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#239 福井・木造校舎の残る村にて
~ 福井・木造校舎の残る村にて ~






 「今年の雪はサンパチ(昭和38年の大豪雪)以来やったよ。あの時はほら、あそこの学校の電線が膝ぐらいの高さまできて、そら大変やった。」「雪も、ほらまだ残ってるやろ。」とお話をしてくれたのは、福井県の山間部、とある木造校舎の残る小さな集落で畑仕事をされていたオバチャン。80才を越えられても、こうして畑仕事を毎年されているという。「今は趣味みたいなもんやから」ということだが、このスペースを全て手作業でするのはかなり大変なことのように思える。ご高齢とあれば尚更のことだ。とはいえ、すぐに腰痛を起こしてしまう軟弱な自分を基準にするからそう感じてしまうのであって、何十年とこういう生活をされてきた方にとっては、これらの身体を使う作業は、毎日続けてきた日常普通のこととして体にしみついていることなのかもしれない。









 今、70才代後半から80才代、90才代の年齢の人たちが生きてきた時代は、まさに激動の時代。軍国主義、戦争、敗戦、どん底の貧困、それを乗り越えての戦後復興、高度経済成長、そしてバブル・・等々、まるで映画の中の物語のような時代をその身で体験されている。さらに、山で生活されていた人たちは、日本の多くの人々の生活が豊かになっていった高度経済成長の時代に逆に生業を失い、過疎が進み、苦労を強いられている。そんな中でも山で暮らし続けることで積み上がってきた経験の重さ、それらは我々の世代とは決して比較し得るものではないなど感じる。今に至る時代背景を知れば知るほど、山で暮らし続けた人々の経験の重さへの畏敬の念が、自分の中ではより強くなっていく。









 それにしても80才を越えた年齢で、こうして元気に畑仕事をされているのは本当にたいしたこと。その体力や気力、根気はもちろん、私のような人間にとっては、普通に作物を実らせる技術も憧れなのである。これまでに何度か、庭に小さな菜園スペースを作って野菜作りなどに挑戦してみたことがあったが、夏場の猛暑や雑草の猛威、様々な虫の襲来などに負けてしまって、まともな収穫ができたことがない。やはり人間には向き不向きというものがあるな、などいつも逃げ道を作っているが、できないながらも未だ憧れは強く、懲りずにぜひやってみたいなど今も思ったりする。





 実は今回この山の集落を訪れたのは、そこに残る木造校舎と桜の風景が見たかったからだ。ずいぶん前に、ここに木造校舎があることをサイトをご覧になった方から教えていただいて以来、この風景が好きで度々訪れている。そしてその度に、小さな木造校舎と小さな校庭に咲く桜の風景をいつか見たいと感じていながら、未だそれは実現できていない。そういえばここの木造校舎と桜のことは、ずっと以前のこのコーナーでも書いている。8年前の『#98 廃校の桜』だ。そこにもあるのだが、その時の「桜の季節に来たらいいのに。」という工事のオッチャンのことばがずっと自分の中に残っており、それにより「ここで桜を見たい!」という思いがより強くなったような気がする。





 そして今回の訪問は、下界では桜が散る頃。時期的に少し遅れて桜の開花が見られる山では、ちょうど桜が咲き始めていてもおかしくない時期で、今日こそ桜と木造校舎の風景に出合えるのではないかと思っての訪問だった。ところが現地に着いてみると桜は全く咲いておらず、まだまだ固い蕾が見られるだけ。残念に思いながら、その時に校舎横で畑仕事をされているオバチャンに桜の開花のことをうかがった時のことばが、冒頭のサンパチ豪雪のことばだった。






 「今年はちょっと前まで雪がいっぱい残ってたからねえ。桜が咲くのはもう少しかかるよ。」
 「4月末くらいですか?」
 「いやー、そんなに遅くないよ」
ということで、開花にはあと10日前後かかるようだ。決して立派な桜の木ではないが、満開になるときっと小さなその木造校舎を桜の花が覆ってしまうような光景が見られるはずだ。お話を聞きながらその風景をイメージすると「もう一度来たいなぁ・・」という気持ちが強くわいてくる。









