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#238 「越波(おっぱ)」集落と、リキさんのこと
~ 「越波(おっぱ)」集落と、リキさんのこと ~






 山の集落にも紫陽花の花が咲き誇る頃、岐阜県本巣市にある旧・根尾村の山峡集落「越波(おっぱ)」を訪れた。徳山ダム湖の東側の山を2つ3つ越えたあたりに位置し、その北側を見れば、あと少しで福井県境という所。この集落が好きでけっこう訪れるのだが、それはそこが私の持つ「ふるさと」というイメージにすごく近いものを感じるからだ。周囲が山に囲まれてはいるが薄暗い雰囲気は全くなく、村の中央には清流が流れ、それに沿う道の両側には古い家々が建ち並ぶ。









 数年前に塗装し直されて、それまでの古びた木造校舎というイメージからずいぶんと変わってしまったが、村が子どもたちでにぎわっていたことの証である木造校舎は、今なお健在。そして、冬期無住となってからかなりの年数が経ってはいるものの、住民の人たちがけっこう頻繁に帰って来られていることは、きれいに手入れされた庭先の畑を見るとすぐに理解できる。連休やお盆には、親の里帰りについてきた子どもたちの姿が見られることもあり、その風景には廃村のイメージなど全く無い、まさに現役の「ふるさと」なのである。









 ずっと以前のこのコーナー、#43「越波(おっぱ)の美人三姉妹」でも書いたが、初めての「越波」訪問で炎天下の中、汗まみれになって写真を撮っている時、「ねえ~、こっちも写真撮ってー!。」と思いもよらず美人3姉妹に声をかけられ、いろいろお話を聞かせてもらったのもいい思い出だ。その時にもらったコップ1杯の冷水の味は、今も忘れることなく透明感ある越波の味となって、記憶の片隅に残る。その玄関先で撮影した3姉妹の写真は「(ネットに公開するのは)やめて~。」ということで、残念ながら公開することはできないのだが、この場所に来るといつもそのシーンを思い出す。その後、エゴマの収穫時にも撮影させてもらったりするなど、自分の中で「越波」は大変思い入れの深い村となっている。それにしてもあれから9年、このコーナーの文字数もやたら増えてしまったもんだと、当時と比較して感じたりもする。



2005年10月撮影


 その「越波」、滋賀からは150kmも離れていないのだが、山道を地道にくねくね行くしか方法はないので、行き着くにはけっこう時間がかかる。R157を走っていくルートが最短なのだろうが、途中「落ちたら死ぬ!」で有名な根尾能郷~根尾黒津間があり、その区間が通行止めになっていることが少なくない。そのため、いつも「樽見」からは「根尾上大須」方面を目指し、そこから折越林道(舗装)を通って「越波」へと向かうことにしている。
 山深いこのあたりは、古くから木地師の入っている所が多く、各地の木地師を記した氏子狩帳、氏子駆帳でも「黒津」「奥谷」「能郷」「大河原」「松田」「板所」「大井」「小鹿」「下大須」「越卒」・・などなど周辺のいくつもの旧・根尾村集落の名を見ることができる。そして、そういった木地屋集落を作り出した山の風景を見ながら走るのも、「越波」を訪れる時の楽しみの一つなのである。









 一見、滋賀とは縁の無い岐阜の「越波」集落であるが、実は滋賀で山の話を聞いたりする中で度々その名が登場する。以前「針川」にお住まいだった中谷幸子さん(『自由帳・ふるさと針川(現在公開休止中)』でお話をうかがった方)への聴き取り調査の際にも、「越波」の名が出てきた。昭和30年代頃だろうか、当時「針川(旧伊香郡余呉町)」や「尾羽梨(同)」の谷の奥の山々の木が製紙会社による大規模な伐採が進められており、その時に木挽き職人として「越波」から来られた方が活躍されていたというのだ。そのうちの数人は中谷家に泊まって仕事に通われていというから、その頃少女だった幸子さんにとっても身近に存在を感じたことだろう。当時の通学路を、木材を満載した王子製紙のトラックがさかんに走っていたというから、その規模がかなりのものだったことがわかる。



中谷幸子さん所蔵






 なお同地の森林伐採自体は戦中から始められており、昭和17年に東洋紡績会社により伐採が開始されることになって初めて、「針川」まで自動車の通れる道が開通している。そして戦後になってからは、王子製紙会社によりさらに規模が広げられ大規模開発がされるようになった。以前針川谷を歩いた時、荒れ果てた山道の中にその頃の名残りと思われるようなものをいくつか目にした。そのどれもが今では遺構のような存在となっており、木々を満載したトラックの走るかつての山の賑やかさが過去のものであることを、静かに伝えてくれていた。









