いているのが見えた。そういえば4年前に訪れた時も水仙の花をしばらく眺めていたことを思い出す。さらに歩くと校庭の隅にはフキノトウの芽。前日訪れた滋賀と福井の県境にある山の集落では「まだまだ遠いなぁ・・」など感じた春だが、この海辺の集落には、すでに小さな春が訪れていたのである。そして、その風景を見ると急に寒さを感じなくなったのもまた不思議なもの。
 これから本格的な春が来ると、桜が咲きタンポポも顔を出す。残念ながらここ堅海小学校跡では新入生の姿は見られないものの、木造校舎と桜が作り出す海辺の廃校の風景は、暖かな春を堪能させてくれるに違いない。昭和46年に中学校の堅海分校が廃校となる以前は、小中学校が併設されていたこの美しい木造校舎、この先も長くその姿を見せてくれることを願うばかりである。






http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2013/03/14 23:35】 | 木造校舎・廃校 | page top↑
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