 このオバチャンのお子さんはもちろんずっと以前に山を降りて独立され、今はお一人で、この山の小さな集落で生活をされている。「昔はにぎやかやったよ。ほら、その前の道の向こうにも全部家が建っててね。」と言われるように、道の向こうには今は畑や田んぼであろうスペースが大きく広がっている。それでもこの静かな山の風景の中では、その頃のにぎやかな集落の様子がなかなか想像ができない。
 「今は年寄りが少し住んでいるだけよ。わたし80才やけど一番若いのよー」と元気に笑うその姿が、何かとても爽やかな感じだ。









 そういえば4年前の秋、この畑の上の道で木造校舎の写真を撮っていると、その上にあるお宅から人が出てこられて「いい写真撮れますか?この庭からも木造校舎がよく見えますよ。」と声をかけていただき、庭から柿の木と木造校舎の写真を撮らせてもらったことがある。その時の男性はかなり若かったように思ったので、そのことをオバチャンに訪ねてみると、「あの人は下に住んでてね、帰ってきてるん」ということで、ずっとここにお住まいではないようだった。でも「よく帰ってこられてるよ」ということで、今も家屋はきれいに保たれている。この日はおられないようなので、道から校舎の写真を撮ることにする。下の写真は、4年前の時にその方の庭から撮らせていただいた柿の木と木造校舎の風景だ。









 今ここにお住まいになられるのは、高齢者の方が数人だけ。80才のオバチャンが一番年下だというから、平均年齢の高さが大変なものだということがわかる。この冬の豪雪でも「何回も雪下ろしをしなあかんかった」というが、高齢者だけの雪下ろしはさぞ大変だったことだろう。
 それでも角川地名大辞典を見てみると、この村の人口は平成になる直前でも25世帯71人という記録がある。さらに遡ると、昭和30年40世帯224人、昭和10年50世帯231人、そして大正9年には57世帯384人というすごい数字が見られる。とても大きな村だったのだ。もちろん大正の頃にはオバチャンはまだおられないが、昭和のその大きな数字を見ることで、なかなかイメージできなかった「その前の道の向こうにも全部家が建っててね。」という先のことばの風景が、現実のものとして感じられる。





 ちなみに今はこの村が、山を越えるまでの最奥の集落となっているが、以前はさらに奥にも集落があった。その村は、オバチャンの話にも出てきた「サンパチ豪雪」を機に離村が進み、昭和57年までに全戸が村を離れたという。
 10年ほど前に小雨の降る中そこを訪れた時は、何とも薄暗い山林の中にポツンと蔵が建っていた。その寂しい風景がとても印象的で、今も心に残る。山間部の廃村の多くは、離村後に家屋跡や田畑の跡には杉や桧が植林される。それらが高く伸びると辺りは薄暗い景色へと変わり、人が住んでいた頃の開けた明るい村の面影は大きく変わってしまう。この既に消えてしまった村も、人が住んでいた頃はもっと開けた空の見える風景だったのだろうなど思いながら、時の流れを感じたものだった。









 それにしても、このように山でお住まいの方やお住まいだった方にお話をうかがうと、「サンパチ豪雪」や「伊勢湾台風」そして「56豪雪」のことばが実によく出てくる。それは、それらの大きな自然の猛威が、こういった深い山間部で暮らす人々に多大なるダメージを与え、生活を変える転機となっていたからなのだろう。壊滅的な被害を受けた後についに見切りをつけ、先祖代々の故郷の地を離れる例は少なくないのである。






 帰り際に「今は何を植えているんですか?」とうかがうと、「ジャガイモよ。作ってもいっぱい余らしてしまうんやけどね。若い人はこんなん食べへんし。」とのことだが、自然に囲まれ、澄んだ空気と山の水や土で育つジャガイモは、とても美味しそうに感じる。7~8月頃が収穫というから、今は土しか見えないこの畑もこれからは緑でにぎやかになっていくのだろう。
 今はまだ雪が残り、冬枯れの色が多いこの里山の風景だが、もう少しすると春の花や新緑の色で彩られる。でもそれも、こうしてここに暮らす人たちがあってこそ見ることのできるもの。何百年と続いてきたこの日本の美しい風景を絶やすことは、日本を壊してしまうこと。それを思うと、これまでに消えていった多くの集落が作っていた山里の風景、その大切さをより強く感じるのである。







http://www.geocities.jp/kondodoraibuiko_ne021/index.html
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【2015/04/20 18:55】 | 福井県山村・廃村・自然 | トラックバック(0) | page top↑
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