 ただ賑やかといっても、山の集落の人たちが得た森林伐採による恩恵といえば自動車の通れる道が着いたということくらいで、現実を見れば、一企業が主体となって何百年、何千年にわたって手つかずの貴重な自然林が破壊されたということにすぎない。それでも、そこで働いていた職人さんと地元の人たちとの間に生まれた交流は温かいものが多く、やはり同じ山で育ったもの同士、わかりあえることも多かったのかもしれない。下の写真は、その頃に小原分校で教鞭をとられていた肥田嘉昭先生が撮影されたものだ。先生ご本人も、同校在任中はトラックの運転手さんと仲良くなられて、毎日の食事の材料を、材木運搬の帰りに買ってきてもらうなどお世話になったという。



撮影:肥田嘉昭氏


 その時の中谷幸子さんのお話の中で、越波の木挽き職人の「リキさん」という方が登場する。中谷家に寝泊まりされていた方とは違うようだが、幼い頃の幸子さんに強いインパクトを与えた方だ。「運転も上手やったの。リキさんはいつも一反の腹巻きをしててねぇ・・」と語る幸子さんの、当時の思い出のエピソードを一つ要約してみる。
 小学校5年生の頃の台風の風雨がひどい中、いつも「針川」に行商に来るゴザ屋さんが崖から落ちてひどい怪我を負った。傷口から血が噴き出し、周囲が慌てふためく中、その場に居合わせた木挽き職人のリキさんは、すぐさまお腹に巻いていたさらしを外し、それを半分に切り裂いて手際よく応急手当をされたという。おかげでゴザ屋さんは一命を取り留めることができた。悪天候で危険な中、何もできない周囲をよそに迅速に判断し止血をおこなったリキさんの姿は、血だらけになっている人を見てショックと不安でいっぱいの幼い目には、実に頼りがいのあり、かっこよい姿として映ったことだろう。「とにかく男気があるっていうか・・」と、その時の印象を語る幸子さんの脳裏には、当時の光景が鮮明によみがえっていたに違いない。



2009.4 「針川」


 その後、木挽きの仕事を終えられたリキさんは越波に戻り養殖業を始められたらしく、幸子さんも後になって訪れ、お腹いっぱいイワナを食べさせてもらったそうだ。そのエピソードを聞いて以来、「越波に行ったら、リキさんのことを尋ねてみよう。」といつも思っていながら、なかなかその機会を得られずにいたのである。





 「下大須」の「越田土(おったど)」を起点とする折越林道を走り、峠を越えてしばらく行くと「越波」の手前に養殖場跡と思われる場所が残っているが、今はもう使われていない。そこがリキさんの養殖場だったのだろうか、など思いながら、この日も順調に「越波」に到着する。訪れたのは7月の半ば、初めて訪れた時のようにとても暑く、車を降りるなり汗が吹き出る。しばらく写真を撮りながら散策。美人3姉妹のお宅は今もきれいに手入れされており、人の出入りがあることがよくわかる。分校校舎は塗装し直されてずいぶんとイメージが変わってしまっているが、傷んで放置されていないことに、村の人たちの学校への愛情を感じる。






 残念ながらこの日はほとんど人の姿を見ることが無く、「今日もリキさんのことはうかがえないかな・・」など思いながら歩いていると、一軒のお宅の庭から出てくる車の姿。助手席の窓が開いていたので、遠くからだが挨拶をする。すると車が停まってくれたので、急いで車の方へ。

 車に乗っていたのは70代~くらいのご夫婦だった。いつものように「山の集落が好きで・・」と、簡単に自己紹介をし「越波にリキさんという方はおられないでしょうか?年齢は7、80歳代くらいの方で・・」と窓の空いている助手席側から尋ねてみた。助手席の奥さんが横のご主人に「リキさんだって。知ってる?」と伝えておられるが「リキさんていう人はいないなぁ・・。」というお返事。「実は滋賀県の針川という所の奥の山で、ずっと昔ですが木挽き職人をされていて・・」と事情を説明すると、そのご主人が突然車のエンジンを停めて車外に出て来られた。そしてもう少し詳しく「滋賀県から帰られた後は魚の養殖をされていたようで・・」ということや当時のエピソードを説明すると、何か納得されたように「ここは木挽き職人の村で、滋賀県の伊香に木挽きの仕事で行っていた人がいた。」「え?何という方ですか?」「名前はチカラってゆう人で・・」ということだった。そして、ここで針川のリキさんと越波のチカラさんがつながった。





 本当は「力(ちから)さん」というお名前で、針川では「リキさん」と呼ばれていたのである。そして、お話をうかがったご主人は「越波」で最初に養殖業を営まれたそうで、後に、「越波」に帰って来られたリキさんに養殖を教えられた方だったのである。お二人でされていた養殖業は、その後「越波」からそれぞれ他所に移されてはいるが、ともに今も養殖業を生業とされ、リキさんも健在で、現在は息子さんが後を継ぎ養殖業をされているとのことだった。





 それにしても、アマゴの養殖が成功するまでには多大なご苦労があったようで、今も残る養殖場に場所が決まるまでにいくつか場所を変わられたという。水に敏感なアマゴやイワナといった川魚は、最適な条件を整えないと病気を発生して死んでしまう。それでも試行錯誤の末に養殖業を軌道に乗せられたご主人は、さらにノウハウを積み上げ、アマゴを卵で全国にも出荷するなど、成功された。「今、徳島におるアマゴの元は、ほとんどがここのアマゴや。」といわれるように、特に徳島には多く出荷されたという。
 「この人はいろんなことしてましたよ。炭焼きもしてました。」と語る奥さんのことばからもわかるが、ご主人もリキさんも、高度経済成長やエネルギー革命による社会の変化の影響をまともに受けた世代の、山の男たちだ。当時の木挽きの仕事は、長期の仕事から帰ってきた人たちがクラウンなどの高級車を購入するなど、かなりお金になったようであったが、大規模な伐採や機械化が進むとともに仕事は減ってくる。その結果としての養殖業への転身だったことだろう。





 木挽き職人として食べていけた頃は、「針川」「尾羽梨」の他に合掌造り集落で有名な白川村などへも、「越波」から多くの人が仕事に出られていたそうだ。その仕事先でお嫁さんを見つけ越波に嫁いで来られた方もおられたという。また、お話をうかがったご主人のお父さんは、「最初に江州に行った。」そうで、越波から初めて滋賀県(江州)に行った木挽き職人だった。「伊香へ行った。」「針川?尾羽梨ですか?」「おばなし(尾羽梨)・・!それや!」というように、お父さんは尾羽梨の奥山の伐採の際の木挽き職人として来られていたようである。時代でいくと、先に記したように昭和17年からの東洋紡績による針川・尾羽梨の奥山の木々の伐採時期だったと思われる。





 それにしても、山仕事で潤っていた時代が終わり途方に暮れる中で川魚の養殖業をゼロから始められ、ついには成功まで導いた、そのご主人の探究心とねばりは見事としかいいようがない。また、始められた頃は人口も多く賑やかだった「越波」も、時代とともに人々は山を降り、冬季に人がいなくなる集落へと変わっていく。それでも魚の世話を欠かすことはできないということで、雪で閉ざされる中でも食料を買い込んで1人越波に残られたというご主人、たった1人の冬を4度経験した後に、ついに養殖場移転を決断されるのだが、その時のご苦労が並大抵のものでなかったことは、現地を知るものであれば想像がつくだろう。ちなみに、今でこそ「下大須」からの林道で車で簡単に車で行けるようになった「越波」だが、この道ができたのはけっこう最近のことで、それまでは能郷から黒津、そして越波へと向かう道しかなかった。つまり「越波」は、最奥の行き止まりの集落だったのである。その中で、雪のために陸の孤島と化す冬の越波に1人残るのは、本当に苛酷なことだし、奥さんもさぞかし心配だったことだろう。









 現在は休止中の越波の養殖場が、復活されるかもしれないという。ご主人が養殖のノウハウを教えられ、越波の外部の方であるが新たに始められる予定があるそうだ。また、新しく塗り直された越波分校校舎も、さらに改装され宿泊所として生まれ変わる計画があるという。シュラフ持ち込み、自炊を主とした超格安料金の宿を想定されているというから、釣りやツーリング、登山、キャンプなどを目的とした人にはうってつけだ。これらが実現すると人の出入りも増え、冬季無住の「越波」集落も、活気ある山の集落へと変貌するかもしれない。ふるさとを醸し出す風景の中で、新鮮なアマゴやイワナを焼きながら食べて、自然溢れる中で一夜をすごす。目覚めた時の早朝の集落の風景は、さぞかし美しいことだろう。きっと至福の時間がすごせる、そんな気がする。私のような人間にとっては、三ツ星レストランで高級料理を食べることなど足下にも及ばない素晴らしいこと、そのように感じる。









 過疎化が進行し、やがて廃村となって朽ち果てる集落が多い中で、このように美しい集落の姿を保ちつつ村が活気づいてくれたとしたら、今の山の風景も変わっていくのかもしれない、など思いながら「越波」集落の端にある古刹を訪れる。すると「鐘をついてもいい」という表示。そして、そこに書かれてあることばが何とも素晴らしいことば。最後に、そのことばを紹介させてもらって、この項を終わりにしたい。

 もちろん私も鐘をつかせていただきました。控えめに3度ですが・・






              越浪和願の鐘

願いを込めて、何時でもご自由に撞いてください。
鐘の「音」(ね)の響きは、あなたの心を癒すとともに、村内に安寧を与えてくれます。何度でもお撞き下さい。
             故・成厳院釈来照法師  総代 川辺栄松









http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2014/08/08 11:36】 | 岐阜県山村・廃村・自然 | page top↑
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